アントニオは、今度はとても真剣な顔をしていた。 「セルゲイさん、もしかしたら――ルナちゃんに危機が迫るかもしれないんです」 「……え?」 「それはまだだいぶ先のことだと思います。でも、おそらく貴方の前世である夜の神がそれを察して、出てきているんです。貴方は基本的に神の魂なのでバランスが取れている。普段なら、ほかの前世が今世の“セルゲイ”というあなたの人生を邪魔することはしない。ルナちゃんの危機を感じた時だけ、夜の神があなたの身体を使おうとする」 「め、迷惑極まりないですね……」 だが、セルゲイは思い出した。 バーベキューの時も、たしか、ルナがヤンキーの集団に向かっていった時から記憶がない。ルナの危機に反応して出てくるということなのか。となると、このあいだも、ルナが傭兵に襲われると思って。 「基本的にはあなた自身ですから、あなたを害するようなことはしません。受け入れてください」 そういわれても、簡単に頷けない。 「ルナちゃんのためですから」 そういわれると、否とは言えなくなる。 「……」 「あんまり重く考えないでください。そんなややこしい問題でもないです。用が済めば“彼”は消えますから」 本当にそうだろうか。セルゲイは、目に見えないものを見えると、簡単に割り切れるタイプではなかった。 「貴方が夜の神を受け入れれば、共存もできます。彼が強引に出てくることもなくなるでしょうし、あなたも記憶をなくさずにいれると思います」 「……本当ですか」 「保証します。……俺も最初は大変でした」 微笑むアントニオの顔を見ると、アントニオは苦笑していた。いつも太陽のような笑みをなくさない彼にしては、珍しい苦笑だ。 ――どう考えてもこの夜の神とかいう兄神は、とても過保護だ。 ルナが転びそうになっただけでも出てきそうな。 自分は、そこまで過保護ではないはずだが……。 「過保護? そうですねえ、夜の神は妹にはベッタベッタに甘かったですから」 「……分からなくもないですが」 ルナちゃんは可愛いし、あれだけ世間知らずだと、兄だったら不安にもなるだろう。 「太陽と真昼の神は、姉弟であまりベタベタしたとこないんですが、もうあの兄妹はイッチャイッチャ、夜ごと妹泣かせまくって、」 セルゲイは噎せた。何も飲んでいないのに。 「……夜ごっ、」 「オトナ向け神話だと、スッゴイですよねあの兄妹。オニイチャンが激しいから、昼間は妹さん良く寝てましたよ」 「……」 なんとなく、隠れたい気がするのは自分だけではなさそうだ。 「あの、――じゃあ私が夜の神なら、」 セルゲイは、気になっていたことを聞いた。 「アントニオさんはもしかして――太陽の神ですか」 「ご名答」 「じゃあ、真昼の神は――」 「セルゲイさんも知ってる人です」 明日、待ち合わせしてるんで、河原で会えます。とアントニオは言い、 「カザマさんですよ」と今度はにっこりと、満面の笑みを見せた。 「ルナちゃんに危機が訪れるかもしれない、というのはまだ可能性なんですけど……。俺たちもまだ、はっきりしたことは分からないんです」 アントニオは言った。 「貴方が、夜の神の生まれ変わりだということは、宇宙船に乗ったときから分かっていました。あなたがルナちゃんと運命的な出会いをするだろうということも。けれど、貴方は今世、こういった不可思議なこととは縁もなく育ってきたから、どう説明しようか迷ってました」 でも、いつか話さなければいけないと思っていた。ルナちゃんの守りをしっかり固めるためにも。貴方には、まだ、受け入れがたいことかもしれませんが……。 (……だろうな。あのバーベキューパーティーのことや、このあいだのことがなかったら、俺も相手にしなかったかもしれない) アントニオは夕飯はどうすると聞いてきたが、セルゲイは全く食欲がなかった。だからこのまま寝ることにして、アントニオは明日朝、また迎えに来ますと言って部屋を出て行った。少し前のことだ。 セルゲイは、昼間たっぷり汗をかいたので、室内にある露天風呂に入った。 汗を流し、さっぱりしたので、少しホッとした。着替えなど持ってきていないので、フロントの売店で下着と靴下を買い、フロントにクリーニングの有無を聞くと、明日朝まで間に合わせてくれると言ったので、シャツとスラックスとをクリーニングに出した。 部屋に用意されていた不思議な服――キモノのようなものは、LLサイズだったが、セルゲイはくるぶしが完全に出てしまう。腕も丈が足りなかった。一晩くらいのこと、まあいいかと着て、布団に横になった。 セルゲイは、布団に横になったまま考えた。 アントニオという人物は好きだ。彼と友人になれることは好ましいことだし、できるなら、宇宙船を降りたのちも交流を続けたいと思う。 だが、理屈で割り切れない話を受け入れるかどうかということは、別だ。 セルゲイは、そういった目に見えないものの類をまるで受けつけないわけではない。事実、ルナにしろグレンにしろ、もしかしたら前世で出会っていたかもな、という淡く懐かしい思いはある。 だが、具体的な名前が出てくるのは別だ。 疑いたくもなる。 まだ信じられない。自分が夜の神の生まれ変わりだなんて。それから、アレクセイなんとか? あとで調べてみようとは思うが、本当に自分の前世が、彼なのか。 それに、ルナちゃんが、月の女神? (……悪いが、ミスキャストのような気がする) ひとのことは言えないが。ルナは、ひと目で魂を奪われるような美しさの女神というよりか、ほややんとした癒し系マスコットキャラクターだ。 そこが、ルナのいいところ。セルゲイが、好きなところだ。 いつまでも、子供のような無邪気さを失わないところが。 まあ……信じる信じないより先に、記憶障害だけは勘弁してほしい。 自分の日常生活に影響を及ぼさないのなら、前世だろうが、夜の神だろうがアレクセイだろうが、居座っていても構わない。 そう思った途端、なにかが胸の奥にずしんとおさまる感じがして、セルゲイは嫌な汗をかいた。起き上がって、恐る恐る自分の胸を覗き込んだが、異常はない。目を瞑って気のせいだ、と思うことにした。 寝よう。こういうときは寝るに限る。 食欲も失せるほどくたびれているのに、まったく睡魔が襲ってこない。目ばかりさえていた。よくある。徹夜で書類をまとめたときなど、身体は疲れているのに、妙に頭ばかりさえている、そんな感覚。 障子は閉めたが、ライトアップがまだ明るい。零時まで点いているままらしい。明るすぎたら、フロントに言って消してもらえばいいとアントニオは言ったが、このあかりは別に厭な明かりではない。セルゲイは逆に、暗いのがダメだ。 セルゲイはうとうとと微睡んだ。深く眠るわけでもない、浅い眠りを繰り返し、ふっと明かりが消え、頭のどこかで、零時を過ぎたな、と認識した。 完全な闇は困る。セルゲイは苦手だ。 参った。まったくの暗闇になるとは思わなかった。 そう思ってライトを探そうとしたが、ふいに気付いた。 暗闇が、怖くない。 子供のころのトラウマで、完全な闇になると、途端に全身から血の気が引いて、身体が震えだすというのに。いつもは、身体が震えて動かなくなる前に、明かりをつけなければならない。なのに今は、手すら震えていない。 それどころか、なぜこんな闇が怖かったのだろうと思う自分がいる。
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