「アイツには、なにかが見えてるのか……!?」 その手の話が大の苦手なグレンが、ぞっとしない顔で呟いた。 そのとき。 「――ミシェル! あと少し。がんばって、」 「ひーひー、ふー!!」 聞き覚えのある声がしたかと思うと、階段の上に姿を現したのは。 「ミシェル! クラウド!?」 「あ、ルナ!?」 「ルナちゃん――アズ!?」 驚いた顔でルナを見たミシェルは、「もうだめえ〜!」とその場で倒れ込み、クラウドも、べっちゃりと顔から土の上に倒れ込んだ。 ――宮司が持ってきたお茶は、五人分で正解だった。 「……こんなにくたびれたの、学校の軍事教練以来だよ……、」 クラウドが、その綺麗な顔を土で汚し、拭うこともせずに仰向けになって倒れた。 ミシェルたちは、宮司が用意してくれたお茶を飲みながら、さっきアズラエルたちが宮司から受けた説明を、今度はアズラエルから聞くことになった。 「へえ〜。じゃああたしも、浄化とかされたのかな」 ミシェルがルナの隣で、楽しげに喋っているのを眺めながら、クラウドは心の涙を流した。 旅行に出発したとたん、ルナちゃんに鉢合わせするなんて。 何の運命のいたずらだろう。 俺は前世で何か悪いことをしたのか? クラウドは、自問せざるを得なかった。 五人分の空になったコップをさい銭箱の横に置くと、ルナたちは神社のわき道を通って、奥へ向かうことにした。ミシェルとクラウドは、奥のギャラリーに向かうのが目的だったからだ。ルナも行きたいと言ったために、アズラエルとグレンも、嫌々ながら同行することになった。 おそろしくくたびれた。 できれば、椿の宿に帰ってひと眠りしたい。 男連中は皆同様だった。元気なのは女の子ふたりだけ。 アズラエルが一番先頭を、のっそり歩いている。さっきの階段があまりにもきつかったせいで、誰とも口を利きたくないらしい。ルナとミシェルは、きゃっきゃと騒ぎながらふたりで歩いている。 「……」 居心地の悪さを覚えているのは、グレンだった。なぜか、クラウドがじーっとグレンを見ているのだ。いつもならクラウドは、グレンを即座に無視する。アズラエルの隣を歩いているはずだ。グレンと隣同士に歩くことなど絶対にない。不気味さしか感じ取れなくて、さすがにグレンは「なんだ!? ジロジロ見やがって。何か言いたいことがあるなら言え」と凄んだ。 クラウドは、グレンを見ていた自覚はなかったようだ。スラックスのポケットに手を突っ込んで、歩きながら言った。 「一度、聞いてみたかったんだけど、」 「……なんだ」 「――君さ、」クラウドは、離れて歩くアズラエルを気にしながら。 「どうして、アズを殴った?」 「……」 グレンはさっきのことかと思った。店で殴り合いをしたこと。 「そりゃ、アイツがサンダルを俺の頭にヒットさせたからで――、」 「そうじゃない」クラウドは首を振った。 「もっとずっと、昔のことだ。……どうして、通りすがりにアズを殴った? たしかにアズは問題児だったけど、君に殴りかかったわけじゃない。どうしてだ?」 やっとグレンは、クラウドが言っている意味が分かった。学生時代のことを言っているのだ。確かにグレンは、通りすがりにアズラエルを、問答無用で殴った。 「……おいおい、そんな昔のことを今更、」 「俺は、別に君を嫌いじゃなかった」 クラウドは、驚くべきことを言った。 「俺は、ドーソンだのなんだの、名だけで判断するやつは嫌いだ。だけど、君はアズを殴った。無差別にね。君ひとりのときじゃない、君が仲間を引き連れていたときだ。君がアズを将校のリンチにかけようとした、そうじゃないって、どうして言える? アズが殴り返していたら、確実にアズは将校のリンチに遭って――、」 クラウドはきつい目をした。 「下手をすりゃ、身体を壊されて、二度と傭兵家業はできなくなってたかもしれない。――そうだろ?」 「……」 グレンはポケットを探ったが、タバコは見当たらない。店でアズラエルともみ合った時に落としたか。仕方ない。クラウドのようにポケットに手を突っ込み、口寂しいのを我慢して、代わりに森の空気を吸った。 「――俺が言ったことを聞いて、それでおまえは信じるのか?」 