「シエハ!!」

 

 ツアオが、急に現れたシエハザールを支えた。姿現しではない、生身の彼だ。彼の軍服は真っ黒に焼け焦げ、よくここまで持ったといわんばかりの様相だ。血を吐きながら倒れかけた友をツアオは抱え、意識の有無を確かめた。

 「シエハ! 無事か!?」

 「……無事とは言えんが、」

 ごふっと大きくむせ返り、大量の血の塊を吐いた。ツアオは青くなった。

 「メルヴァ様!!」

 

 「――これはひどいな。シエハ、」

 床に膝をつきながらも、シエハは倒れ込まない。メルヴァを前に、無礼がないようにと必死で身体を支えていた。

 「さすがに――っご、っ……、夜の神の一撃はすさまじかった。残像が食らった雷が……私の……生身まで……、」

 「シエハ。アンジェリカはいなかったのだな」

 「……は、」

 

 確かに、あそこには――奥殿をはじめ、真砂名神社にはサルディオネの気配が色濃く残っていた。だが、いなかった。手がかりを得る前に、夜の神の制裁を受けた。サルディオネとサルーディーバの、船内の居住区は分からない。まるで何枚もの壁で遮られ、さらに霧が立ち込めているような気配だと。

 シエハザールは息も絶え絶えに、説明した。

 

 「……分かった。すまなかったな。シエハ」

 メルヴァはそう言い、シエハザールに手をかざす。見る見るうちに、シエハザールのキズが、火傷が、癒えていった。

 「メ――メルヴァ様!? いつのまにそのようなことが――!」

 驚いたのはツアオだけではない、自分のキズが治っていくのを目の当たりにしたシエハザールも、呆然と目の前の主を見上げた。

 「つい、先日な」

 メルヴァは、すっかりシエハザールのキズを治すと、立った。

 「内臓までやられている。一応治してみたが、一番ひどい胸のあたりはまだ痛むだろう。しばらくは安静にしていろ」

 「メルヴァ様、しかし、」

 「この程度のキズならば治せるが、心の臓や頭をやられれば私にも治せん。油断するなよ。私とて、命を吹き返すことは無理だ」

 「は――用心します」

 

 「アンジェたちを隠しているのは、アントニオだろう」

 アントニオ。一度会ったことがある。類まれなる高僧。

 「彼が、一番の強敵だ――私にとっては」

 「是が非でも、こちらにサルーディーバ様たちを渡す気はないのですね」

 「そのようだな」

 

 メルヴァはふと、もしかしたらアンジェリカは、もうアントニオの妻になっているかもしれないと思った。だから見つからない。アントニオがアンジェリカを抱いたら、彼の気配が彼女の身体に色濃く残る。完全に、アントニオの守りの内に入る。

 許嫁を、横取りされるとはな。

 メルヴァは苦笑した。

この計画は、どうやら失敗か。

 アンジェリカを連れ去り、妻にする。そして彼女を使ってルナをおびき寄せる。それができなかったら、アンジェリカの命を人質に、ルナを渡すよう迫る。

 最初から、アンジェリカだけは宇宙船に乗せないようにしておけばよかったかもしれないが、この計画は途中で思いついたものだ。急な予定変更は、やはり無理があったか。

 

 ――やはりすべては、真砂名の神の予言通りに進む。

 

 アンジェリカに会いたいという、私的な思いが入っていたのは否定できない。だから、失敗したのかもしれなかった。

 なかなか、うまくはいかないものだ、メルヴァは嘆息した。

 

 アントニオが、どれだけこちらの手を読んで対処してくるか分からないが、あれはただの神官だ。太陽の神の化身とはいえ、太陽の神は真砂名の神の臣下に他ならない。真砂名の神が直接守護する、真砂名の神の意志である、裁きのメルヴァにはかなうまい。

 だが夜の神も、真昼の神も、月の女神を守るために動きはじめた。シエハザールが、夜の神の鉄槌を受けたのはそういうことだろう。夜の神は、妹神を守るためにわれらの敵に回った。

 そして、ルナ。

 月の女神の化身とはいえ、今は普通の少女だ。彼女は月の女神ではない。今世は、「月を眺める子ウサギ」というカードを戴いた、ただの少女。

 ルナが死ぬのは、役割のためだ。決して、われわれは、無作為に罪もない少女を手にかけるわけではない。

 われらの行動はすべて、真砂名の神のご意志に従っている。L系惑星群に恒久の平和をもたらす、イシュメルを誕生させるための行動だ。

 

