アズラエルは、クラウドの言うとおりジムにいた。K07区のスポーツセンターにある、トレーニング・ルーム。

 コンピューターの格闘マシーンで、アズラエルは戦っていた。手にはボクシングのグローブ、足に脛当てをつけ、頭はヘルメットの様なもので防護し、架空の敵と殴り合う。ゲームのようなものだが、殴れば手ごたえはあるし、殴り返されれば多少の衝撃はある。一応、軍人の格闘演習用に作られたマシーンだ。

 アズラエルははじめて、この機械を使っていた。軍人用に用意されたこのマシーンに近づくやつは誰もいない。くだらなすぎるからだ。こんな機械を相手にしているより、誰か仲間を誘って本物の格闘演習をし、汗を流したほうがいいに決まっている。

 使ってみたやつの感想は、「クソだ」の一言に尽きた。

 アズラエルも、くだらない、のひとことで済ませていたこの機械に、厄介になる日が来るとは思わなかった。とにかくイライラが頂点に達して、だれかれ構わず殴りたくなっていたのだ。

 

 アズラエルは、もとから辛抱強い性格ではない。メフラー商社に入ったときも、メフラー親父に、「おまえはまず、その短気を治せ」と言われたくらいなのだ。

 ムカついたら人を殴る、その癖を改めろ、と。

 アダムのように、何があっても大きく構えられるようになってこそ、一人前の傭兵だと言われたから、それなりに努力はしてきた。だが、時折、歯止めがきかなくなるときがある。さすがに女子供を殴ったことはないが、その八つ当たりがよそへ行くのは確かだった。

 

 (クッソ……!)

 

 アズラエルは、難易度MAXのミッションもクリアしてしまった。この機械はまさにクズだ。二、三発殴り返されただけで、こちらにダメージはほとんどなく、システムも簡単すぎる。ほんとうにくだらないマシンだった。軍人用ならもう少し難しくしろとアズラエルは吐き捨て、防具を放り投げて、サンドバッグのほうへ行った。誰も使っていない。グローブをつけたまま思い切り殴ったら、ものすごい音がして、周囲の人間が怯えた顔でアズラエルのほうを見た。

 

 (……クソ!)

 

 もう一度、殴る。尋常でない音がした。

 アズラエルの頭の中は、ルナでいっぱいだった。

 ルナへの愛しさと、苛立ちと、ムカつきと、腹立たしさと、それから、――ルナのやわらかい身体。

 

 「ウラああああァアアっ!!!!!」

 

 みしっとサンドバッグが音を立てて軋む。

 (なんでなんだ。どうしてなんだ)

 

 ――これじゃ、付き合う前と、全然変わらねえ。

 

 アズラエルは、もう一度、すさまじい勢いでサンドバッグを殴った。

 

 ルナは、クラウドをさらいに来た傭兵のお蔭で怖い思いもしたし、しばらく落ち着くまでそっとしておこうと思った。カザマが、気分転換に、花見に連れて行くと言ったから、まあ、サルーディーバにさえ会わなきゃいい。女同士で楽しんでこいと送り出した。

 

 なのに、どうして泣いて帰ってくるんだ。

 一人で。

 

 ぐずぐず泣きながらひとりでソファで寝ちまって、次の日も「何があった」と聞いても泣きはらした変な笑顔でごまかして、答えようともしない。素直でないのにも、慣れてきた。傭兵に襲われたときも素直に怖いと言えばいいのに、言わない強がりもアイツらしいと言えばアイツらしい。だが、何があったか言わないというのは別だ。

カザマは、次の日しっかり電話を寄越した。カザマから話を聞いて、頭に血が上ったが、俺は噴火するのをギリギリで堪えて、ルナに聞いた。「……サルーディーバがおまえにくだらんことを言ったって?」

 ルナはとたんにうりゅうりゅと泣きだして、俺は、なだめるのに一苦労だった。だが。

(俺はルナの「おにいちゃん」じゃない)

 他にも何かあったはずだ。

 セルゲイと帰ろうとして駐車場に行って、どうして一人で帰ってくる?

 ルナはセルゲイにキスされた、とボソボソと呟いた。

 俺は当たり前だと怒鳴り、アイツは、最初からお前のことが好きだった、おまえが勝手に兄扱いしてただけだろう、と言ったら、ルナはまた泣いた。

 

 (アイツは、俺のことも、セルゲイのことも、――下手をすればグレンだって、まだ男に見てないのか?)

 

 セルゲイは傷ついただろうな、おまえに兄扱いされて、と言ったら、ルナはあの、いつもの、何を考えているか分からない顔で黙りこくった。

 その夜はもちろん、ヤラせてはくれなかった。なのに、夜は必ず俺の隣に寝る。怒っているのかと思えばそうでもないのだ。「オヤスミ、アズ」なんて可愛い声で呟いて、腕に、白い腕を絡みつかせて。あのやわらかい身体が擦り付いてくるだけで、頭は沸騰しそうになる。

 

 グレンの件がとりあえず落ち着いたから、ヤろうと思ったら、生理だと言われた。別に俺は生理でもいいといったら、ルナが嫌だと言ったから、終わるまで待つしかなかった。避妊は一応しているが、ルナにピルは飲まないのかと聞いたら、ピルって何と答えが返ってきた。仕方ない、今まで男っ気のなかったルナには用のない代物だったのだろう。ミシェルはピルの存在は知っていたが、「あたし生理ヒドイから使ってるんだ」とよくわからない返答が返ってきた。……まあいい。とにかく、生理が終わればヤレるんだ。

 

 ……と、思っていた。

 

 いつ終わる? 生理は。終わったという報告がない。

 手を出していいならそう言ってくれ。アイツは、何も言わない。いつものように、可愛く「おやすみ、アズ」と言って寝る。俺の腕の中で。ガキみたいに無邪気に。

 

 ルナの匂い。

 ルナの吐息。

 ルナの半開きの唇。

 ルナの……、

 

 「クッソお!! あの小悪魔ああああ!!!」

 

 もう一度殴ったら、ギャリッと鈍い音がして、サンドバッグを支えていた鎖がちぎれた。ドスーンと、サンドバッグが倒れる。周囲がざわついて、こっちを見ている。

 「あ……ヤベ」

さすがに、我に返った。

 

 ――どうして、俺ばかりこんなにルナが好きなのだろう。

 ルナはそうでもないのか。俺が欲しくないのか。

 俺は、四六時中ルナが欲しいのに。

やっぱり、グレンのアホなどどうなっても良かったから、ルナが誘ってきたあの日にヤッておくべきだったのだ。

 

 (ああ……抱きたい。ルナが欲しい。ヤリてえ……、ヤリまくりてえ)

 

 ルナが酸欠起こすまで、キスしたい。

あの白くてやわっこい肌に噛みつきたい。舐めまわしたい。

 ルナが怖がるのを承知で、奥まで突っ込みたい。

 孕むほど注ぎ続けてやったっていいんだ。

 あの泣き顔。――たまらん。

 ルナの顔、本当に好きな、あの黒いつぶらな目。あの可愛い顔が泣き顔に歪むのを見るとたまらなくなる。