『エリックさんは、もう、亡くなっちまったんだねえ……。お礼を言えなかったのが唯一の心残りだけど……あの人のお蔭で、エマルを育てていけたんだから』 「おばあちゃん、エリックさんの本のこと知ってる? 読んだ?」 『いいや。知ってるけど、読んでないよ』 おばあちゃんは首を振った。 『バラディアさんが送ってくれたけれどもね、ばあちゃん、まだ一度も読んでない』 ダメなんだよ、やっぱり。心臓がドキドキしちまって、読めないんだ、とおばあちゃんは苦笑した。 「――ばあちゃんは、地球に帰ることは、考えなかったのか?」 アズラエルは、これも聞きたかったらしい。それは、ルナも聞きたいことの一つだった。ふたりは、口を噤んでおばあちゃんの答えを待ったが、おばあちゃんは、寂しそうな顔をして、また首を振った。 『あたしはね、もう地球には帰れないんだよ』 「ええっ!?」 ――おばあちゃんは、もう地球には帰れない? 『あたしの一族は、代々地球に住んでいた一族だけれどもね、地球は、あんたたちが今乗ってる宇宙船と決まりはおんなじ。――三か月以上そこを離れたら、もう戻れなくなるのさ。どんな理由があってもね。地球からL18に行くには、三か月以上はかかる。……あたしは、それを承知で地球を飛び出した。エマルを怒れないね。無鉄砲はあたしも同じさ。あたしが地球に帰るには、もう一度、あんたらが乗ってる宇宙船に乗って、地球に行かなきゃならないのさ』 「……そうなんだ」 『とてもじゃないが、地球行き宇宙船のチケットを買う金は、あたしにはないからね。でも、あたしはL77でも幸せに暮らしてるよ。地球に戻らなくてもね』 ルナは、サルディオネの占いを思い出していた。 ルナが、ツキヨおばあちゃんと宇宙船に乗るケースもあったのだ。それはルナは、今の今まで、地球のそんなルールは知らなかったし、ルナにチケットが来たわけではなかったけれど、ちょっとだけ恨めしく思った。 あたしにチケットが来ていたら、おばあちゃんを乗せてあげれたかもしれないのに――。 おばあちゃんは、ルナがこの宇宙船に乗ると言った時も、そんなことはなにひとつ言わなかった。言ってくれれば――もしかしたら、おばあちゃんを乗せてあげることができたかもしれない。今となっては、可能性にしかすぎないけれど。 でもおばあちゃんのことだから、ルナにチケットが来たとしても、自分を連れていってくれとは決して言わないだろう。たとえ、自分が地球に帰りたくても。 「なあ、ばあちゃん――ユキトじいちゃんのことだが……、」 『……その話は、今度しようかね。その話も長い話になる。今日全部、しちまうことはないじゃないか』 「――それもそうだな」 おばあちゃんは、急須から湯呑に茶を注ぎ、喋り尽くして渇いたのどを潤した。 『そういや、アズ、おまえ、このことは家族に話したのかい』 「いや――まだだ。……俺も今日、知ったばかりなんだ」 アズラエルは、ふう、と息をついてソファにもたれ掛った。アズラエルもまだ気持ちが落ち着いていないのだ。彼の混乱は、ルナにも分かっていた。アズラエルは、さっきから引っ切り無しに顎鬚に触れている。 『そうだったのかい、リンファンさんたちには?』 「まだ。おばーちゃんが一等先」 『……そうかい』 おばあちゃんは、なにか考えるようにうつむいた後、 『そうだねえ、……アズ、お前の家族にはなんとかなりそうなもんだけど、ルナ、お前の家族には言いづらいねえ』 アズラエルが、その言葉に固まった。 そうだ。――アズラエルは、かの「歩く冷蔵庫」に、「娘さんをください」と言わねばならなくなったのだ。 『娘の父親なんて、大概そんなもんだけどねえ。ドローレスさんは筋金入りだよ。ルナを目に入れても痛くないほど可愛がってるからね。分からなくもないがね。……あの二人は、一度息子さんを亡くしてるわけだし。心配も人一倍だよ』 「……ばあちゃん、プレッシャーかけないでくれよ……」 アズラエルの困惑を面白そうに眺めながら、ツキヨおばあちゃんは追い打ちをかけた。 『おや? あんたはアダムさんと顔は似てても、中身はぜんぜん違うみたいだね。アダムさんは、最初っから最後まで堂々としてたもんだよ。ちゃあんとあたしの前で、断りもなくエマルと結婚した非礼をわびて、「俺が絶対、命に代えてもエマルを守ります」って、あたしのまえで誓ってくれたよ。ちゃあんとエマルを愛してるってねえ、あたしのまえで言ってくれた。エマルもいい男を捕まえたもんだと感心したよ。ま、ユキト爺ちゃんにはアダムさんも叶わないがね――あんたはどうなんだい。生半可な気持ちでルナに手を出すんなら、ドローレスさんやリンファンさんより先に、あたしが承知しないよ』 おばあちゃんにじろりと睨まれて、アズラエルは両手を広げた。降参、のポーズだ。 ルナは、おばあちゃんにアズラエルの前歴――L18にいたころの派手な交際関係を暴露したらどうなるだろうと一瞬思ったが、言わないでおいた。これもアズラエルの名誉と、コトを拗らせないためだ。パパが知ったらアズが殺される。ような気がする。 それにしてもおばあちゃんはなかなか強者で、迫力のある目でじっとアズラエルを睨み据えている――こういうところはやっぱり、エマルさんの親なのだ。そっくりだとルナは思った。 アズラエルはもとから肌の色が濃いので、赤面してもあまりわからないが、本気で参っているのだけは分かる様子だ。ルナはしかたないなあ、と助け船を出すことにした。 「おばあちゃん、あたしとアズはうまくいってるよ」 『そうかい?』 「うん! アズはいっつもやさしいし、ごはんも作ってくれるし、「ばあちゃん、」 ルナの言葉を遮って、アズラエルは真面目な顔で、画面に向き直った。 「俺はルナを愛してる」 ルナは、色が白いので覿面に変化が分かる。自分でもだ。かーっと、頬が熱くなるのを、ルナは自分でも感じた。 「――こんなにひとりの女を愛したのははじめてなんだ。俺自身でも戸惑ってるが――片時も離したくないぐらい、惚れてるのは確かだ」 「ア、 アズ?」 アズラエルは参っていたのではなかった。どう伝えようか――ルナへの愛を。言葉を選んでいただけだったのだ。 「自分を見失うっていうのが、こういうことだって分かったよ。コイツに、俺がどれだけ惚れてるか分からせるために、バカなことしまくったと思ってる。愛してるんだ、ルナを。どうしようもないくらい、――自分でもバカだと思ってることをやらかしちまうくらい――本気の恋は、人をバカにする」 ルナは思った。 今、アズラエルをそこのパソコンで殴ったら、あたしがおばあちゃんに怒られるんだろうか。それともアズラエル殺害容疑で逮捕されるだろうか。 とにかく、今なら恥ずかしすぎて死ねる。 穴があったら隠れたいルナの心境とは全く関係なく、アズラエルはどこまでも真剣だった。
|