――こちらはミシェル。レディ・ミシェルである。 ミシェルはひとりで、ぼうっと空を眺めながら、カフェ・モカを脇に置いてベンチに座っていた。ここはリズン前の公園――ミシェルは今日は、リズンの席には座らず、カフェ・モカだけを買って公園へ来、のんびりと公園をうろついた後、ベンチに座って空を見上げた。春の陽気。タンポポやマーガレットが咲いている。 のどかだ。 だれも誘う相手がいなかったわけではない。今日はなんとなく考え事があったから、ひとりで公園へ来たかったのだ。 クラウドは、このあいだのことがあってから、ミシェルを一人にしておきたくはないようで、ついてきたがったが、なんとか振り払ってきた。 なんでなんだろう。 ミシェルは思った。 こうしてひとりになったのに、まだ気持ちがソワソワする。 ミシェルは、ここ最近、異様に気分が落ち着かないのだった。だから今日は、ルナも誘わず、レイチェルやシナモンにも声をかけず、ひとりになってみた。でも、このソワソワ感はますますひどくなるだけで、ちっとも治まらない。 「あ〜〜〜〜っ!! もう!!」 ミシェルは頭を掻きむしったが、それで落ち着くわけもなかった。 いったい、なんなのだこの焦燥感は。 最初は、このあいだクラウドが傭兵たちに拉致されかけたことが、思いのほかショックになっているのかもしれないと思った。実際怖かったし、不覚にも涙がこぼれて、クラウドの胸で一晩中泣いてしまった。泣きたいのはクラウドだったかもしれないのに。でもクラウドはずっと「俺がついてるからだいじょうぶ」と、彼も一晩じゅう眠らずに抱きしめてくれていた。 「ミシェル、俺のせいで怖い思いさせてごめんね」と謝られ、ミシェルは「なんでクラウドが謝るのよっ!」と怒ってしまったことを少し後悔している。 クラウドの元職場は、普通ではないということは、だんだん分かってきた。普通の軍人とも違う、もっと、なにか、怖いところ。 でも、クラウドは、「俺は心理作戦部はやめる」とはっきり言った。 「この地球旅行が終わったら、ふたりでL5系に行って、暮らそう」とクラウドはそう言った。だからミシェルも、クラウドのことは元軍人と自分の両親には話したが、心理作戦部の人間だとは話していない。第一、自分と同じで、L77で平平凡凡に暮らしてきた両親だ。心理作戦部と聞いたところで、その意味するところも分からないだろう。 今回クラウドが襲われたことも、ミシェルはカザマに、「親には言わないで」とお願いした。 だから親には伝わっていないはずだ。 親にそんなことがバレたら、問答無用で帰ってこいと言われるばかりか、クラウドと一緒にいることはもう叶わなくなる。 ミシェルだけではない、ルナも同じだ。ルナの親は自分のうちよりよほど過保護だから、お父さんあたりが宇宙船まで乗り込んできそうだ。 このあいだのことは、ルナも怖かっただろう。でも、ミシェルにはルナの気持ちもよくわかった。 ルナはずっと「怖くないもん!」と言い続けていたが、――あれは意地だ。ミシェルだって、本当はルナのように「怖くないもん!」と言いたかった。 そのくらいの意地、張らせてほしい。 あれはルナなりの覚悟だ。 ルナだって、アズラエルの奥さんになるんだろう。傭兵の奥さんは、心理作戦部の軍人の奥さんより大変かもしれない。どっちが大変なんて、分からないけれど、こんなことが、これからいっぱいあるかもしれない。だからほんとうは、怖いなんて言っていられないのだ。 あれは、無理な強がりに見えたかもしれないけれど、ルナなりに、強くなろうと決意した、気持ちの表れだとミシェルは思った。 あたしたちだって、守られるばかりじゃない。 レオナさんみたいに腕力が強くはないけど、――でも、いちいちこんなことでビクつかないぐらいには、強くなりたい。 銃くらいは撃てるようになったほうがいいのかな。 「……っはあ」 ……いい、天気だなあ。 ミシェルは空を仰ぎ、太陽がまぶしくて手をかざした。 強くなりたいって気持ちがソワソワさせてるのかな。……違う。もっと前からだもの。ソワソワしてるのは。 『――ミシェルのさ、ガラスで遊ぶ子猫って、そのまんまだとおもうよ?』 『え? まんま?』 『うん。だから、そのまんま。ミシェルはさ、ガラスでなにか作るの、すきでしょ?』 『うん……』 『だからね、ガラスで遊んでるの。このカードの猫みたいに』 最近のルナとの会話は、ZOOカードのことが多かった。その日も、ZOOカードの話をしていたのだ。ルナはう〜ん、と腕を組んでまじめに考えた後、そう言った。ミシェルは、そのルナの言葉にはっと気づいたのだ。 『ZOOカードってさ、今の状態を表してるんだって。だから、カードは変わることがあるんだって。人生の転機とかに』 今の状態――紛れもなく、ミシェルは、「ガラスで遊んでいる子猫」だ。 確かにガラス工芸は好きだ。ゆるくやれればいいなって思ってて――。 「そう……ゆるく」 ミシェルは空を眺めて呟いた。このあいだサルディオネとした会話の意味が、ようやく分かった。 自分は、ガラス工芸はあくまでも趣味だ。ガラスを弄って物を作るのはそれは楽しい、だが、それだけだ。 それだけなのだ。それに、気づいてしまった。 現に、もうどのくらいガラスに触れていないだろう。 アンジェラは次々に生み出される作品のアイデアを消化しなければ、頭がおかしくなると、なにかのパンフレットで言っていた。ガラスにしろ、彫刻にしろ、アンジェラはものすごい勢いでいろんな作品を生み出す。自分は、そんなことなどこれっぽっちもない。 ゆるくやれればいいはずのガラス。やりたければ、とっくにガラス工芸教室に通っていてもいいはずなのに――。 気持ちが、向かないのだ。 アンジェラの作品はアンジェラの作品で、憧れとして眺められばいい、という気持ちがある一方、心のどこかで、アンジェラの技術が見たい、アンジェラみたいな作品を作りたいという欲求にも駆られる。 だが、アンジェラと同じものは作れない。それは分かっている。アンジェラと自分は違いすぎる。いくら彼女の技術を学んでも、千年追いかけたとしてもそれは無理。自分でもよくわかっている。彼女と自分では、描きたいテーマから違う。 絵をかくなら、彼女は抽象、自分はどちらかというと写実。 まるで、正反対なのだから。 (……ガラスじゃない) ミシェルはそう思った。空を眺めながら。 あたしのやりたいことは、――魂が望んでることは、ガラスじゃない。 それに、気づいてしまった。 でも――。 (あたしがほんとうにやりたいことってなんなの) それがなんなのか、全く分からない。 ソワソワの理由は、それが原因なのかもしれなかった。サルディオネも、ミシェルは成功する、と太鼓判を押してくれたが、『天命』は教えてくれなかった。 (いったい――なんなんだろ) ミシェルは考えたが、さっぱり思い浮かばない。 (ねえ、ガラスで遊ぶ子猫、あんた、いったい何がしたいの?) 「ガラスで遊ぶ子猫」のカードを見つめてみたが、答えがあるはずはなかった。 |