「君は嘘をつく気なの」 「ウソかどうかは、もう確かめるすべはないぜ?」 「いいから言えよ。どうしてアズを殴ったの」 「結論から言えば、俺がアズラエルを退学させたくなかったから」 「……え?」 クラウドが立ち止まった。グレンも、振り返りはしなかったが、一歩先で止まった。 「アズラエルが卒業したとき、認定の資格をもらえなかったのは、バブロスカ革命の縁者だからってだけじゃない。知ってるだろ」 「……」 「アイツがあんまり無茶苦茶だったからだ。いくら傭兵でも、認定の資格を得るにはある程度“まとも”じゃなきゃいけねえよ。協調性はねえわ、教官は殺しかけるわ、……力の加減の仕方も分からねえ。殺しかけるまで相手を叩きのめす。女の教官を、いくらあっちが誘ったからって、教室で犯しかけたって、あり得ねえよ。アイツは、アカラ第一教練創立以来の問題児だ。いくら実力あったってな、そんな動物みてえなヤツに認定の資格はやれねえよ」 「だから殴った? ヘンだろそれ、」 「人の話は最後まで聞けよ。……一年の時に教官殺しかけたろアイツ、その時点で、退学決まったって、おまえ知らねえだろ」 「それは――知らなかった」 そのころのアズラエルは、クラウドともあまり口を利かなかった。荒くれ者の不良たちばかりとつるみ、家にはほとんど帰らず、幼馴染であるクラウドやオトゥールとは、距離を置いていた。アズラエルは荒れていた。どうしようもないほど。 「アイツの退学は、職員会議ですぐ決定したよ。理由は学校に、アイツを押さえられる人間がいなかったってことだ。教官も、生徒も、だれもアイツを止められるやつがいなかった。べつに退学になったって、プルートスの方や、傭兵専門のガッコはいくらでもある。そっちなら、アズラエルを押さえられる教師もいるだろうさ。アズラエルなんて目じゃねえ、メチャクチャな教師がそろってる。だが、アカラ第一で認定をもらえることができれば、それだけで傭兵としての名は上がる。アカラ第一はL18で一番――ようするに軍事惑星一の名門校だからな。それだけ選別も厳しい。アイツが退学になるって情報は、当然ながら生徒会の方にも入ってきた。……俺は、アズラエルを退学にはしたくなかった」 クラウドは、目を見開いた。 「――今なら言えるが、俺にはな、卒業後に思い描いてた大きな夢があったんだよ。バカにしてもらって結構だが、――傭兵を軍部に入れることだ。もちろん、認定の傭兵をな。俺は、アズラエルほどの実力の傭兵を、むざむざ退学にはしたくなかった。アイツには絶対認定の資格を取らせて、俺の計画に入れるつもりだった」 「――君は、アズラエルをかばったのか?」 頭のいいクラウドには、その先が分かったらしい。だがグレンは鼻で嗤った。 「そんな親切なものじゃない。俺はヤツを試しただけだ」 「試した?」 「アイツが俺を殴り返してきたなら――ドーソン一族の嫡男にも殴りかかってくるような、そんな分別もない、考えなしの動物だったら、その時点でアズラエルは切ることに決めた。そんな動物はいらん。仲間と俺で、叩きのめして退学だ。そのあとのことなんか知らねえ」 「でも――アズは殴り返さなかった」 「そうだ」 グレンは言った。 「アイツ、おまけになんて言ったと思う? 『バクスター中佐の息子さんは殴れません』。……知ってたんだ、アイツは。俺の親父がアイツの家族を助けたことを」 「アズは、動物じゃなかった」 「腹が煮えくり返ったのは俺のほうだ。二発目は、完全な俺の八つ当たりさ。……俺は、親父の七光りで、教官を殺しかけたアイツのパンチを食らわずに済んだわけだ。嫌な野郎だ。俺がドーソン一族だから殴らなかったんじゃなく、俺がバクスターの子だってことを強調したんだ。俺が嫌がると知っていて、だ。アイツが動物じゃねえことは分かったが、半端なく嫌味な野郎だってことも、よくわかったよ。結局、教官どもは俺がアズラエルを押さえられると分かって、――約束通り、アズラエルの退学を取り消した」 クラウドは何も言わなかった。ただ、グレンに対して今まで向けていた鉄面皮が、和らいだ気がした。 |