六十四話 再会 V




 

 (……ずいぶん、距離があるものだなあ)

 セルゲイは、自家用車を運転しながら、そう思った。

 

 K35区から車で二時間。まだK07区を抜けていない。K07区が異様に広いのだ。宇宙船内の区画で一番広いと言われても、頷ける。グレンとこのあいだ行ったスポーツセンターは同じK07区でも一番南側にあるから、三十分ほどで行けるのだが。

 セルゲイはいったん車を道路わきに停め、さっきガソリンスタンドで受け取ったソフトを使ってみることにした。

カーナビにセットすると、パッと宇宙船内の地図が現れる。3Dモードにすると、フロントガラスに、行くべき道筋が風景のように浮かび上がる。

「あ、これは見にくいな」

セルゲイは3Dモードを消した。改めて「K05区 真砂名神社」といれると、ルートが表示された。

「高速道路は、中央役所までしか通ってないのか……」

中央区以北は、高速道路はない。この山道をのんびりドライブするほかないらしい。

「あと二時間はかかる……遠いなあ」

ここまで来ると、ビル群はなくなる。目の前にそびえたつのはビルの代わりに鬱蒼と茂った山々だ。稜線が連なり、まだ白く雪が被っている峰もある。その中で、ぴょこんと高い山にセルゲイは目を留めた。

(あれを目指して行けば着くって、アントニオさんは言ってたけど)

確かに道は、一本道だけど。

――ずいぶん、おおざっぱだな。

セルゲイは呆れて声も出なかった。

 

アントニオと、K05区の真砂名神社で待ち合わせを予定したのは、先日のことだ。

花見でもしようと誘ってくれた当のアントニオは、用があるとかで、前日からK05区に行っていた。アントニオも乗せてK05区に行くつもりだったセルゲイは、道案内人がいなくなって困った。

ルナを誘っていくつもりだったが、ルナは電話に出てくれなかった。アズラエルもだ。二人でどこかへ出かけているのかもしれないとあきらめ、同居人たちを誘ってはみたものの、グレンはいない、ルーイも水泳の講師、カレンとジュリはセルゲイが起きた時もういなかった。エレナに聞けば、ふたりでプールへ行ったとか。エレナを誘ったが、K05区までは距離があり過ぎるし、いつ気分が悪くなるかしれないので遠慮する、と断られてしまった。

エレナは、今日はママ会もないから、家でゆっくりしているらしい。ルナが留守なのは、エレナも知っているようだった。では、家にエレナを一人にしておけない。

セルゲイはまた今度と、アントニオに連絡しようとしたが、グレンが近所のコンビニから帰ってきた。グレンが今日はエレナに付き合ってくれるというので、セルゲイはひとりで行くことにした。

 

(……よく考えたら、男二人で花見っていうのもどうなのかなあ……)

 

ちょっと考えてしまったセルゲイだが、アントニオは顔が広い。自分が一人で行っても、きっと何人か知りあいを呼んでいるかもしれないと、思い直した。

 延々と続く山道。同じ風景なので眠くなりそうだ。ガソリンは往復分間に合いそうだが、コーヒーが飲みたくなってくる。

 ナビを見ると、三キロ先にコンビニがある。助かった、とセルゲイは車を飛ばした。

 

 コンビニは確かにあった。セルゲイは車を止め、缶コーヒーを買ってトイレを済ませると、車に寄りかかりながら熱いコーヒーを飲んだ。乾燥した喉に染みる。駐車場に車は、セルゲイのだけ。

どんどん山深くなってくる風景。道路の端には黒ずんだ雪が残っていた。ぶるっと寒気がして、セルゲイは車からカーディガンを出して羽織った。

 目の前の木々はほとんど針葉樹林。セルゲイは軍事惑星を思い出した。ここは山の中だからというだけではない。寒い地方なのだ。

 セルゲイは腕時計を見た。予定より早くつきそうだ。グレンが、タクシーで片道五時間かかったと言ったが、頷ける。制限時速七十キロを超えないタクシーならば、そのくらいかかるだろう。

 

 「梅も桃も、桜も一気に咲くんですよ、K05じゃ」

 