 あの三柱の神がどれだけ邪魔をしようとも、われらはルナを弑す。

 

 ツアオが急に、大きな体を丸めて、声を低めて言った。言いにくいことがあるとき、この男はいつもそうする。

 「その、サルディオネ様を奪還するのではなく、グレンとサルーディーバさまを奪還し、グレンに事情を話せばよいのでは? サルーディーバ様は、その、グレンを好いてらっしゃるし、グレンとて男。サルーディーバ様は美しいお方だ。ふたりきりになれば、その、……いくらカタブツとて心が動くだろう。われらが、おふたりの、住処を提供して、」

 

 「ツアオ、それは無理だ」

 ツアオのしどろもどろの提案にふたりはかすかに笑い、シエハザールが言った。

 「今しがた、サルディオネさまの奪還が失敗したばかりだろう」

 グレンのことと、奥殿の焼失、今回の一連の事件で、宇宙船の守りは厳重さを増すだろう。いざという時のために、これ以上の派手な行動は、避けるべきだ。シエハザールは言った。

 もはや、アントニオの目をかいくぐり、サルーディーバ様を連れ去るのは不可能だ。

 「う、うむ……」

 「……真砂名の神の予言によると、革命が終われば三年後、グレンがL03を訪れる予定になっていた。彼が地球にたどり着いたのち、サルーディーバ様に会いに来るという寸法だ。そして、サルーディーバ様とグレンは、ひと夜限りの契りを交わす。あの方は、イシュメルを産むため、グレンの寝所に忍び込む。サルーディーバ様は、愛するグレンに抱かれる喜びが叶うのだ。グレンは、五日の滞在ののち、L03を去る。そうして、イシュメルが生まれる。グレンは、サルーディーバ様との一夜は、夢の中のものだと錯覚するだろう。彼は、己の息子がイシュメルだとは思わず、生涯を終える。L18の政争に巻き込まれ、ドーソン一族のひとりとして、銃殺刑になるだろう」

 

 「うむ」ツアオが重々しくうなずいた。

 「この、サルーディーバ様が“宇宙船に乗らないシナリオ”ならば、アズラエルも、ルナと別れることはない。あの方が、混乱して彼らの仲を引っ掻き回さないからだ。そうなれば、グレンはルナと結ばれることはないから、地球にたどり着いた後、L03へやってくる」

 「そうか。そうだな」

 「だから、サルーディーバ様が宇宙船に乗ってしまった時点で、このシナリオは砕かれた。ないものとなったのだ。今のシナリオはもう一つの選択肢――だからわれらは、サルーディーバ様とグレンを結ばせるためにも、グレンの愛するルナを殺さなければならない」

 

 「メルヴァ様」

 ツアオが言った。

 「果たして――ルナという娘を殺して、それでサルーディーバ様とグレンが結ばれるのでしょうか」

 

 「怖気づいたか? ツアオ」

 確かに、何も知らない小娘を手にかけるのは心が引けるが、これは神の意志だ。

シエハザールの言葉に、ツアオは首を振った。

 「そうではない。――ただ、分からぬのです。真砂名の神のお考えが」

 「分からぬ?」

 

 「そうです。真砂名の神は仰った、のですな? サルーディーバ様を宇宙船に乗せる乗せないで、L03のさだめが変わることはないと。変わるのは、L18のさだめだ。L18の滅びが始まるのが、このシナリオ。メルヴァ様は、マリアンヌ様を弑したにっくきL18を滅ぼすために、このシナリオを選ばれた――。たしかに、ルナがいては、グレンは、サルーディーバ様には惹かれない。そしてたくさんのことを知り過ぎたサルーディーバ様もまた、混乱されている。ルナがイシュメルを産むものと、己の心と葛藤しながら、イシュメル生誕のためなればと、グレンとルナを結び付けようとしている……」

 「どうしたというのだツアオ」

シエハザールが不審げに彼の大柄な体を揺すった。

 「おまえらしくもない」

 「分からぬ。このままいっては、いくらルナがいなくなっても、彼らは結ばれませぬ。――メルヴァ様、ほんとうに、ほんとうに、サルーディーバ様とグレンは、結ばれるのですな? ルナという娘を殺すことで」