サルーディーバは分からなかった。自分の心が。

 グレンは男らしい顔立ちはしていると思う。サルディオネに言わせれば、「ルックスは悪くない」。

 だが、顔だちが自分の好みであるというなら、よほどメルヴァやアントニオのほうが好感が持てる。

 グレンは、やはり世間一般に言う「かっこいい」顔だちではあるが、その奥に残虐さが見える。サルーディーバにははっきりとわかる。

 それは優秀な軍人であればあるほど持っている、仕方のない素質だ。

 彼は、どこか歪んだ嗜虐癖を持っている。サルディオネの占いでもそれははっきりと出た。彼女曰く「王様気質のサディスト」。

 ……いくらサルーディーバでも、あまりよくない傾向だろうということは、わかる。

 彼は、メルヴァやアントニオのような純粋さなど、持ち合わせない。

 子供のころに、それらはすべて打ち砕かれているのだ。サルーディーバはそれを哀れとは思っても、純粋さのない男には惹かれない。――そのはずだった。

 

 彼を現実に、知らないほうが良かった。

 憧れのままでいたら、良かったのかもしれない。

 知れば知るほど、幻滅する。

 無法で、がさつで、居丈高な男。

 

 なのに。

 

 この相反する、胸の高鳴りは、どうだ。

 彼を見ているだけで胸が疼くような、この感覚は――。

 

 「――おい」

 サルーディーバのめのまえを、大きな掌が上下していた。――そして。

 「聞いてるか?」

 渋い声。サルーディーバがはっと顔を上げると、恋する男の顔が間近にあった。同時に武骨な指が、サルーディーバの頬を無遠慮につまむ。

 「……!!」

 サルーディーバは、体のすべての熱が逆流して、沸騰するかと思った。男の意志を読んでいる余裕などない。

 「お、お離しなさい!!」

 思わず、グレンの手をものすごい勢いで弾いていた。思わず、抓まれた頬を両手で押さえる。

 「――あ」

 その強烈な拒絶に、すぐに我に返る。彼が傷ついていないかと、心配で――、

 「も、申し訳、ありま……」

 

 意に反して、グレンは笑っていた。してはいけないと思いつつ、サルーディーバは彼の心を探ったが、傷ついている様子は見受けられない。

 「おお痛ェ。さすがに無礼罪でお手打ちか?」

 サルディオネも宮司も、びっくりしてふたりを見ている。

 

 「……っはあ〜、もう、びっくりするなあ!」

 詰めていた息を吐いて、サルディオネが緊張を破った。

 「グレンさん! あんたが物怖じしないのは分かったけどさ、さすがにそれはやめてよ! うちの姉さん、慣れてないんだから!」

 「は? なにが?」

 グレンには、まったく“その”気持ちはない。やましい気持ちなど微塵もない。サルーディーバは瞬時に理解した。

――そして、絶望した。

 

 サルディオネが言葉を紡ぐ前に、彼女はふらふらと立ち上がり、やっと、言った。

 「――申し訳ありません。わたくし、急に人に触れられるのには慣れていなくて……、」

 それでグレンは理解し、「ああ、そうか。そりゃ悪かった」と謝った。彼の鉄の心臓は、こんなことで傷つきもしないし、ぶれもしない。気分を害したりもしない――すなわち、動かない。

 

 「わたくしは、今日はこれで……、」

 部屋を出て行こうとするのを、グレンが呼びとめる。彼も立ちあがった。彼の鉄の心臓が、すこしだけ振動している。だが、それも大したものではない。もしかしたら恩人の気分を害したかもしれないという、わずかな後悔だ。

 

 「今日は悪かったよ。――俺は知らずに、あんたに無礼を重ねてたかもしれねえが、許してくれ」

 「……、」

 「本当に、ありがとう。……もう会うことはねえかもしれねえが、達者でやってくれ」

 彼の心から流れてくる温かい波動。感謝だ。サルーディーバは渾身の理性でもって、振り返り、ふかく礼をし、グレンの目を見つめた。彼の目にあるのは、恩人に礼を言えたという満足と、感謝。それ以外にない。

 「では――、」

 サルーディーバは、グレンが見送る廊下だけは、静かに歩いた。もう駆け出しそうな気持を押さえて。泣きたかった。涙が零れ落ちそうだった。ここで泣くわけにはいかない。誰に見られるともわからない。グレンが見える廊下を過ぎると、サルーディーバはまっすぐ、ギャラリーのほうへ駆けた。

 

 「グレンさん、あんた、もう姉さんに会わないつもり!?」

 剣呑な声で後ろから怒鳴られ、サルーディーバの背を見送っていたグレンは、「はあ?」とマヌケな声を上げた。

 もう会わないつもり? とはどういうことだ。

 「会わないって――普通は会えねえだろうが」

 

 あれは、“サルーディーバ”である。サルディオネのただの姉ならば、サルディオネとルナが親しいのだからまた会う機会もあるだろうが、彼女は特別な存在である。普通の人間は、彼女に近づくだけで罰せられると彼女自身も言った。

 先ほどの出来事も、サルーディーバがそういう「特別な存在」であったからこそ起こったことである。知人を多少追いかけたところで、「やめなさい」とは言われても、まさか警棒で殴りかかられ、宇宙船を即座に降ろされるところまではいくまい。

 すべては、サルーディーバという「特別な存在」に、グレンが強引に話しかけようとしたから、起こった出来事だ。

サルディオネとて、バーベキューパーティーのとき、会わせることを仄めかしたが、結局会わせてはくれなかったではないか。今日という偶然がなかったら、おそらく一生会えなかっただろう。

 

 「まあまあ、サルディオネさん、そうがなるもんじゃない」

 宮司は一人落ち着いて、茶を啜った。

 「サルーディーバさんとの、この銀色アホンダラの頭ンなかの価値観の落差と言ったら、こんなもんじゃ」

 宮司は小柄な体を精一杯伸ばして右手を上げ、左手は畳をつついた。

 「おいジジイ。俺は銀色アホンダラとかいう名前じゃねえ」

 やっぱり自分への罵声の頭文字は「銀色」なのか、とグレンはヘンなところで納得したが。

 「じゃあ略して銀ダラでええか」

 「それ魚じゃねえか」

 「女心も分からんおまえさんは、魚類でええわい」

 「女心だあ?」

 グレンは首を傾げた。どうしても、グレンの脳みそは、サルーディーバは自分を好きなのだという結論には到達しなかった。考えたのは、さっき頬を抓んだことぐらいである。ちょっと図々し過ぎたと反省はしたが、グレンとしては、隣に座っている女が、ほんとうに生身の人間か確かめたかっただけだ。

 美しさに加え、なんだか、呼吸もしなければ、モノも食わない浮世離れした生き物に見えたから。

(俺は、何か気に障ることをしたか。やっぱしたんだな。……まあいいか。謝ったし、)

グレンの頭の中身など、こんなものである。