「グレンもK05に行ったの!?」

 ルナの叫びと、アズラエルの、それはそれはもう、嫌そうな顔。

 「うん。アイツはそろそろ、宿に着くころじゃねえかな」

 「……椿の宿に? アイツも? 予約して?」

 冗談じゃねえ。どうしてアイツと、椿の宿で鉢合わせなきゃいけねえんだ。

 アズラエルの据わった目は、雄弁にそう、語っていた。

 「予約かどうかは知らねえけど、午後から出てったぜ」

 ルーイがおかしそうに言った。

 

 ルナとアズラエルは、レオナの部屋とラガーで飲んだ飲み物で、本当におなかがいっぱいだったので、食事は断った。エレナは大層不満げだったが。

 だが紙袋を受け取ったエレナはすぐ機嫌を直し、歓声を上げて、「アズラエル、ありがとう!」と言った。ジュリがすぐ食べたがったが、「あんた! 夕飯のまえに菓子はダメだよ!」としっかりエレナに躾けられていた。宇宙船に入った当初に比べたら、ジュリはかなり「いい子」になってはきているが、根本的なところは何も変わらない。

 

 「椿の宿って、そんな変なところなの」

 カレンが夕飯の用意を中断して、リビングに来た。最近は、夕方になると体がだるくなるエレナにかわって、カレンが夕飯を作っているらしい。

 「セルゲイが、――あんな体験したのはじめてだって」

 

 「セルゲイ、どうかしたの?」 

 今日はセルゲイは、この場にはいない。自分の担当役員と、飲みに行ったらしい。

 「ルナ、だってあんたもあっちでセルゲイにあったんでしょ? 聞かなかったの?」

 「や、あれはルナには言えねえよ」

 「――そっか。ま、そうかもね……」

 カレンとルーイの会話に、ルナは首をかしげる。

 変なことって、真砂名神社に雷が落ちたことだろうか? セルゲイ、夜の神だって言われて、ララさんにファイルで叩かれてたっけ……。

 へんなことってなんだったろう、と、ルナが、片っ端から記憶を探っていると、

 

 「セルゲイ、ルナちゃんとエッチしたんだって!」

 

 ジュリが、相変わらず見事に空気をクラッシュさせた。

 

 「あァ!? キスだけじゃなかったのか!?」

 アズラエルのブチ切れに、ルナだけではなく、周囲も慌てた。

 「あ、あああああたしセルゲイとえっちなんてしてなぃょ……!?」

ルナは、全く心当たりなどない。「このバカ!」エレナがジュリの頭を引っぱたいた。

「どうしてあんたは、とんでもないことばっか、とんでもないタイミングで言うんだよ!」

 

 「ア、アズラエル、落ち着けって。――違うって。ルナはルナでも、ルナちゃん違い」

 ルーイが、どうどう、とアズラエルを押さえて言った。

 「ルナは、セルゲイさんと寝ちゃいないよ」「うん、ルナとは寝てない」

 エレナもカレンも否定してくれたので、ルナは胸をなでおろした。本当に、セルゲイとエッチなんかしていない。川原でキスされただけだ。それすら、アズラエルにとっては怒髪天ものだったのに。

 

 「どういうことだ」

 ドスの利いたアズラエルの声に、

 「――なんつうか、――不思議な話なんだけどよ」

 ルーイもまた、半信半疑といった形で、セルゲイが椿の宿で体験した、ということをかいつまんで話した。

 

 セルゲイが椿の宿で泊まった際に、ルナが現れた。そのルナは、長い黒髪で、エキゾチックな桃の香りを漂わせた――女神みたいな美しさで、思わず理性が吹っ飛んだ、と。

 

 「女神みたいなあたし?」

 「そ。ルナの一億倍の色気だって」

 「いちおくばいのいろけ!!」

 ルナは絶叫した。不公平だ。なんで、あたしなのに色気があるの! あたしもその色気が欲しい、一億分の一でもいい。

 「ルナ、一億分の一じゃ、今のまんまだよ」

 カレンが突っ込む。

 

