「――ふざけたわけじゃなかったんだが……」

 グレンには、アズラエルの気持ちがよくわかった。グレンも空気を読まなければ、口に出しているところだった。怒った顔も可愛いというのは、事実だ。

 「……おまえ、ヘンなところで空気読まねえよな」

 グレンのセリフに、アズラエルが突っかかることはない。もう懲りた。ウサちゃんを怒らせていいことなど、何もない。

 

 ためいきをつきながら、猛獣二匹は長い階段を見上げた。この上が真砂名神社か。

 とてつもなく長い階段だが、ふたりは特に大変だとは思わなかった。軍人がこの程度の階段で音を上げていたら、バカにされる。この程度の階段、うさぎ飛びで上がっても平気なくらいだ。ふたりが心配していたのは、ルナのことだった。運動音痴で体力不足のルナには、この階段は大変だろう。

 いつもだったら、抱っこして上がってやってもいいのだが、ただ今激怒中のうさこちゃんである。触らせてもくれないだろう。仕方がない。ゆっくりついていって、ルナが限界を訴えたら抱っこしてやろう。二人はそう思っていた。

 彼らは余裕ぶっていた。他人の心配ができるほど。

 

 ――階段を、上りはじめるまでは。

 

 

 (――っ、)

 (……なん――、なんだこりゃ……、)

 

 アズラエルとグレンは、階段を三分の一ほど上ったところで、思わず膝に手をついて立ち止まった。なんでこんなに息が上がる。全力疾走したときと変わらない。座りこまなかったのは、相手が座り込んでいないからだ。グレンは、アズラエルが座っていないのに、座るのは嫌だったし、アズラエルも、グレンより先に膝をつくのは嫌だった。だが、今にも足が折れて、膝をついてしまいそうだ。――まだ、半分も上っていないのに。

 

 (……まさか、冗談だろ)

 (こんなになまってたのか? いや、まさか、)

 

 アズラエルもグレンも、自分の身体の重さが信じられなかった。でかい岩でもかついで上がっている心地だ。

 上を見上げると、ルナがかなり上のほうで、じっとこちらを見ている。怒っているせいか、ふたりと目が合うと、べーっとばかりに舌を出して、また駆け上がっていった。十段ほど駆け上がり、ふうふうと肩を揺らし、それからまたじーっとこちらを見る。ルナも息が上がっているが、自分たちほどではない。

 「……クソ、可愛いヤツめ……、」

 「どうしてアイツは普通に上れるんだ……、」

 女しか上がれない階段なのか。だが、変わった衣装の人間ではあるが、男も普通に上がっていく。ヨボヨボの爺ちゃんも。

 

 「――なんだ、この階段」

 グレンが思わず呟いた。「磁石でも埋め込んでんのか」

 磁石にでも引っ張られているように、足が上がらないのだ。一段一段を上る足が、恐ろしく重い。

 「こうなったら意地でも上がってやる……、」

 アズラエルは百キロの重しでもつけたような足を、一歩上の段にのせ、

 「うおおおおおっ!!」

 と叫んで走り出した。

「あっ! てめえ!!」

 グレンも負けてなどいられない。

 「ぐああああああ!!」

 猛獣二匹は絶叫し、周囲の視線を独り占めにしながら、階段を駆け上がった。

 

 ――五十分後。

 

 アズラエルとグレンは、真砂名神社の境内てまえ――階段のすぐそばでうつ伏せに倒れ込んでいた。

 やっと着いた。――一時間近くもかかって。

 

 「はあ……、はあ……。なんだこの……、軍事教練一日目終了みたいな空気は……」

 「……」

 アズラエルはもう喋る気力もない。一歩も動けない。

ふたりは勢いよく走り出したはいいが、半分ほど来たところでぶっ倒れ、しばらく動けなくなった。五分ほど倒れ込んだ後、ぜえはあ言いながらゆっくりと立ち上がり、ルナの声援を浴びながら、やっと上までたどり着いたのだった。

 

 「お疲れさま」

 ルナが水に浸したハンカチを、ぺたりとアズラエルとグレンの額に当ててくれた。

 「……ルゥ!」

 「……俺の女神!!」

 アズラエルとグレンが、ルナに抱きついた。

 「ふたりとも、すっごくあせくさい」

 ふたりは、ルナを一度ぎゅっと抱きしめてから、やっと身を起こし、土の上にあぐらをかいて座り込んだ。階段でも倒れ伏したし、土の上に寝転がったから服が土だらけだ。アズラエルは、まだ肩で息をしている。グレンは座ったはいいが、そのままひっくり返って仰向けになった。

  

 「ああ……このまま寝てえ」

 「さすがにきつかったぜ……浄化だか何だか知らねえが、ねえよ、この重さ、」

 「おまえ、どんだけ前世で悪事重ねてきたんだよ」

 「てめえも変わりゃしねえだろが……、」

 

 アズラエルとグレンは、すでに宮司から階段の説明を聞いた。この階段をはじめて上るものは、みなこうなることを。ふたりがたどり着いた頂上には、ルナでなく、初老の宮司が待ち構えていたのだ。宮司は訛りの強い口調で言った。

 「ここで倒れられると邪魔だから、そっちで倒れろ」と。

 

 「ほれ、飲まねえか」

 ルナが初めて真砂名神社へ来たときに現れた、訛りの強いおじいちゃん宮司である。彼が、つめたいお茶を五人分持ってきてくれた。

 「ありがとうございます」

 ルナはお礼を言って、お茶を受け取る。グレンとアズラエルは、のどが渇いて仕方なかったのだろう、お茶をもらうと、喉を鳴らして一気に飲みほした。

 「うめえ」

 「生き返るぜ」

 

 「おまえさんら、兄弟じゃろ」

 宮司さんは、いきなりグレンとアズラエルに向かって言った。

 「よかったな。兄弟で来んと、この階段は上がれんかったぞ」

 「は?」

 「……いや、俺たちは赤の他人だ」

 「兄弟じゃよ。魂がな」

 二人もルナも呆気にとられたが、宮司は構わず続けた。

 「今回のツアーは転機かの。神さんの魂は来るわ、古い魂がぎょうさん来よるわ、」

 「……」

 宮司の言い方は、独り言のようでもあった。一杯では足りなかったのか、グレンが残った二杯に目をつけた。

 「なあ、それもらっていいか?」

 「もうふたり来るじゃろが」

 さすがに三人は、顔を見合った。この宮司の言葉は、訛りが強くて聞き取りづらいのだが、もうふたり来ると言ったか?

 

 「あの、宮司さん。あたしたちは三人ですけど……」

 「三人? おかしいのう。五人じゃろ?」

 アズラエルはあたりを見渡したが、己を入れて三人以外に、見知った顔はいない。

 「ホラーはやめてくれ」

 グレンは言ったが、「ほれ、来たぞ」

 宮司は言い、腰を上げた。誰も来てなどいない。階段のほうを見てもだれもいないし、今日は、この境内には、二、三人の変わった衣装の女性がいるだけだ。

 「飲んだら、さい銭箱の横に置いといてくれりゃ、取りにくるから」

 そういって、神社のほうへ戻っていく。