ルナはぶんぶんと首を振ったが、グレンはさっさと財布をだし、「あ、やっぱり今使うから、そのままでいい」などと言い放った。

 店員が満面の笑顔になったのも、無理もない。普通の観光客は、このショーケースにあるものにはなかなか手を出さないだろう。ほかの売り場のものより、一桁二桁も値段が違うものが並んでいるのだ。

グレンが選んだかんざしは、金ぴかのうえ、宝石が使われている高価なもの。ルナはダイヤモンドとルビーが惜しげもなく使われたそれに、目を瞑った。

 (……目が! 目がつぶれます……!)

 

 店員がせっかく手袋をはめて扱ったそれを、グレンは平気で素手で受け取り、

 「ルナ。こっち来な」

と椅子に座らせる。ルナは、アズラエルが早く戻ってきてくれないかソワソワし、泣きそうだった。グレンの無駄遣いも度が過ぎている。アズラエルが戻ってきてくれたら、グレンの無駄遣いを諌めてくれるはずだ。このひとりっこのお坊ちゃまは、金の使い方が荒すぎる。貧乏育ちの、長男気質たるアズラエルは、きっとひとこと言わずにはおれないだろう。

 「……!!」

 椅子に座ったルナの流しっぱなしの髪を、大きな厳つい掌が包んだ。びっくりしてルナは身をすくませたが、グレンはその長い指で器用にも、ルナの髪をさっとまとめあげたのだった。手ぐしだけでまとめた髪に、そのかんざしを挿す。

 

 「あら、お可愛らしい」

 店員さんの褒め言葉も、ルナは耳に入らなかった。ン十万の簪が、いま、ルナの頭に刺さっているのだ。

 「うん」グレンも満足げに微笑んだ。「いいな」

 

 ……よくないです!

 

 グレンは、ルナが固まっている間に、カードで支払いを済ませた。

 「……グレン。返品する気は?」

 ルナは恐る恐る聞いたが、グレンは不機嫌そうに「あァ?」と声を荒げた。

 「俺に恥をかかせるのか? ルナ」

 「ごめんなさい」

 こういう怒り方のグレンは、アズラエルより怖い気がする。ルナは縮こまった。

 「いい子だ。怒られたくなかったら、これからは素直に、俺の贈り物は受け取れ。――いいな?」

 「は、――あい」

 

 レジに向かったはずの、アズラエルの姿が見えない。グレンは、代わりにルナを抱き上げた。

さっきまでまるで意識していなかったから平気だったが、今のようなことがあると、とたんに気が落ち着かなくなる。なんとなく、昨夜の夢を思い出してしまう。ルナは、グレンの腕の中で身を強張らせた。そんなルナの様子を知ってか知らずか、グレンの指が、ルナの耳の後ろを撫でた。ルナはグレンの腕の中で、ふたたび身体をビクつかせる。

 「俺、おまえのうなじにヨワいんだよ……」

 そっと、ルナの耳元で囁く。ルナは真っ赤になりながら、いつも思っていることを叫びそうになる。どうしてこう、L18の男は人前とか関係ないんだろう……!

 ショーケースの向こうにいる店員が、キャーとでも叫びたい顔をしているのが、ルナにも丸わかりだ。

 

 「似合うよルナ。――キスしたい」

 「だめです」

 「とっても、セクシーだぜ?」

 「……!」

 ルナが腕に抱かれている格好でなく、グレンに背を向けていたら、確実に熱ーいキスをうなじにお見舞いされていただろう。このあいだも子供っぽいのなんのと言われ、へこんだばかりだ。セクシーと言われ、嬉しくなくはない自分がいる。

 「あ、あたし、せくしー?」

 「ああ。……そう。そうやって髪あげてるのがとても似合う。とても。キュートでセクシーで、色っぽい。おまえは最高の女だな――おぐっ!」

 

 「すり潰すぞ、銀色ハゲ」

 グレンの頭に、いい音をさせてルナのサンダルが命中していた。アズラエルが、青筋を五本くらい立てた、凶悪面で立っている。

 

 「てめえっ! 店ン中でモノ投げるやつがいるかっ!」

 さすがに腹が立ったらしい。グレンが叫ぶと、周囲の客が一斉にこっちを見る。

 「サンダルですんで良かったと思え! 人の女に手を出すなって、何度言や分かるんだ!!」

 「そんなに大切な女なら、金庫に鍵かけてしまっとけ!!」

 もはやルナは、止めることができなかった。店の警備員が出てきてふたりを引きはがさなかったら、確実に殺し合いになっていた。

 

 

 「なあ、ルゥ」

 ルナはぷんすかと頭から湯気を出して、どかすかと歩いていた。

 「ルナ、悪かったって」

 ぷんすかウサギの後ろを、顔を半分ずつ腫れあがらせたライオンとトラが、のっそり歩いてくる。

 ルナウサギの尋常でない怒りと、警備員に連行されて調書を取られたお蔭で、ステーキ・ハウスへの訪問はなしになった。時間も取られたうえに、暴れたのと怒ったのとで腹が減った三人は、ちかくの蕎麦屋で昼食をとった。ルナは怒りっぱなしだった。蕎麦は、美味しいとは言えなかった。ルナは食べたことはあるが、グレンとアズラエルはない。食べつけていないものを、MAX不機嫌な恋人と食べるのでは、味も極限に落ちる。

 

 「……マジで悪かった」

 「そんなに怒るなよ。無事だったんだからいいじゃねえか」

 「何が無事!? 何が無事なの!? イエローカードなんだよ!?」

 子ウサギがこんなに怒ったのは、いままでにない。ウサギの怒鳴り声に、トラとライオンは、そのでかい身体を反省するように縮こめた。

 「警備員さん言ってたよ!? バグムントさんとチャンさんに連絡するって! もう一回もめ事起こしたら、宇宙船降ろすって、そういってたよね!? 何が無事? お茶碗、棚ごと壊したのは誰ですか、言ってみなさい!!」

 「……俺です」

 グレンが、蚊の鳴くような声で言った。セルゲイの説教でも、ずぶとく逃げていたグレンが。

 「椅子壊しちゃったのは誰ですか!?」

 「……俺だ。でも、あれはグレンが殴り飛ばしたから――、」

 俺がぶつかったんだ、と言い訳しようとしたアズラエルに、ルナはますます噴火して叫んだ。

 「言い訳はいらないです!!」

 「はい、ごめんなさい」アズラエルは素直に謝った。

 「ここは軍事惑星じゃありませんっ!! ケンカはダメなの! 反省して!」

 「ルナ、俺たちちゃんと弁償したじゃねえか」

 「弁償はあたりまえでしょっ! グレンたちが悪いんだから! あたしが怒ってるのは、もうケンカしないでってこと!! 二人がケンカするのはね、あたしとミシェルがケンカするのと訳が違うの、まわりのものも壊れるの! おっきい図体してケンカしないで!」

 「……」

 また何か言いかけたグレンは、うさぎにぎっと睨まれて口を噤んだ。怒った顔も可愛いという本音は、今は届かないだろう。

 「ルゥ、おまえは、怒った顔も可愛いな」

 グレンは、アズラエルを信じられないという顔で見た。今ここで、これを言うか。ウサギは案の定、激怒した。

 「アズなんてもう知らないっ!! ふざけてばっかり!! 宇宙船降ろされちゃえ!!」

 ルナは、めのまえの階段をだん! だん! だん! と怒り任せに上っていく。いつのまにか、真砂名神社の階段のところまで来ていたのだ。