(……参ったな) セルゲイは、ためいきをついた。 (上るんだろうな、やっぱり) 周囲にエスカレーターも、エレベーターも、ロープウエイもない。いったい、上に着くまで何分かかるだろう。完全に遅刻間違いなしだ。セルゲイは仕方なく、息を切らせながら、一歩一歩上る羽目になった。 (――冗談だろ) なんだこれは。ジムよりきつい。 笑い話になりそうだった。自分はこれでも、基礎体力は落とさないように、定期的にジムに通っている。グレンやアズラエルと比べるつもりはないが、軍事学校にいた現役時代と変わらずおなかだって割れたまま。なのに、この程度の階段がこんなにつらいとは。 まるで、背中に重い石でも背負っているようだ。 待ち合わせ時間はとうに過ぎている。セルゲイは携帯がこの宇宙船内で使えないことを恨みながら、それでもなんとか、いちばん上まで上りきった。 びっしょりと汗をかき、セットした髪も台無し。肌寒いのにシャツがはりつくほど汗をかいて。まるで、一日いっぱい軍事教練のフルコースをやりとげたあとのようだった。 シナモンならば、「汗だくのセルゲイさんもセクシー♪♪♪」と迫ってきそうな色気だったが、生憎とその色気を発揮させる相手はここにいなかった。 なぜだ。 よろよろになるくらいくたびれていた。 階段を上りきったそこには、見たことがない文化の神殿がある。朱色の装飾と、ところどころに金が施されているが、全体的に白木と布で作られた、地味な神殿だ。 セルゲイにとっては、神殿と同じくらい不思議な格好をした者たちが、何人か祈りをささげている。 アントニオはいない。 よかった。待たせてはいないようだ。 (この辺もまた、独特の文化だなあ) セルゲイは、祈りのやり方など知らない。神殿を眺め、ハンカチで汗をぬぐい、べったりと汗で背中に張り付いたシャツを、パタパタさせて風を通した。あまりにくたびれたせいで、傍らにあったベンチに腰かけた。 急に、強い風が吹き付ける。 (ああもう――涼しいけど――やっぱり寒いな。コートも必要だったかな) セルゲイは、肩にかけていたカーディガンを着こむ。汗が冷えそうだ。 神殿のほうを何の気もなく見たら、ふいに、祈っていた女性と目があった。――途端に。 「きゃあ!」 そう叫んで、彼女は倒れた。 (――え? なに?) 人の顔見て気絶しないでほしいな、失礼な。 と、どこかの誰かと同じことを思ったセルゲイは、それでも医者だった。慌てて倒れた彼女に駆け寄ったが。 風が強すぎて、それ以上先に行けない。 (なんだこの風) 風速五はあるのではないか? 後ろに倒れそうだった。 (K05の天気予報、ちゃんと見てくれば良かったな。強風注意報なんてあったかな) ルナレベルの天然であるセルゲイは、自分のせいで彼女が倒れたとか、自分のせいでこの予測不可能な天気になっているのだとは、思ってもみなかった。 「なんじゃあ! またか!」 変わった衣装――神主衣装――を着たおじいさんがやってきて、またかという顔をした。無論セルゲイは、ここでルナが遭遇したできごとは知らない。 「今度は男か!」 神主は、強風なので声を張り上げ、 「おまえさん、とりあえずこっから降りてくれ!!」 「え? あ、私ですか?」 「お前さん以外にだれがいる!!」 「はあ……、すみません……ですが、その女性泡をふいてるので早く病院へ、」 「おまえさんが降りれば元に戻るわい!」 俺のせいか? 俺のせいなのか? なんだかよくわからないが、せっかく上ったのにまた降りるのか。 セルゲイは半分うんざりしながら、階段を降りはじめた。 「セルゲイさあん! こっちこっち!!」 アントニオの声だ。まったく、今日は慌ててばかりいる気がする。セルゲイはほっとして、アントニオがいるほうへ行こうとしたが、 「降りてくれと言ったじゃろうが!!」 「は、はあ、でも、あの、」 「どうしたの」 アントニオが、神殿のほうの階段から上がってきた。アントニオが姿を現すと、途端に強風はやんだ。 「あっはっは、ルナちゃんが来た時とおんなじだね」 アントニオは、倒れている女神官を見て言った。 「神上がりがそう何人も来ちゃ、たまったもんじゃないわい。しかも本人は自覚なしとくる」 ひどく訛りの強い神主は、そう言って唸った。 「彼は今日、俺が呼んだんだ。だいじょうぶ。ちょっとびっくりしただけだよ。ルナちゃんが来たときぶっ倒れた子もそうだった。あのあと、神様との感応力が上がったってンで、大感激だったじゃないか。彼女もきっとそうだ」 「今年は、珍しいことが多すぎる」 おじいさん神主はぶつぶつ言いながら、そばにいた何人かの女神官とともに、倒れた女性を運んで行った。 会話についていけないセルゲイは、呆然とそれを見送っていたが、 「あの、――どうか祝福させてくださいまし」 驚いて目線を下げると、熱を帯びた眼差しで自分を見上げている娘と目があった。 「ずるいわ! わたくしも!」 「わたくしもよ!」 「どうか祝福させてくださいまし!」 「順番よ!!」 「え? ええええ?」 セルゲイは軽いパニックに陥った。十代くらいの娘たちが、自分を取り囲み、自分の左手を奪い合っているのだ。彼女らは、かわるがわるセルゲイの左手にキスをしていく。 「あ、あの、アントニオさん!」 「悪気はないんですよ。祝福させてあげてください」 アントニオはにっこり笑った。「それで、いつもあなたがルナちゃんにしてるみたいに、左手で頭を撫でてあげてください」 セルゲイがその通りにすると、彼女は感激して、何度もセルゲイの手の甲にキスをした。 (――な、なんなんだ……) 困惑するセルゲイをよそに、五人の娘たちはきゃあきゃあと騒ぎながら、セルゲイに挨拶してこの場を立ち去った。三度深くお辞儀をして。 「神をその身に宿した人間は、彼女たちにとってはサルーディーバと同じくらい聖なる存在なんです」 アントニオが説明してくれた。 アントニオは、この神社となにか関わりがあるのだろうか。だとしても、彼の服装は、いつもどおりTシャツとジーンズで、エプロンがないだけ。彼女や、さっきのおじいさんと同じ格好はしていない。 彼の出身はL05だというが、そのせいでこんなに詳しいのだろうか。 「だから、貴方に祝福を捧げることは、サルーディーバに祝福するのと同じ――ましてやこんなイケメンじゃ、祝福したくもなる」 「や――あの、」 アントニオの言い分では、まるで自分が神様と同じなのだと言われているようだ。セルゲイは、ますます困惑した。 「正確には貴方は、神の転生です」 アントニオは、困るセルゲイを見て、小さく微笑んだ。
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