七十話 記憶の扉




 

 「――ルゥ。……ルゥ、起きろ」

 「――んにゃ? ……、あじゅ、着いた……?」

 「いや。まだだ」

 

 ルナは目を開けた。陽はとっくに暮れて真っ暗。店舗の灯りで、周囲が山中だとわかる。アズラエルがルナのほっぺたをぷにぷに突ついて、起こしていた。

 「椿の宿まであと一時間ってとこだ。……トイレは?」

 「ううん。いい」

 「腹減ってねえか」                 

 「へった」

 ルナは寝ぼけ眼を擦りながら、身を起こした。

 

 数時間まえ、泣きながらエレナのたちのマンションから出発し――ルナは怒ってふて寝した。アズラエルとしばらく口を利かないと、頑なに宣言して。アズラエルは呆れるだけで何も言わなかったし、すぐふて寝に入ったので、実際、口はきいていないが。

 

 「……はれ? こんびに?」

 

 アズラエルが車を止めているのは、コンビニエンスストアの駐車場だ。

 「山ンなかは、ここ一か所だけみてえだな」

 ルナは、一番最初にK05に来たときも車中で爆睡していたし、二度目にカザマときたときも、朝早く出たせいか途中で眠くなり、着くまで寝ていた。コンビニが道中にあるなんて知らなかった。こんな山の中に。

 

 「そこの電話で椿の宿に電話したらよ、」

 アズラエルはタバコを吹かしながら言った。コンビニの外に公衆電話がある。

 「宿内のレストランは二十時まで。ルーム・サービスは二十三時がラストオーダーだそうだ。チェック・インは零時までだいじょうぶらしいがな。今日はたぶんもう間に合わねえから、このコンビニで何か買って食ったほうがいい。K05は、あまり夜遅くまで空いてるレストラン、ねえんだとよ」

 「……うん。わかった」

 車内の時計は、二十二時を指していた。アズラエルはタバコをもみ消し、ルナにおいで、というように両手を広げた。

 ルナは気づいた。

 

 「……アズ! あたしのサンダルがない!」

 「分かってるよ」

 今日のアズラエルは、呆れてばかりいる気がする。

 「俺もさっき気づいた。エレナのとこに忘れてきたんだな。明日、K05のどっかで買ってやるから、今日は我慢しろ」

 「――うん」

 ルナは寝ぼけたままなのか、半開きの目でアズの首根っこに抱きついた。いったん寝たせいで感情はリセットされたのか、今は拗ねても、怒ってもいない。寝ぼけているだけかもしれないが。

アズラエルは、かくん、かくん、と頭が揺れるルナを抱えたままコンビニへ入る。

 

 「いらっさいませ〜〜♪」

 

 ずいぶん陽気な店員だ。店内はひとりの店員以外、誰もいなかった。アズラエルはカゴを持つと、まっすぐ軽食が置いてあるコーナーへ向かい、寝ぼけルナを棚へ向けた。

「ほら、カゴに食いたいモン取って入れろ」

 「あたし、アズと口きかないことにしたんだもん」

 今頃思い出したらしい。アズラエルはチキン・サンドやハンバーガーの類をカゴに入れながら言った。

 「口きかなくてもいいから、食いたいモンを入れろ」

 「……」

 

 ルナは、アズラエルの片腕にぶら下がったまま、たらこのおにぎりをひとつカゴに入れ、それからぼうっとあたりを眺め、またたらこのおにぎりに手を伸ばしたので、アズラエルは制した。

 「二個目は違うやつにしろ。なんでおまえは好きなものっていうと、そればっか食うんだ」

 「アズ、あたしのママより口うるさい」

 「うるせえ。犯すぞ」

 「アズだってチキン・サンドみっつもいれてるよ!」

 「俺はほかにも食うんだよ。大体おまえは最近野菜不足だ。サラダは食わせるぞ、絶対にな」

 「やさいもたべてるもん!」

 「ウソつけ。菓子ばっか食いやがって」

 「たらこおにぎりふたつがいい!」

 「じゃあサラダも食うんだぞ? ちゃんとな」

 アズラエルはサラダをカゴにいれた。

 店員が後ろで、笑いをまったく堪えていないのを目撃し、アズラエルはアホなやりとりを後悔した。

 「もういい、二つ買え。早く出るぞ――ダメだ。それは買わない」

 ルナがカゴに入れようとしたプリンは、棚に戻された。

 「あずのいじわる!!」

 「――いいか。おまえはたらこのおにぎりを二つ買った。それを食って、どうせ俺のから揚げとパスタを一口くれとせがむ。サラダも食って腹いっぱいになったおまえは、プリンは残す。俺はそのプリンは嫌いだ。――俺が食う羽目になるのに、それは買わねえ」

 「アズ、あたしの展開読まないで!」

 「読めるんだよ! プリン買うならおにぎり一個やめろ」

 「やだよー」

 「俺はたらこも、そのおにぎりってやつも嫌いなんだ。おまえが残したって、食わねえぞ!」

 「じゃあ、このゼリーは? アズ、ゼリーは食べるでしょ?」

 「俺が食うこと前提かよ」

 

 ダメだ。なにを喋ってもマヌケな会話にしかならない。

 アズラエルはあきらめ、ゼリーをカゴに入れて飲み物を選んだ。早くこのコンビニを出よう。何をしゃべっても、恥の上塗りだ。

ためいきをつきながらルナに、「飲み物は何が――」と聞きかけたら、ウサギは寝ていた。器用に腕にぶら下がって。俺は、どうしてこんな生き物に振り回されているんだ。この、メフラー商社ナンバー3の傭兵が!

 

アズラエルは自棄になりながら缶コーヒーと紅茶を取り、レジにカゴを置いた。

 「ポテト三つとから揚げ三つ」

 「やあ! おもしろいカップルだねえ〜♪ 俺、大笑いしちゃった」

 ちっとも悪びれず、店員は笑う。アズラエルは少し驚いた。ルナといても、親子か犯罪者(アズラエル限定)に間違われはするけれど、恋人同士だと認識されたのははじめてだ。

 

 「笑いすぎだ」

 「そうだよね、ごめんごめん。コーヒーならそこに淹れたてがあるけど、」

 「あ? じゃあそっちにするか。いくらだ?」

 「いいよ。そっちはただで飲んで」

 「は?」

 「サービス、サービス! 急いでるみたいだから引き留めないけどさ、また帰り、良かったら寄ってよ! ここ、あんまり人とおらないからさあ、人恋しくってしょうがないんだ〜♪」

 にっこりと、顔全部で笑う。どうも、憎めない男である。アズラエルは大量の軽食と、寝ぼけうさぎを抱えていたので、一度車に戻ることにした。

 アズラエルが車に、買ったものと、半分寝ているルナを積んでいると、店員がホット・コーヒーを大ぶりな紙コップにふたりぶん、持ってきてくれた。