さて。

 ルナは、ほっぺたをぱんぱんに膨らませて荷造りをした。月を眺める子ウサギ返上――月を眺める子リス、でもいいくらい、ほっぺたを限界まで膨らませて荷造りをした。

 

 一ヶ月の旅行って、どれだけ用意すればいいんだろう。

 

 ルナは思ったが、アズラエルに聞く気もなくて、旅行用バッグにもさもさと服を詰め、洗面用具を入れ、――いつもどおりのふわふわワンピースとカーディガンに着替えて、現れた。

 ルナがふて腐れていることを、全く見ないふりをしているアズラエルは、「用意できたか」と言って、ルナが引きずってきた大きなバッグを、サッサと外に持ち出した。車のトランクを開け、運び入れている音がする。

 ルナがだらだらとサンダルを履き、カギを閉めて階下へいくと、もうエンジンのかかったアズラエルの車が、スタンバイしている。ミシェルとクラウドも、見送りのために外へ出ていた。

 

 「おみやげよろしくね〜〜♪」

 ミシェルがぶんぶんと両腕を振っている。ルナは気分的には最低のまま、助手席に乗って出発した。

 

 「……」

 「……おい、いつまで拗ねてんだ」

 呆れたようなアズラエルの声が、隣からする。

 「あのな、無理すんなって、前から言ってただろ? おまえは、おまえらしくしてりゃいいんだよ」

 「……」

 たしかに、ちょっとセクシー路線は失敗したと思う。だけど、あんなに怒らなくても。

 

 「……そんなにセクシーになりてえのか」

 「……」

 「おとなっぽくしてえのか?」

 「……うん」

 ルナがむっつりとしたまま頷くと、「分かった、分かった」と返ってきた。アズラエルの大きな掌が、ぽす、とルナの頭の上に乗せられて。

 「大人っぽくしてやるから、機嫌なおせ。いつまでもふて腐れてると、エレナのとこ連れてかねえぞ」

 「エレナさん?」

 ルナは驚いて、アズラエルを見た。

 「旅行じゃないの? エレナさんも連れてくの?」

 「まさか」

 アズラエルは笑った。

 「レモンゼリーとタルトをな、届けるだけ」

 アズラエルがさっき作っていた菓子は、レモンゼリーと、桃のタルトだった。箱に入ったレモンゼリーとタルトの入った紙袋が三つ、後部座席に乗せられている。

 

 「だけどアズ、こっちからいくの? 高速乗るの?」

 「先にK20に行く。レオナにも持っていくんだ」

 「レオナさん」

 レオナとバーガスの居住区、K20はルナたちの区画K27の隣だ。アズラエルは車を走らせ、バーガス夫妻のマンションに着いた。

 

 「おっきいマンションだね!」

 ルナが首が痛くなるほど見上げた高層マンションが、夫婦の住処だ。広い地下駐車場に車をとめ、アズラエルとルナはエレベーターで、三十五階の夫婦の部屋に向かう。

 インターフォンを鳴らすと、「誰だい?」とレオナの声が。「俺だ」のアズラエルの声に、急に通信が切れ、間髪入れずドアが開いた。そこにはいつもの、タンクトップ姿のレオナがいた。

 

 「珍しいやつが来たね。おや、うさこちゃんも一緒かい! 入んな、バーガスは留守だけどね」

 「邪魔するぞ」

 アズラエルに促され、「お邪魔します」とルナも部屋に入った。入ってすぐ、まるで一つの部屋のような空間が現れたが、そこはただの廊下だった。窓が多く、明るい室内。ルナは、通されたリビングで歓声を上げた。

 けっこうな広さのリビングの向こうは一面、ガラス張りだったのだ。町が、遠くまで見渡せるほどの。

 

 「すげえ部屋だな」

 アズラエルも窓際へ行き、街を見下ろして感嘆の声を上げた。これは、夜景も美しいだろう。

 「お前らの部屋、ホテル並みじゃねえか」

 「最近やっと慣れてきたよ! バグムントがあたしらを最初に連れてきたのが、ここだったんだもの。家賃は高めだったけど、グレン坊やが住んでるK35の部屋と大して変わらないよ――なんなら、あんたらもここに引っ越してくればいいじゃないか。三十五階のフロア、全部空いてんだ」

 「ほんとにか」

 

 K35くらいの家賃で住めるなら、悪くねえな、とアズラエルが呟いている。ルナは少し嫌な予感がしてアズラエルのシャツの裾を引っ張ったが、アズラエルはルナの頭をぽてぽて撫でたまま、街を見下ろしている。

 

 ――アズ? このあいだ引っ越したばっかりだよ?

 

 「うん。両隣はいないし、結構寂しいもんだよ。三十二階まで降りると、やっと人がいるけどね、なんかL5系から来た高慢ちきな夫婦でさ、うちらとは合わないよ。あとね三十階に、宇宙船の役員だって人が住んでる」

 「へえ。宇宙船の役員もいるのか」

 「だけどね、旦那さんは忙しいんだかずっと留守にしてる。半年は留守なんだって。――この宇宙船動かしてる作業員の人、だとか言ってたな。――奥さんとはたまに話すよ。一階のロビーにさ、レストランあるんだよ。結構おいしくてさ、たまにおやつ食べにいったりするのさ。奥さんとは、そこで知り合った。この近所じゃ、あのひとだけが唯一の話し相手だね」

 「そんなにヒマなら、おまえもムスタファに雇われりゃよかったじゃねえか」

 「バーガスが来るなっていうんだよ! あたしに来るなって言うとこ見りゃ、どんな悪さしてんだか、」

 

 宇宙船に入ったころは毎日、ドラマばっかり見てたよ、あれじゃ気も沈むってもんさ!とレオナはぺちゃくちゃ喋りながら、甘いシロップの入った冷たい紅茶を、三人分入れて持ってきた。

 「はい。うさこちゃんには、いちごあげようね」

 ルナにだけ、ガラスの器に入ったいちごが与えられた。どうも、バーガス夫妻には、ルナは年相応に見られていない。口調も態度も、五歳児扱いである。おまけに名前を覚えていないわけではないのだろうが、バーガスもレオナも、そろってルナを「うさこちゃん」と呼ぶ。

夫婦に全く悪気はないのだ。むしろ、ルナを可愛がってくれている。

 

 「いい眺めだろ。……そういやあんた、初めてじゃないか、あたしらの部屋に来たの」

 「そういや、そうだな」

 「たまにゃ、うさこちゃん連れて遊びにおいでよ! うちでだったら、いくら呑んでもかまやしないからさ。……ほら、うさこちゃん、ちょっとこっちおいで」

 ルナを、レオナは窓際に連れて行く。ルナは高所恐怖症のところがあるのでちょっと怖かったが、レオナもアズラエルも傍にいるので、恐る恐る近づいた。

 「ほら、あそこごらんよ。……見える? 天気がいいともっとはっきり見えるんだけどね」

 レオナが指さしたほうにルナは目を凝らした。

 

 「――あ!」

 ルナはびっくりして叫んだ。

 「海だ!!」