 「――夢じゃねえのか」

 アズラエルもしかめっ面で聞いたが、カレンが首を振る。

 「セルゲイも、夢だと思いたいんだけど、異様に生々しかったんだって。しっかり布団に情事の名残とかあったらしいし。ヤリまくったのは間違いないってさ」

 「それって――ほんとにルナなのか」

 アズラエルの顔は、いかにも疑ってます、という顔だった。椿の宿の話はルナから聞いて、ある程度は分かっている。信じがたいことが起こるところなのも分かっている。だが――。

 「ルナだって、セルゲイは言ってたよ? ルナちゃんって呼んでも、返事したし、ちゃんとセルゲイの名前も呼んだって」

 「……」

 アズラエルはじっとりとルナを睨んだが、まちがいなくその日は、ルナは自分とベッドに寝ていた。――こちらは、セックスのセの字もなかったが。

 

 「セルゲイせんせが、酔っぱらったとはいえ、そんな現実的じゃねえ話するなんてさ、……椿の宿ってやっぱなんかあるって。ホラー・スポットだって!」

 ルーイが、ぞっとしない顔でぶるぶる首を振った。「季節的にまだ早いぜホラーは!」

 

 「セルゲイ、K05から帰ってきてしばらくおかしかったってグレンがさあ、でも、あたしらは別におかしいとか感じなかったんだけど。で、グレンが何があったかセルゲイに吐かせるって、飲みつぶしてさ……。ほら、セルゲイ、弱いわけじゃないけど、グレンには敵わないし。で、ベロンベロンに酔わせて、聞きだしたってわけ」

 「で――?」

 「で? って? ……決まってんじゃんか。グレン、その一億倍キレイなルナに会いに行ったのよ」

 ルナとアズラエルは、呆気にとられた。

 

 「あたしはここにいるよ!?」

 ルナは叫んだ。「グレン、だれに会いに行ったの!」

 

 「そうだよ、ルナ。女は色気じゃない。……あたしらだって、グレンを止めたんだよ?」

 エレナがルナを思いやってそう言ったが、色気を十二分に備えているエレナのセリフは、全く慰めにならなかった。

 「だけどさ、その椿の宿のルナを見てみたいって、聞かなくてさ」

 「でもセルゲイせんせえは、グレンの前には現れないかもってゆったよ?」

 ジュリが懲りずに口を出す。「なんで?」ルナが聞く。

 「そのすーっごい綺麗なルナちゃん、セルゲイせんせのこと、お兄ちゃんってゆったんだって。ものすごくお兄ちゃん大好きっこらしいの。だから、お兄ちゃんの前にしか出てこないんじゃない? ルナちゃんが椿の宿にいた時、出てこなかったんでしょ?」

 ルナは頷いた。椿の宿には一週間もいたが、そんな人は夢にすら出てこなかった。

 

 「――そんなにすげえのか」

 アズラエルの口調が少し変わった。興味がわいたのだろう。なにせ、このルナに、色っぽさがプラスされたルナである。アズラエルにとっては、まさにパーフェクトともいえる好みのルナだ。

 「色気のあるルナだって?」

 その話が本当かどうかは、どうでもいい。夢でもなんでも、見るだけなら見てみたい、とアズラエルの顔は言っていた。

 

 まるでルナには、色気が皆無だと言っているような口ぶりだ。でかけるまえの、ルナの哀れなまでの失敗が――ルナにとっては黒歴史――が蘇る。

 ルナなりに、セクシー路線を追求してみたのに、アズは綺麗とも言ってくれなかった。

さっきから、綺麗なルナちゃん、一億倍の色気、などと、ルナのトラウマ心をぐさぐさ突き刺してくれる語句が目白押しだ。

 

 ――どうせあたしは、綺麗じゃないし、色気もないもん!

 

 ほっぺたは膨らんで、ぷしゅうとしぼんだ。涙が出そう。