さて。

ルナたちが椿の宿から出かけようと、ようやく腰を上げたのは、昼近くになってからだ。

 

「――はあ、料亭まさな、ね。俺は生ものは苦手なんだ。ほかのところを……、」

アズラエルがフロントで従業員に、近くに旨い店はないか聞いている。グレンは革靴に足を突っ込み、ルナを抱き上げた。

 「肉食えるとこ聞いてきたぞって、……おい! ルゥは俺が抱く。てめーはすっこんでろ」

 「ヤレヤレ。嫉妬深い彼氏を持つと大変だな、ルナ」

 「うん! 大変だ」

 「なに他人事みてえに言ってんだルゥ。こっちこい」

 アズラエルは強引に、グレンからルナを奪い取った。

 「第一な、なんでてめえが俺たちと一緒に行動するんだ。てめえはここに、一億倍綺麗なルナに会いに来たんだろ!」

 「俺はてめえと一緒にいるんじゃねえ。ルナと一緒にいるんだよ」

 「マジで邪魔だ」

 またきりがない喧嘩が始まろうとしたので、ルナは大声で宣言した。

 「喧嘩したらなっとうを食べるよ!!」

 ライオンとトラは黙った。なぜルナのカバンの中に、ナットウが入っている。

 「はやく靴買わなきゃ。あたし、アズにだっこされてばっかで、歩き方忘れちゃうよ」

 ルナの言うことは、もっともだ。昨日から、ルナはほとんど自分で歩いていない。

 

 「靴ですか……、」

 女将が、考え込むようにして言った。

 「K05区には、大きなデパートはないものですから。困りましたね、K12あたりまで出ませんと、靴屋さんはありませんのよ。でも、おみやげ物売り場に、和風の――ええと、サンダルみたいなものでしたら、あると思うのですけど、」

 「あ、それでいいです!」

 ルナはアズラエルに抱っこされながら、玄関を出た。「いってらっしゃいませ」と従業員の見送る声が聞こえる。

 

 「なんか、仕方ないとはいえ、やっぱり恥ずかしいよアズ」

 靴がないから仕方ないとは言っても、人前で抱っこされたままなのは、やはり恥ずかしい。ルナは言ったが、

 「心配するな。たぶん、親子か兄妹にしか思われてねえから」

 「……まァな。ムカつくが、たぶん恋人同士には思われてねえよ。おまえ、ガキっぽいから」

 アズラエルは禁句を口にした。ルナは口をぽかっと開け、それからぺけぺけとアズラエルの頭を叩き、そしてふて腐れた。いつものパターンである。

 

 ルナたちは、歩いて真砂名神社へ向かうことにした。そのまえに、時間も時間なので、昼食を取って。ルナのサンダルも購入しなければならないし。

フロントの従業員に聞いた店は、真砂名神社へ向かう大路の、手前から三番目のわき道を左に曲がり、小路を行くとあるらしい。

 「おにく!」

 「ああ。お肉だルゥ。ステーキ店だとよ。値段は張るが、旨いのは間違いねえって」

 「おにくたべたい! でもアズ、そんな高いところ、破産しない?」

 「肉ごときで破産するかよ。でも肉ばっか食うなよ? 野菜も食えよ」

 「……お前らの会話、恋人同士の会話に聞こえねえんだが、」

 グレンが呆れ顔で突っ込んだが、ルナはぜんぜん関係ない返事をした。

 「グレンはおにくすき!?」

 「大好きに決まってる。……てか、ルナ、おまえうさぎのくせに肉好きか?」

 「おにくだいすき!」

 「肉食うさぎかよ」

 「肉肉言う割にゃ、食う量はたいしたことねえけどな」

 ライオンやトラと比べられては困る。

 

