すべてを収める、イシュメルの生誕のために。 今まで口を開かなかったメルヴァが、やっと口を開いた。 「それは間違いない。……ルナがわれらに殺された後、アズラエルは、宇宙船を降りてルナのもとから離れたことを生涯悔やむだろう。そしてグレンとサルーディーバ様の間には、ルナの死と、L18に関わる出来事によって、一つの連帯感が生まれる。それが彼らを結び付ける。彼らが男女の仲になるのもすぐだ」 「メルヴァ様、それは新しい予言ですか!?」 シエハザールは、まだこの予言を聞いていない。ツアオもだ。 「いや。……おまえたちにはあえて話していなかっただけだ。……サルーディーバ様はグレンと結ばれるが、グレンはすぐ宇宙船を降りる。グレンの結末は、先ほどと一緒だ。彼はL18で銃殺刑。サルーディーバ様は、アントニオのもとでイシュメルを産み、L03へ戻ってくる――そういう筋書きだ」 「ツアオ、これが証拠だ」 シエハザールが口を挟んだ。 「ルナという娘のZOOカードは、『月を眺める子ウサギ』だ」 「うさぎ、ですと……!?」 「そうだ。うさぎだ。……ZOOカードにおいて、うさぎの示すカードの意味を、おまえも知らないとは言わんだろう」 そう。うさぎのカードは、自らを犠牲にして、他者を救うカード。 マリアンヌもウサギのカードだった。マリアンヌのカードはなかなか出てこなくて、サルディオネの占いに、マリアンヌのカードが「ジャータカの子ウサギ」と出たのは、マリアンヌが失踪したのちだった。――すべてが、手遅れのとき。 「あの娘は、イシュメル誕生のために、真砂名の神に捧げられた贄なのだ。われらの手にかかり、死して、サルーディーバ様とグレンを結び付ける役を背負って生まれた」 ツアオはもはや反論はしなかった。だが、ひどく沈痛な顔をした。 「――ですが結局、サルーディーバ様は、愛するお方と生涯結ばれるというわけには、いかないのですな……」 グレンとサルーディーバの愛は、どの予言に従っても、ひと夜きりしか結ばれないのか。 「サルーディーバ様が、かわいそうだ……」 昔から、でかい図体をして一番心優しかった仲間の落胆に、シエハザールもメルヴァも、ただ黙って肩を叩いて慰めた。 「……これもさだめであれば、サルーディーバ様もお覚悟のうえだ」 シエハザールが言う。ツアオは、涙を拭って、メルヴァを責めた。 「それにしても、そんなにはっきりした予言があったのなら、なぜ今まで我らに教えてくれなかったのですか」 「おまえたちを、この先連れて行くわけにはいかないからだ」 メルヴァは、二人を諭すように言った。 「――シエハ、ツアオ」 メルヴァは彼ら二人に向き直って言った。 「L03の革命は終わった。長老会はもうL03には戻れん。L03は徐々に変わっていくだろう。おまえたちはL03に戻り、新たなL03を築くことに邁進するがいい。ここから先は、私の、私だけの任務だ」 「バカなことを仰いますな!」 ツアオが叫んだ。「我らは、最後まであなたについていくと決めました!」 「そのとおりです」 内臓の傷が治りきっていないシエハザールは、苦しげに息を吐きながら言った。 「メルヴァのさだめは、まだ終わっていません。イシュメルが誕生するための任務ならば、これもまた、メルヴァの任務ではありませんか! 私たちは、革命のために立ち上がったのではない、貴方のために立ち上がったのです! さあ。メルヴァ様、私のキズを最後までお治しください。そして我らを連れて行ってください!」 「シエハ……」 メルヴァもまた、苦しげに言った。 「神に刃を向けるのだぞ。おまえたちはそれが分かっているのか」 「私は、何万年とても、貴方と運命を共にします」 シエハザールの言葉に、ツアオも迷いなく頷いた。 「――分かった」 メルヴァは静かに跪き、L03の最大の感謝の礼を取った。三度お辞儀をし、舞う。 