アズラエルは苦虫を噛んで飲み込んだような顔で、歩いている。いかなる時でも笑顔と態度を崩さないここの従業員は、ある意味すごかった。アズラエルのMAX凶悪顔でも怯まない。ルナとアズラエルの荷物を持った男性従業員は、マイペースを保ちつつ、予約してあった部屋に彼らを案内した。 「こちら、いちいの部屋でございます」 「おい、いつまでついてくる気だ」 「俺が、おまえらの邪魔をしねえはずがねえだろ」 グレンは平然と言う。 「あっ!! いちいの部屋だ!!」 ルナは驚いて、睨みあっているグレンとアズラエルのわきを通りぬけて、従業員と一緒に部屋に入る。櫟の部屋。ルナがはじめて来たときも、この部屋だった。 セルゲイが泊まったのは、「花桃の部屋」。ちなみにグレンも、この部屋を予約した。 すでに深夜近いため、布団はすでに敷かれていた。ルナは大きな窓ガラスから見える、ライトアップされた室内露天風呂に思わず顔がゆるんでしまう。 また来れるとは思わなかった。こんなに早い時期に。 ミシェルとリサと、今度は四人でここに泊まりに来ようと話していたのだ。 ほんとに、ツキヨおばーちゃんも連れてきてあげたいなあ……。そうだ。もしツキヨおばあちゃんと宇宙船に乗っていたら、居住区はこの近くだったかもしれない。だとしたら、きっと絶対来てた。しょっちゅう来てた。 おばあちゃんに送るために、ルナが室内露天風呂の様子を写真におさめようと、バッグを探っていると、 「お客様、ドリンクは何になさいますか?」 ここは、ウエルカム・ドリンクのサービスがある。今は時間も時間なので、部屋に運んできてくれるらしい。 「アズ〜、何飲む?」 アズラエルはグレンと言い争っていて、ルナの声は届かない。ルナは勝手に決めた。 「じゃあ、アズの分いりません、あたしはバターチャイで!」 「申し訳ありませんが、バターチャイは、冬季限定でして……」 従業員は申し訳なさそうに言い、押し花のついた簡易メニューを開いて言った。 「今の季節は、こちらが」 ――数分後、ルナは、アズラエルとグレンの果てしなく続く言い争いを聞きながら、エメラルド・グリーンの不思議なジュースを写真に収めていた。 (携帯使えたらなあ。こういうとき、ミシェルとかにすぐ送れるのに) ルナはデジタルカメラをバッグにしまい、男どもの限りなき悪口の応酬をBGMに、そのジュースをストローで啜った。 (炭酸だ。しゅわしゅわしてる。すこし酸っぱいよ?) 飲んだことのない味のジュースだ。果物の名も聞いたことがなかった。 (りんごっぽい。……でもみかんのあじみたい? でもきゅうりもはいってるっぽい?) こういうとき、ミシェルが一緒なら、珍しいね〜、とか、へんなあじって笑いあえるのに。ルナはさっきからひとりぼっちだ。ふたりとも、ルナのほうを見てもくれない。不思議なジュースをネタに、だれかと笑いあうこともできない。 ルナはすっかり、ジュースを飲み干してしまった。せっかく珍しいジュースも、なんだか味気ない。 「もう! いつまでけんかしてるの!?」 さすがに「はげ」とか「ひげ」とか聞き飽きた。まるで、グレンとアズラエルがふたりで旅行に来たみたいだ。 「なによう! あたしを無視して二人で仲良くして!」 「……どこが、仲がいいように見えるんだ」 アズラエルがうんざりして言う。 「だってふたりとも、あたしとお喋りしないじゃない! ふたりで話してばっかいてさ!」 「ルナ、それはすさまじい誤解だ」 グレンが訂正する。「俺たちはべつにおまえを無視してたわけじゃ……、」 「ふたりでここに泊まったらいいじゃない! あたし別の部屋に泊まるからっ!」 二人は慌てた。特にアズラエルは。今日はルナとけんかばかりだったのだ。ようやく、機嫌を直してくれたころだったのに。 「待てルゥ。――悪かった、俺が悪かった」 グレンも、アズラエルと二人でここに泊まる気などない。 「そうだ。俺たちが悪かった。確かにな――今日はもうケンカしない」 「……ほんとに?」 アズラエルもグレンも、気持ち悪い笑みを浮かべて見せた。恐ろしく無理な笑みだ。 「気持ち悪いよふたりとも」 「「……」」 ルナは、ため息をついて二人を許した。 せっかくの椿の宿なのだ。せっかくの旅行。けんかばっかりで終わらせたくない。 「じゃああたし――お風呂入ってくる。おっきいお風呂のほう。ふたりとも、喧嘩しないでね!」 ルナが出ていくと、男二人は互いに気持ち悪い笑顔を向けあい――無言で握手をし――それからテレビをつけた。男たちは、完全に無視しあった。一言もしゃべらずに。 (――あの調子じゃ、グレン、自分の部屋に戻らないだろうなあ) 女性専用の大浴場から出て、浴衣に着替えて髪をまとめてアップにし、自動販売機でミネラル・ウォーターを買って飲んでいたルナは、ぼんやりと考えていた。 (一晩くらい仕方ないよね……。でも、多分あたしが) ルナはため息をついた。 (あたしが、アズと一緒にいるから部屋を出てって言えば、いいんだよね) それはそうだ。ルナが付き合っているのはアズラエルだ。ルナがはっきりそう言えばいいのだ。 (でもそんなこと言ったら、グレンは傷つくよね……) 多少言葉を濁して言ったところで、素直に出ていくような性格なら、すでにアズラエルと同棲までしているルナに、ちょっかいを出すことはないだろう。 グレンには、交流を完全に絶つほどの強い拒絶でなければ、通用しないのだ。 どうしたらいいのだろう。 アズラエルが好きなのは確かだった。でも、グレンのことも、嫌いにはなれない。ルナとしてはきっちり、アズラエルという恋人と、グレンを分けて考えているつもりなのだが、こういう状況になるとひどく困る。 (だって……) きっとグレンは、ルナが、「大嫌い! 二度とあたしの傍に寄らないで!」とでも言わなければ、今までのままだろう。ルナを挨拶代わりに口説き、キスすら平気でしてくるのも変わらない。冗談ならまだ流せる。グレンが本気だから、ルナも困るのだ。 だけど、このままではセルゲイの時のように、グレンも傷つけてしまうかもしれない。 セルゲイは、お兄ちゃん。――ではグレンは? グレンは、ともだち? |