 三人は巨大な鳥居をくぐって大路に入り、目に付いた一番大きな土産物屋へ入った。観光客であろう、大勢の人でにぎわっている。

ルナは、アズラエルに抱っこされているため視界が高い。「あ、あった!」ウロウロ、キョロキョロしていたルナが、目的のものをいち早く見つけたようだ。

 アズラエルとグレンは、木の棚に、サンダルや下駄の類が並べられている場所へ、ルナを連れて行く。そこには木製のいすと鏡もあった。ルナをいすのうえに下ろし、アズラエルは「何がいい」と聞いた。ルナは棚を眺め回し、「赤いやつ!」と言った。

 ルナが選んだのは、布製で、底が厚めで、花の刺繍が施された、鮮やかに赤いサンダルだった。刺繍が手の込んだものらしく、なかなかいいお値段だ。小さめサイズのそれをアズラエルは取り、ひざまずくようにしてルナに履かせてやる。ぴったりだった。

 

 「これでいいのか、ルゥ?」

 「うん! コレ可愛い!」

 ルナは見たときから、もうこれに決めていたらしく、すでに自分の小さなバッグを漁っている。財布を出そうとしていたが、

 「いい。ルゥ、俺が買ってやる」

 「え? いいよ。あたしもおこづかいあるし、」

 「いいんだ。これは買わせろ」

 「でも、わるいよ。椿の宿だって、みんなアズが払ってくれたんでしょ? おにくだって、アズが、」

 基本的に、外食分はすべてアズラエルが払っている。

 「グダグダ言うな。おまえは黙って、俺に甘やかされてろ」

 「だめだよ! あたしアズに甘やかされてばっかで、ますますばかになっちゃう! ただでさえ、アズとつきあってからあたし、なんか金銭感覚おかしいもん! こ、これはあたしが買うよ!」

 「俺が買う」

 アズラエルは、どうしても譲らない。大概いつもアズラエルは譲らないが、今日は特に意固地なまでに譲らない。いつものアズラエルなら、ルナがここまで言えば、「じゃあ自分で買え」と言いそうなものだが。

 「……」

 グレンは黙って、そんな二人を眺めている。

 

 アズラエルは、なんだかよくわからないが、意地でもこのサンダルは買ってやりたかった。

 理由など特にない。聞かれても答えられない。

 だが、どうしても今、ルナにこれを買ってやりたい。

 なんとなく、可愛い靴を買ってやりたかったのだ。

 

 「……?」

 

 グレンは、目の錯覚かと思って目をこすった。アズラエルもだ。

 ルナに履かせた赤いサンダルが、急に真っ黒でぼさぼさの、ボア生地のスリッパに見えたのだ。

 

 「どしたの? アズ」

 ルナが、アズラエルが固まったのを見て、不思議そうに言った。

 「――え? いや、なんでもねえ……」

 まばたきをして、もういちどしっかりと見つめたサンダルは、確かに赤い布製だ。

 「アズ?」

 「とにかくコレは、俺が買う。いいな?」

 アズラエルはルナの足からサンダルを取り上げ、勝手にレジへ持って行った。

 「アズ〜!!」

 「いいじゃねえか、ルナ。サンダルの一つや二つ」

 グレンは言った。この男は、アズラエルよりさらに金銭感覚がセレブだ。ルナの庶民的価値観など、はなから言っても無駄なのである。

 

 「うう……。あのサンダルけっこうするよ?」

 「男は自分の金で、女を飾り立ててえんだよ」

 「それって、服プレゼントするときは脱がすの前提、とかいうやつ?」

 「似たようなもんだな。――つうわけで、俺はこっちをおまえに買うよ」

 そういって、グレンは、ショーケースに飾られているかんざしを指さした。

 「これ包んでくれ」

 「グレンー!!!!!!!」

 ルナは絶叫した。ルナが絶叫している間に、恐ろしく満面の笑顔の店員は、グレンが指定したかんざしを、手袋をはめてショーケースから出し、「こちらでよろしいですか?」と聞いてきた。

 「よろしくありません!」