幅広の石畳の階段だが、かなりうえのほうに建物がある。暗闇でうえの様子は分からない。グレンは朝霧の湿った空気の匂いを感じ、朝かもしれないと見当つけた。夜明け前か、後ろを向き、グレンは今自分がどこに立っているか、やっとわかった。

 異文化の建物が立ち並ぶ向こうに、巨大な鳥居。

 ここは、K05区だ。つまり、宇宙船の中。そしてこの階段は、真砂名神社へと続く階段か。

 グレンはためらいがちに頂上を見たが、やがて、一段一段、上り始めた。まだ夜は明けない。長い階段を上りきり、真砂名神社であろう、異文化の建築物を見た。白木と朱色でできた、ひねった縄がついている、不思議な神殿。静まり返っている。ひと気はまったくない。だが脇に、森の奥へと続く道がある。

 

 唐突に、ひとが現れた。L03の民族衣装を着た、若い男だ。グレンはこの顔をどこかで見たことがある。だが思い出せない。彼は、グレンに道の奥へ行くよう促し、ふっと消えた。

 

 ……森の奥へと続く道をしばらく歩くと、また建物が現れた。廊下がジグザグに立ち並び、いくつもの絵画が並べられている建物。ずいぶん荒れ果てている気がするのは気のせいか。絵画たちはホコリと蜘蛛の巣にまみれ、まるで長いことほったらかしにされているようだった。

そこには、人影があった。ひとり――いや、三人ほどか。

 

 (……!?)

 グレンは、目を疑った。

 ふたりは、L03の民族衣装を着た男性、だが、残りのひとりは、――。

 

 (俺?)

 

 大柄な後姿の軍人がいた。髪は銀髪で、背格好も自分と似ている。ふいに、彼がグレンのほうを向き、グレンは思わず草陰に身を隠した。

 (なんだ? ――なんであんなところに俺がいる)

 着ている軍服は微妙に違う気がしたが、明らかに自分だった。

 

 グレンそっくりの男は、絵画のひとつひとつを食い入るように眺めている。何かを探すように。グレンは固唾をのんで、男たちの動向を見つめた。

 やがて男は一つの絵画の前で立ち止まり、愕然とたたずみ、――跪いた。

 (なんだ――どうしたんだ)

 グレンは思わず身を乗り出して、草むらから一歩、二歩、そちらへ進んだ。男たちが、グレンのほうを見た気がしたので慌てて隠れようとしたが、彼らにグレンは見えていないのか、何も言わない。グレンは慎重に近づいた。

グレンそっくりの男は絵の前に跪き、涙していた。

 

 「グレンさま――、この絵、なのですね」

 跪き、泣いている男はグレンと呼ばれた。やはり俺なのか。グレンが呆然としていると、泣いているグレンは何度も頷いて言った。自分と同じ声で。

 「間違いない――この絵だ」

 「グレン」が跪いている絵画は、「マーサ・ジャ・ハーナの神話〜船大工の兄弟〜」とタイトルが掛かっている。グレンは絵を見た。船大工の兄弟だろう二人の男が、枯れ枝を抱いて号泣している。

 (なんだ、この絵)

グレンは、胸が疼くような感じがした。

 

 「では、この絵を」

 男たちは協力して絵を外し、絵が掛かっていた壁面に、ノミと金づちで穴をあけ始めた。しばらくカン、カン、という音が響いて、やがて夜が白み始めるころ、三十センチ四方の穴ができた。なかには木の板が張られていて、そこへものが置けることを確かめると、「グレン」は金庫を穴に入れた。そう大きくはない。三十センチ四方の穴に容易に入る大きさの金庫だ。今一度金庫を開け、中身を確かめ、しっかりと錠をした。中身は、グレンはよく見えなかった。アナログタイプのデジタル式の金庫で、さらに錠前をかけた。

 男の一人が、金庫を嵌め込んだ部分を塗り込める。そうして、また男三人は協力して、今度は別な絵をそこへかけた。金庫を埋めた場所を隠すように。

 その絵は、二匹のライオンがお姫様を襲おうとしている――まるで子供が描いたような稚拙な絵だった。

 

 (何をやってるんだ、こいつらは)

 

 グレンは、呆然と事の次第を眺めていたが、男たちは木くずや資材を片付けてトラックの荷台に運び入れ、取り外した絵――船大工の兄弟の絵を布で包み、これもまた、トラックに乗せた。

 「ではグレン様、お急ぎを」

 「ああ」

 「グレン」と男たちは、慌ただしくトラックに乗って、この場を去った。ここに入る、別の道があるのか。グレンは彼らのあとを追いたかったが、車に追いつけるわけがない。

グレンは、全くひと気のなくなった回廊へ、踏み込んでみた。さっき金庫を嵌め込んだ場所を見てみようとしたが、絵は大きかった。一人で動かすにはリスクが大きい。動かすには動かせるだろうが、傷をつけてしまうかもしれない。

ほかの絵も蜘蛛の巣だらけのうえ、雑草が廊下を覆い、奥の方へは行けない。

(いったい、なんだったんだアイツらは)

グレンは金庫が気になったが、仕方なく廊下を降りた。

元来た道を帰ろうとすると――。

 

 (なんだ)

 さっきは、普通に来れたのに。グレンが来た道は、鉄条網で塞がれていた。鉄条網の裏――すなわち、グレンが最初来た道のほうだが、隙間から表へ首を伸ばすと、鉄条網には「聖域につき立ち入り禁止」と看板が貼られていた。

 

 (この里宮の奥殿は、十年前から聖域として、立ち入り禁止になっている)

 後ろから声がしたので振り返ると、さっきグレンにこの道を行けと指示した、L03の若い男が立っていた。

 「俺はさっき、ここを通ったぞ……」

 (そうですな。十年前とは言っても、百三十年前の十年前だから、貴方には百四十年前か)

 意味の分からないことを言う男だ。

 「おまえは誰だ」

 (私はサルーディーバ)

 「おまえがか……!?」

 女ではなかったのか、やはり、男か。だが彼はオッドアイではない。

 (私は百三十年前のサルーディーバだ。君の時代のサルーディーバは女性だよ)

 

 「俺は――百三十年前の光景を見てるのか」

 グレンはやっと、状況を飲み込めた。これは夢か。椿の宿でルナが見たという、不思議な夢。

 

 (そう。私は、あの絵を描いたサルーディーバ)

 そういって、サルーディーバは絵画を指さした。さっき、「グレン」たちが入れ替えた、二匹のライオンとお姫様の絵だ。

 (さっきの「グレン」は君だよ。グレン・J・ドーソン。さっきの彼は、「グレン・E・ドーソン」……君の前世だ)

 「……なんだって」

 (まあそのうち、金庫の鍵が君に届くだろう。百三十年の時を経て)

 「おい、ちょっと待て――意味が、」

 (鍵を大切にね)