「おやめくださいメルヴァ様!!」 目上の者が、目下の者にする行為ではない。 「我らは同志だ。もはや主君も部下もない。――では、参ろう。同志よ」 傭兵アダムが待つ、L53の、バクスターの私邸へ――。 「――サルーディーバ様」 サルーディーバは、カザマとともに、サルーディーバの邸宅にいた。カザマはサルーディーバの好きなバターチャイを入れ、寄り添うように座った。サルーディーバは、何も見ていない。チャイも、カザマも、なにも。 「アントニオは、貴女を愛しています。それは間違いありません」 カザマは、サルーディーバの細い背を撫で、優しく言った。 「サルディオネさまのことも、愛しています。アントニオは大切にしてくれます。絶対に。どうか、彼と暮らしていくことを、考えてみてください」 サルーディーバは、返事をしない。 「貴女は、去年の誕生日がとても楽しかったと仰られた。アントニオとの日々は、貴女がそんなに難しく考えているようなものではない。去年の誕生日のような日々が、続くのですよ。それは貴女にとってもしあわせなことでしょう?」 サルーディーバのまるで動かなかった両手がピクリと動き、やがて顔を覆った。あふれる涙ごと、目を覆うために。 「だいじょうぶ。焦らなくていいのですよ。アントニオも私も、ついていますから」 カザマは、母親そのものの慈愛を込め、サルーディーバを抱きしめた。 「焦らないで。私たちと一緒に、一歩ずつ、貴女の新しい人生を築いていきましょう……」 「よお。遅かったな」 セルゲイがただいま、と帰った途端に、グレンのニヤケ顔が待っていた。 「泊りがけとは、よっぽど楽しかったみてえだな、男二人の花見が」 「うん。楽しかったよ」 何よりも一番、ルナちゃんとイチャつけたことが――といったら、この子はなんていうんだろう。 そろそろ日付が変わるころだ。グレンはシャワーを浴びたあとのようで、冷蔵庫からビールを出し、いい音をさせてプルトップを開ける。 セルゲイが、腕を組んでじーっとこっちを眺めている。 グレンは、「なんだよ」と言いかけ、セルゲイの顔を見て固まった。 「……」 「なに? どうしたの? グレン」 「あ、――いや、なんか、」 「なんか?」 グレンはためらいがちに呟いた。 「おまえ――なんか、――冗談ききそうにない顔してる」 素直に、「怖い」と言えないグレンの、精いっぱいの表現だった。 冗談のきかない顔……。いや、威厳があるといえばいいのか。 なんだこの、変な威厳は。 このあいだまでのセルゲイには、少なくともなかった。 「冗談きかない顔? きくよ、試してみて」 「い、いや、遠慮しとく……」 そういって背を向けたグレンだったが、いきなり後方から頭をわしわしっと撫でられて、驚いて振り返った。ほかのヤツだったら、条件反射で投げ倒しているところだ。 セルゲイの、不気味なくらい満面の笑顔がそこにあった。 「グレン」 グレンは、全身が、異様に張りつめているのに気付いた。セルゲイは、グレンの針金頭をぐしゃぐしゃと撫でた。 「――許してあげる」 「は?」 「さーって、ゆっくりシャワーでも浴びようかな」 グレンもアズラエルもいい子♪ だから、許してあげる♪ そう歌いながら浴室に入っていくセルゲイを、グレンはこれ以上ない恐怖の目で見送った。 「なあ! ルーイ!! 俺セルゲイになんかしたかな!?」 「は? セルゲイの買ってきたビール勝手に飲んだとかしたんじゃねえの?」 「そんなのいつもやってることだ!」 「ダメじゃねえか! 温厚なセルゲイせんせだって怒るぜそれは!」 「だ、だよな……。やっぱビールが原因か……」 「でも、セルゲイせんせだったら、すぐ怒ってそれで忘れそうな気もすっけど?」 「だよな!! だとしたらなんだ!? うああ、思い浮かばねえ〜!」 セルゲイの意味深なセリフは、それからしばらく、グレンを悩ませることになったのだった。
|