「サルーディーバさん、そうソワソワせんでも、あと三十分もすりゃ、あの銀色頭はここへくるわい」

だから落ち着いて、座って茶を飲め、と宮司は呆れ顔で言った。

「も、申し訳ありません……」

サルーディーバは、さっきから立ったり座ったりと、忙しないのだった。真砂名神社の一角の小部屋――ここは普段宮司が休んでいる小部屋だが――ここで栗ようかんと緑茶をまえに、宮司とサルディオネとサルーディーバは三時のおやつ。のはずだったのだが、サルーディーバはおやつに手をつけず、ソワソワと動いてばかり。

 

「心配せんでも、銀色頭の分もちゃんとありますでの」

「でもあの、わたくしも、お手伝いしたほうが――、」

グレンは、宮司の言いつけどおり、せっせと拝殿を掃除していた。モップひとつ持ったことのない、ドーソン家のお坊ちゃまが。

「姉さんが手伝ったら、グレンさんはサルーディーバに掃除をさせた罪で、処刑になると思うけど」

それに、不器用な姉さんが手伝ったら、ますますグレンさんの掃除する場所が増えるかも、と、サルディオネが、勝手にお茶のお代わりを自分の湯飲みに注ぎながら、言った。

「恋する女って、そんなもんだよね〜」

「……!!」

にしし、と笑うサルディオネに、サルーディーバは言葉を失って顔を赤くした。妹は、さいきんおかしい。これでも、もう少し前までは、たしかに妹だけれども、サルーディーバに対して多少の遠慮というものがあった。実際、それを寂しく思っていたのだから、なくなったのはいいことだけれども、これはいただけない。アントニオの影響もあるのか、はしたない言葉遣いがさらに多くなった気がする。

「恋する女、のう……」

宮司までもが、緑茶を見つめて呟く。

「あの銀色頭では、すこし役不足かの、」

「何を仰るのです! わ、わたしは、わたくしは……、べつに、その、」

この宮司も絶対おかしい。サルーディーバが恋、などという言葉を聞いたら、たいていの人間は顔を真っ赤にして、サルーディーバを窘めるはずなのに。

 

「おい。終わったぜ」

グレンがいた。サルーディーバの背後に。ルナではないが、背筋がのけぞるほどサルーディーバは驚いた。人の気配もわからなくなるほど、グレンのことで頭がいっぱいだったのだろうか。

(情けない……。落ち着かなければ)

 

グレンは、宮司の作務衣を借りていた。無論、つんつるてんである。足も腕も足りなければ、身幅も足りていない。逞しい胸板が、惜しげもなくさらされ中だ。

彼のビショビショの私服は、宮司が干して乾かしてくれていた。

「よしよし。ちょっと見てくるぞ」

宮司は、廊下をまたいで拝殿のほうへ行った。

「ほう……。ちゃんと掃除したようじゃの」

床はきちんと磨き上げられ、モップで拭いた後は乾拭きされている。

「ええ子じゃ。おつかれさん。服はここに置いておくぞ」

吊るしてあった服はまだ半乾きだが、適度な風通しによって、気にならないぐらいには乾いていた。

 

「グレンさん、ここ座りなよ」

「おう」

サルディオネが席をずらし、サルーディーバの隣にグレンを座らせる。サルーディーバの肩は、緊張でガチガチに張りつめていた。グレンがこんなに近くにいることに加え、サルディオネがまた恋だのなんだのと、グレンの前で言いだすのではないか――という心配で。

心臓が、破れそうだった。

 

 グレンは、出された栗ようかんを見、「……これは何?」と聞いた。栗ようかんという菓子だと宮司が告げると、グレンはそれを口に持って行った。スクエアな塊がひとくちで口の中に押し込まれる。その男らしい食べ方に、サルーディーバは半分呆れ、半分見惚れた。自分の周りに、こんな無作法な食べ方をする男はいない。

 ひと噛み、ふた噛みしてごくり。なんという早食いか。宮司も呆れて笑った。

 「ようかんは逃げんよ。ゆっくり食べんか」

 「甘ェな……」

 緑茶も、ぐびぐびと喉を鳴らして一気飲み。サルディオネが笑った。

 「グレンさん、あんた、ほんとに物怖じしないね」

 「あ?」

 「サルーディーバの隣でなんて、普通の人は喉を通らないよ」

 「……」

 

 ああ、そうか。そういえば、サルーディーバが隣にいるんだっけ。

 グレンはやっと思い出した。

 神格化された人間。人が作り出した、目に見えぬものの象徴。

 グレンの目に映るのは、美しい一人の女性だ。

 グレンは、隣のサルーディーバを見た。いつも被っているフードは今はない。綺麗に編み込んだ、飴色の髪。伏せられた長い睫毛。

 実に美しいな、とグレンは思ったが、これを口に出せばさすがに無礼者扱いだろう。

 

 「あんたも、それ、食うのか」

 代わりに口から出たのは、サルーディーバのめのまえにあるようかんの行方についてだった。

 「……え? あ、……ほ、欲しいのなら差し上げますが……」

 サルーディーバは、皿をグレンのほうへ押しやったが、突っ返された。

 「そういうつもりで言ったんじゃねえよ。あんたも俺たちと同じモン、食うのかなと思って」

 グレンには悪気はない。サルディオネが苦笑して言った。

 「当たり前だろ! 人間なんだから」

「なんか、カスミ食って生きてそうだよな、……ああ、だからいらねえって。あんたからくいもん取り上げたら、俺は火あぶりだぜ」

 宮司も、サルディオネも笑った。サルーディーバだけが緊張で笑えなかった。

 三人は、なにがおかしいのか、サルーディーバには分からない話題で笑いあっている。分からないのではない、サルーディーバの耳に、彼らの声が届いていないだけだった。

 緊張のあまり、まともに声が聞こえない、というのをサルーディーバは初めて経験していた。

 

 彼女は、いつのまにか、茶卓の上に乗っている、グレンのたくましい腕を見つめていた。もとは白いはずの肌が陽に焼けて、小さな傷がいくつもついている。こんな腕は見たことがある。シエハザールの腕もそうだった。彼は王宮付きの護衛官の息子で、メルヴァの剣の師匠で、鍛錬の傷が体のあちこちに残っていた。

 宮司の作務衣がきつすぎて、結局肌蹴た、厚い胸板、大きな体。サルーディーバの周囲には、こんな大きな男はいくらでもいた。サルーディーバ直属の護衛官もみな大柄だったし、ツァオなど、規格外に大きかった。

 どれもこれも、見慣れたものだ。めずらしいことなどひとつもない。

 グレン並みに大きな男はいくらでもいる。

 

 ――なぜなのだろう。好きな男のものとなると、その逞しい腕や身体が、特別なものに見えてくるのは。

 大口を開けて笑う姿は、上品とはとても言えない。さっきの食べ方を見たか。L03でも荒くれ者――軍人に近い立場のシエハもツァオも、あんな食べ方はしない。すくなくとも、サルーディーバの前ではしなかった。下品とは言わないが、いちいち行動も粗暴で、荒っぽい。怒鳴り声は恐ろしく、ひとを従えて来たものの声だ。慈愛ではなく威圧で。