アズラエルは目を疑った。めのまえの女は、ツキヨばあちゃんだ。いったんそう見えたら、ツキヨばあちゃん以外には見えなくなった。だが、似ている。いつも背筋を伸ばし、明るく元気な彼女の面影はまるでないが、――この人はツキヨだ。

 

 ――ばあちゃんは、女なのに、大柄なのがコンプレックスでね。いっつも背を丸めて歩いてた。みんなにでっかいツキヨ、男みたいだってからかわれててね。でかい自分が嫌でねえ……。ずうっと縮こまってたもんだよ。地球にいたころはね……。

 

 ふと、彼女のそんな科白を思い出す。

 ツキヨばあちゃん。

 アズラエルは、彼ら二人の会話がはっきり聞こえる位置まで、歩を進めた。

 いったい、この状況はなんだ。

 あの男は誰だ。――まさか。

 

 「ち、地球って、こんなに美しい人がいるんですね。びっくりしました……」

 

 男が、絞り出すような声で言った。顔が真っ赤だった。

 女は――ツキヨは、最初、何を言われたかわからないような、ポカン、とした顔をして――やがて耳まで真っ赤になった。夕日に照らされた二人の顔は、アズラエルのほうが気恥ずかしくなるほど、火照っていた。

 「い、いやだ。L系惑星群のひとは、口がうまいね」

 「そ、そんな……、」

 ふらふらと男はツキヨに歩み寄ると、その両手を握った。ツキヨはびっくりしたが、男の力はやはり男の力だ。容易には振りほどけない。男は、ツキヨよりずっと背が低かった。ツキヨの顔を下から覗き込むようにして息をのみ、恐ろしく盛大に告げる。

 「き、綺麗ですよ貴女は! とっ……とっても、とっても、き、綺麗だ……、」

 最後のセリフは、ツキヨの目を見てではなく、自分の足元を見て言っていた。

 

 (おい、ユキトじいちゃん)

 アズラエルは、呆れていた。(男ならもっと、ガツンといけよ) 

 

 この男はユキトだ。アズラエルはようやく、自分が何を見ているのか悟った。

 

 宇宙船に乗って地球に着いたユキトと、ツキヨが出会った日なのか。

 アズラエルは、二人の顔をマジマジと眺めた。特にユキトのほうを。

 

 あれが、ユキトじいちゃんか……。

 

 ツキヨは、ユキトの写真を持っていなかった。結婚式もしたはずなのだが、その写真もなかった。ツキヨが持っていないということは、エマルも父親の顔を見たことがない。すなわち、アズラエルたち家族は、ユキトの顔を知らなかった。

 ユキトの顔をはじめてアズラエルたちが見たのは、軍事惑星群でユキトたちの星葬が行われたときだ。式典では、花で囲まれた一メートル四方ほどの、写真パネルが飾られた。エリックの写真のみ、ごく最近の年老いた姿で、後の四人は学生時代の卒業写真を無理に引き延ばした、ぼけた写真だった。

 そんな写真だったが、アズラエルたち家族はそれでもはじめてユキトの顔を見た。

 だがどこか、他人のようだった。

 五十年前の、顔の中に目と鼻と口があるのが分かる程度のボケた写真が、自分たちの祖父だと言われても、ほとんど実感が湧かなかった。式典に参列したエマルも言っていた。

 「もう少し、ましな写真なかったのかね」

 仕方がなかった。第三次バブロスカ革命のあとは、アーズガルド家や、関連の家では彼らの写真をみな燃やした。いったい、だれが持っていた卒業アルバムかは知らないが、ユキトの写真が残っていたのが奇跡で――だが、エマルはその写真パネルを、欲しいとは言わなかった。

 

 その爺さんが、めのまえで、喋っている。動いて、喋って、笑っている。

 

 (……似てねえと思ったが)

 式典の写真パネルを見た限りでは、まるでエマルと似ているところを見つけ出せなかった。でもアズラエルは、鼻と口が、エマルに似ていると思った。

 エマルは全体的にツキヨにそっくりだ。大柄なところも、目も眉も、いつもセットしなければ爆発する赤毛も、人種系統ですらツキヨと同じだ。小柄で、黒髪のユキトとは似たところなどないと思ったが、やはり彼は、エマルの父親なのだった。

 (今ここに、カメラがあればな)

 あったとて、夢の中だが。

 

 「よく来れたね、最後まであきらめずに」

 「はは、俺、諦めだけは悪いんです」

 

 笑うと、歯並びが悪いのが見えた。あれはスタークがもらったな。アズラエルは苦笑いした。スタークも歯並びが悪くて、小さいころは矯正していた。

 (爺さん譲りだったとはな……)

 

 「ねえあんた、何も食べないの。宴は始まってるんだよ」

 「あ、いや――俺は、すこし、この海を見ていたくて……」

 「じゃあ、あたしが何か持ってきてあげる」

 「え!? そんな、悪いよ、」

 「いいのよ。あの、でも、そのかわり――、」

 ツキヨは、もじもじと、ますます背を丸めながら小さな声で言った。

 「あたしも、ここにいていいかしら……」

 「そっ! それは、それはもちろん! もちろんいいよ!!」

 「ねえ、あんたの名前は?」

 

ユキトは微笑んだ。零れそうな笑顔で。なんていい笑顔だ。アズラエルは知らず知らずのうちに、ひどく穏やかな気分になっていた。まるで、涙が出てくるような。

 

 「俺、ユキト・K・アーズガルド。L18から来ました。……君は?」

 「ツキヨ・L・メンテウス」

 

 自己紹介は、アズラエルの予想していたものだった。

 (――なあ、ばあちゃん、あんた、幸せだったのか?)

 アズラエルはいつか聞いてみたかったが、聞いても詮無いことなのは分かっていた。だが、これを見ればわかる。ツキヨは、幸せだったのだ。そしてユキトも。

 ずっとではなかったけれど、とても幸せな時間があったのだ。

 アズラエルは、ヤシの木に寄りかかって二人を見つめていた。幸せそうなふたりを。

いつまでも、見つめていた。

 

 時計がかちかちかち、三回鳴った。

 

 

 (なんだ、ここは……)

 

 グレンは、長く続く、階段のまえに立っていた。

薄暗いが、まったくの夜というわけではない。だが、明け方なのか宵なのか、判別がつきかねた。時刻は深夜だったはずだ。

 椿の宿で浴衣を着て、アズラエルと飲んでいたはずの自分が、なぜ今こんなところにいる。

自分は、宇宙船に乗ったとき捨てたはずの、L18の軍服を着ている。グレンはまず、武器の所持を確かめた自分に舌打ちした。癖は、そう簡単には抜けないということか。短銃がホルダーに突っ込んであり、サーベルもある。おかしい。軍法会議で牢に閉じ込められたときに、銃もサーベルも取り上げられた。つまり、宇宙船内には持ってきていない。階級章は少佐のまま。軍帽に手をやり――髪を確かめた。髪は、短かったころに戻っている。ピアスがない。……まるで、L18にいた時分と同じだ。

 

 この階段はなんだ。ここはどこだ。