ルナは無意識に唇に触れていた。……キスされても平気なのに、友達と言えるだろうか。

 以前、ルナは、ジルベールやエドワードにキスされたら、と考えたことがある。友達と彼氏の境目を、知りたかったのだ。

 こたえは、やっぱり分かりやすかった。ジルベール、エド、メンズ・ミシェルやロイド――最近身近なクラウドでさえ、キスするのは嫌だった。挨拶的なものなら大丈夫だが、恋人同士のキスは無理だ。ロイドみたいな優しそうな人がいいと思っていたこともあるのに、想像するだけでも違和感があった。自分は恋人ではない男性とはきっと、キスなんてできない。それ以上のことは、もっと。

 

 だけど、グレンは平気なのだ。キスされても、多分、それ以上のことをされても、イヤ、どころか身体が溶けそうになる。

 

 ――アズラエルと同じように。

 

 「……ねえ、君、ひとり?」

 ルナは考えに耽っていたので、いきなり話しかけられて飛び上がった。

 「うっわびっくりした! そんなに驚くことないじゃない」

 ルナが振り向くと、背の高い金髪の男性がルナに話しかけていた。髪形といい、どこかセンスのいい風体は、L5系の男だとルナに認識させた。リサであればすぐ誘いに乗るだろう、けっこうなイケメンだ。

 「この宿、とてもすてきだよね。穴場って言うかさ。君、良く来るの」

 「あ、え、えと、……二回目、です」

 もしかして、ナンパなのだろうか。

 「そう。俺、K30に住んでるんだけど、結構近くてさ、良く泊まりに来るんだ」

 男は朗らかな様子でルナに話しかけ、やがて肩を抱いてきた。ルナはぎょっとした。

 「君――、一人なら、俺の部屋に来ない?」

 「行かねえよ。それは俺の女だ」

 

 アズラエルの姿を見た男は、ルナよりぎょっとして、パッとルナから手を離した。

 「な、なんだ。彼氏いるなら、言ってくれればよかったのに……」

 男はそそくさと逃げ去っていく。

 

 「ルゥ」アズラエルは普段と変わりない、しかめっ面で言った。

 「おまえは可愛いんだよ。だからすぐ、男に声をかけられる。そろそろ自覚しろ」

 アズラエルも風呂に入って着替えたのか、浴衣姿だった。浴衣の袖から出ている、見事なタトゥの筋肉質な腕を組んで、この仏頂面では、男が逃げていったのも無理もない。

やっぱり、袖も丈も、足りていない。ルナは、夏祭りの時に屋台をやっているテキ屋のお兄さんを思い出してぷっと笑った。そういえば、グレンもそんな感じだった。

 「何笑ってんだ」

 「アズ、これじゃ死人だよ」

 ルナは、アズラエルの襟の合わせ目が逆なのに気づいて、直してやった。帯をゆるめ、逆に重ね直してやる。

帯の結び方もヘン。なにこれ。ロープじゃないんだから。

 「死人?」

 「そう。この服はね、襟の合わせ目が決まってるの」

 

 言いながら、ルナはさっきのことを考えていた。さっきの男も、やっぱり気持ち悪い。カッコいいとは思っても、肩を抱かれるだけでぞっとした。

 やっぱり、恋人以外は、触られるのも苦手。知らない人は、もっと嫌だった。

 (はあ……。どうしよっかな……)

 考えても仕方がない。一晩きりのことだ。いくらなんでも、ふたりでルナを襲ってきはしないだろう。

ルナは考えを振り切り、アズラエルに部屋にかえろ、と言いかけて上を向いた。とたんに硬直する。アズラエルの、色のついた目。今にも襲い掛かってきそうな、――。

 

 「――ルゥ」

 アズラエルは、甘い声で囁いた。たまらなくなったようなかすれ声で。アズラエルの長い指先が、後れ毛に触れ、頬を撫でてくる。

 「おまえは、――綺麗だ」

 

 ここが大浴場まえの廊下であることも構わずに、アズラエルはルナを抱き上げ、いきなりキスしてきた。唇を開かせ、舌を押し込んでくる。「……ルゥ、」熱い息遣い、アズラエルは止まらなかった。

 「――っあ、は、はふっ……、」

 ルナの腰が、一気に力を失ってくだけた。短いキスだったかもしれない。なんにせよ、こんなに激しいキスも久しぶりだ。こんなに、アズラエルにきつく抱きしめられたのも。

 「……チッ」

 アズラエルは、ルナの頬にキスの雨を降らしながら、舌打ちした。

 「くそ……」ルナをゆっくり、下ろす。ルナが腰砕けして立てないので、支えながら。

 「そんな色っぽい顔で部屋に戻るな。――アイツを刺激したくねえ」

 「アズ、だれか来ちゃうよ」

 ルナはそれが気になって、仕方なかった。言うのが精いっぱいだったが。足が震えて、立っていられない。ルナの淡い抵抗が、キスだけして部屋に戻るはずだった彼を、急に豹変させた。

 「だれも来ねえよ――もうすぐ消灯だ」

 アズラエルは獰猛に舌なめずりした。だが、目つきや態度とは正反対の、甘く優しい声でルナを誘惑する。

 「ルゥ……いい子だ。――俺の言いたいこと、分かるよな?」

 

 

 

 「……おまえら、一発ヤッてきただろ」

 

 深夜一時を過ぎ、大浴場が消灯したので、やっと部屋に戻ったアズラエルとルナを見て、グレンは嫌味たっぷりにそう言った。ルナの髪は乱れ、真っ赤な頬で目がトロン。なにせ、二人の雰囲気がそうなのだ。アズラエルは熱っぽい目をルナから離さないし、ルナはルナで普通を装ってはいるが、頼りない足取りでふらつき、アズラエルに支えられている。グレンさえいなければ、いますぐこの布団に、ルナは押し倒されているはずだった。

 

 「や、やってないよ……」

 ルナが髪を押さえ、小声で言うが、それは本当だった。やる寸前までいきかけたが。

 「てめえがいなけりゃな」

 吐き捨てるように言ったアズラエルだが、意外とすっきりした顔をしている。ふたりはやっと離れ、アズラエルは冷蔵庫のほうへ行き、ルナは着替えや洗面用具をバッグにしまいに行った。

 「ルゥ、お前何か飲むか」

 「ううん。あたしいい。さっきお水飲んだし」

 「……」

 グレンはビールを呷りながら、二人の様子を眺めている。

 「グレンは何飲んでるの」

ルナがぺたぺたとグレンの隣にやってきたところで、グレンが片眉を上げて言った。アズラエルに向かってだ。

 「……おまえ。何で抜いた。このキュートなおクチか、ちっちゃい手か、それともこのまっしろフトモモ?」

 「ギャー! グレンせくはらー!!」

 グレンがとんでもないセリフを口走り、傍へ来たルナの足を下から撫で上げたので、ルナは絶叫した。

 

 「うるせえ子ウサギ。何時だと思ってやがる」

 「……!?」

 アズラエルはグレンを怒るかと思ったのに。そうだ、さっきまでのアズラエルなら、「俺の女に触るな!」とか怒るはずだ。なのに。

 「手」

 アズラエルは答えた。それも平然と。ルナは絶句した。言うとは思わなかった。

 「畜生。ここだったら、顔にかけられたのに」

 ――今、なんておっしゃいました?

 ルナの呆然自失をお構いもせず、いかにも悔しそうにアズラエルはいい、冷蔵庫からウィスキーと氷を出してきて、グレンの隣にどっかりと腰をおろし、飲み始めた。