 急に話しかけられて、セルゲイはびっくりした。コンビニの店長が、客がいないのをいいことに、店から出てきてセルゲイに話しかけていたのだ。

 「はい、これあげる」

 ほかほかの肉まんをセルゲイに手渡し、自分も齧っていた。

 「ここ、ほとんどひと来ないんだよ。だからヒマでヒマで」

 セルゲイは礼を言って受け取った。ちょうど小腹もすいたところだった。

 「ありがとう。――ウメ? 桃は分かりますけど、ウメってなんですか」

 「あ、軍事惑星の人だね。軍事惑星生まれ、L5系そだちってところ。それかその逆」

 人懐こいコンビニ店長は、セルゲイの出自を当てた。

 「ええ、そうです。よくわかりますね」

 「だいたいね、梅だけわからない人ってその出自の人が多いんだ。軍事惑星には全部咲かないから。でもL5系には桜と桃はある。梅は、L7系の人なら知ってるけどね」

 「なるほど。そうでなくても私はもともと、植物には疎くて」

 

 L02出身の役員だというコンビニ店長の話につき合わされ、一時間も立ち話をしていたセルゲイは、昼近くになっていることに気付いて慌てて車に乗った。アントニオとの約束は十二時半。

 どうして自分はいつも、ちょうどいいところで切り上げられないのだろうか。

 「帰りも寄ってね〜! 今度は売れ残ったケーキあげるから!!」

 ガブリエル天使の祝福を〜、と後ろから聞こえる。彼がハンカチを振って見送っているのだ。こんなに盛大に、コンビニから送られたのは初めてだった。

 ガブリエル天使ってなんだ?

 素朴な疑問を感じながら、セルゲイはぶっ飛ばした。無人の道路を百二十キロで。

 だが「野ウサギ注意」という看板を見つけると、途端に減速した。

 

 山を一つ越えたのか、くだりの坂道が終わった。やっと道路標識にK05区の文字を見つける。だだっ広い草原にまっすぐの道路、そして、眼前に山。――ここは本当に宇宙船内か? この宇宙船に乗ってから何度となく浮かぶ疑問。

 

 林を抜け、民家のようなものがぽつぽつと見え始め、急に視界に、巨大な赤い鳥居が現れる。その向こうは、観光地だった。小さな店が立ち並び、道路の幅は、恐ろしく広い。「大路」と書かれたそこは、車両進入禁止だ。

 セルゲイはナビに従って、大路の前を左に曲がり、大駐車場へ車を止めに行った。大駐車場にはぽつぽつと車両があった。大きな観光バスも一台。

 ひとはまばらにいた。

 車から降りると、駐車場の傍を流れる大きな川に目が行った。あの山を源流にした川だろうか。

 

 (あ、桜だ)

 

 広い河原の両岸には、一定の間隔を置いて桜が植えられていた。こちらまで、その淡い香りが漂ってきそうだ。今や、満開の風情だった。そこには、思ったよりたくさんのひとびとがいて、桜を鑑賞していた。変わった出店もある。

 ……やっぱり、ルナちゃんを連れてきたかったな。

 ルナならば、はしゃいで大喜びしそうだ。

 

 (急がなきゃ)

 

 もう十二時を回っている。多少遅れたところで怒るような相手ではないが、過度な遅刻は申し訳ないだろう。駐車場からあの大路までは歩いて十分と標識に、真砂名神社はさらにその奥だ。

 セルゲイは小走りに大路まで急ぎ、巨大鳥居をくぐると、遠くに見える階段まで一気に走った。

 見れば見るほど、独特の文化だ。セルゲイは、見たことも触れたこともない様相だった。L5系でも、こんな神殿や文化は見たことがない。エレナが最初の頃着ていた、「キモノ」という服を着ている女性も何人かいる。だがそれは、エレナの着ていた無地の地味なものではなく、柄がついたとても派手なものだった。

 (ここの文化は、どの星のだろう?)

 疑問を追及している暇はなく、セルゲイはその長い足でタッタカ走った。

 

 階段まで来て、セルゲイは絶句した。(ウソだろ)思わず、叫びたくなった。

 真砂名神社は、階段の上――しかも、この階段が、おそろしく長い。