サルーディーバは消えた。途端に強い風が吹き付け、グレンは身体をかばって目を閉じる。 あっという間に、めのまえの景色は変わっていた。 巨大な白い柱が並列する、大理石の廊下。この廊下は外廊で、外は砂漠だった。ヤシの木が生え、白壁の建物が立ち並んでいる。砂漠の中のオアシス。グレンはごくりと喉を鳴らした。 ――この風景を、見たことがある。 そうだ、ここはL05だ。この建物にも、俺は来たことがある。 グレンは記憶を探りながら、廊下をまっすぐに進んだ。道なりに左に折れると、そこからは壁のある室内へ――一番奥の左の部屋。 グレンは、大きな扉のまえで立ち止まった。 この扉を覚えている。この扉の向こうに、誰がいるか知っている。 グレンは、ゆっくりと、観音開きの扉を開けた。 グレンの予想通り、そこには、「グレン・E・ドーソン」と、さっき真砂名神社でグレンを導いたサルーディーバがいた。そしてサルーディーバのそばに佇む男が一人。グレンは目を見張る。――クラウドだ。 クラウド。――クラウド。……アイツは、従弟だった。 グレンは愕然とした。 待て。俺は何を見ているんだ。いったいなにを。 サルーディーバとクラウドのそばには、あの絵画がある。 「船大工の兄弟」の絵が。 その絵だけではなく、ここは大小さまざまなキャンバスがたくさん置かれていた。まるで絵の倉庫だ。 「グレン」は小さな机で作業をしている。白い封筒に便箋と大きな鍵を入れ、封筒を閉じた。赤い蝋を垂らし、ドーソン一族の鷲の紋章がついた指輪を溶けたろうに押し付け、封をした。それを、船大工の兄弟の絵のうしろ、キャンバスの隅に挟めた。 「ここは私の絵を保管している場所だ」 サルーディーバは言った。「私個人のね。心配いらない。百三十年は誰の手も入らんだろう」 「ありがとうございます。――何もかも」 「グレン」はサルーディーバに頭を下げた。しばらくそうしていて、やがて彼がゆっくり頭を上げると、「クラウド」が「グレン」に歩み寄って手を握った。 「ありがとう、グレン」 「俺は、礼を言われることなど何もしていない」 「グレン」の声は暗かった。「クラウド」は痛ましげに目を細め、 「いいか――俺がこんなことを言えた義理じゃないのは分かってる。だが、早まらないでくれ」 グレンは混乱していた。クラウドはアズラエルの幼馴染で、自分とは仲が良くない。だが、――そう。昔は、仲が良かった。仲の良い従弟だった。俺とクラウドは。 昔って、いつだ。 「君は裏切ってなんかいない。俺が知ってる。……俺たちが若すぎたんだ。そして敵は、老獪だった。そして、恋というやつが、いったいどんな不測の事態をもたらすかも知らなかった。若さゆえに」 「……」 グレンには分かっていた。この「グレン」は、どんな慰めも必要とはしていない。このあとL18に帰った彼は、自分の書斎で拳銃自殺をする。結末は分かっていた。 「クラウド・D・ドーソン君」 サルーディーバは「クラウド」の肩をたたいた。「その辺で」 ……そうだ。いまの「グレン」には、なにを言われても責められているようにしか聞こえない。 グレンは、この不思議な記憶に絶句していた。なぜ、こんなことを知っている。いや、知っているのではない、『覚えている』のだ。 第二次バブロスカ革命の時代の記憶を。 「クラウド」は、「グレン」と同い年のいとこで、今のクラウド同様、やはり賢かった。ロメリアたちの行動を無謀だと、最初から止めていた。まだ早すぎる、十年単位の計画で臨むべきだと。だが、一度煽られた学生たちの動きは、もはやだれも止められないところまで膨れ上がっていた。十人の仲間たちは、もう暴走化した学生たちを止められなかった。 ――自分たちの、死によってしか――。 第二次バブロスカ革命の首謀者のうち、生き残ったのは「グレン」と「クラウド」と「マリー」だけ。バブロスカ監獄の衛兵との銃撃戦で、ロメリアをのぞく六人は死んだ。「アシュエル」もロメリアを庇って死んだ。 だが、「グレン」も自殺したことを入れると、生き残りはこの「クラウド」と「マリー」だけだったと言えるだろう。 ほんとうに裏切ったのは、クラウドでもグレンでもなく、「マリー」。 「マリアンヌ・D・ドーソン」。 ロメリアを愛していた、クラウドの妹。 彼女が、こっそりと自分の父親に打ち明けた。「グレン」がロメリアたちの計画に関わっていると。「グレン」には密かに監視が付けられ、そのおかげで計画は漏れた。 だがマリーがどうであろうと、監視に気づけず、ロメリアたちを直接死に追いやったのは自分だ。「グレン」はそう思っている。 グレンはすべてを思い出した。――そうだ。サルーディーバのアドバイスに従って、俺は、地球行き宇宙船のあの場所に――真砂名神社の奥殿に、「あれ」を隠した。 来たるべき、百三十年後のために。 「俺はサルーディーバさんとともに行く。みなの冥福を祈りたい。L03に骨を埋めるつもりだ」 「クラウド」はいった。 「俺は、もうこれ以上仲間の死を見たくない。……グレン、頼む。早まらないでくれ」 「クラウド」は一度だけ「グレン」を抱きしめ、物言いたげな目で下がった。彼はずっと「グレン」を見つめていたが、もう何も言わなかった。彼はきっと、「グレン」の死を予測していたのかもしれない。 ふたりを黙って見つめていたサルーディーバが、「グレン」の手を取り、「すべては真砂名の神の御手に」と言って別れを告げた。 「百三十年後に、ふたたびお会いしましょう」 すべてのシーンを、グレンは覚えていた。「グレン」が、二人に向かってかすかに微笑み、グレンの横を通り過ぎ、扉をあけて出ていく。 ――時計が鳴る。 かちかちかち、……三回。
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