――話は多少、さかのぼる。

 

 あの、運命の日。

 シエハザールが真砂名神社の奥殿に現れ、夜の神の鉄槌を受けた日。

 ルナが、サルーディーバに、「アズラエルとは別れろ」と言われた日。

 アントニオが、サルディオネを抱いた日。

 

アントニオは二度、サルディオネを抱いて、毛布を引っ張り出してきて彼女の小さい身体を包んだ。サルディオネは眠っていない。起きている。泣きはらした目を、うすぼんやりと開けて。アントニオはずっと泣きそうな、困った顔をして、サルディオネを抱きしめずに距離を置き、窓際に座って空を眺めた。

本当は抱きしめたかった。アントニオは、サルディオネがショックで放心していると思っていた。

もうすこし、時間を置いても良かったはずだ。

サルーディーバでもサルディオネでも、どちらでもいいというような言い方をして、まるで、サルーディーバが拒絶したからサルディオネを抱いたような形で、アントニオも気分が悪かった。

 

「アントニオ」だったらどうする?

聖人君子のように、サルーディーバやサルディオネを見守るか。彼女らのメルヴァへの片恋や、グレンへの片恋を温かく見守り、応援するか。妻にするにしても、きちんと段階を踏んでからが良かっただろう。抱くのは、形式上、妻にしてからでも。

「太陽の神」ならどうする?

こたえは簡単だ。すべて愛する。サルーディーバも、サルディオネも、だれにも渡さない。――ルナも。

実際、それがいちばん簡単なのだろう。メルヴァもグレンも、アズラエルも敵にすらならない。太陽の神に敵いはしない。そのかわり、「我が妻」たちは自由がなくなる。ひとを愛する自由が。

 

アントニオは頭痛がするな、とぼんやり思った。

もう、自分が太陽の神なのかアントニオなのか、ここまで入り混じってしまえばどれが本当の自分かなど分からない。

 

「――アンジェ」

まだ、サルディオネを心配し、嫌われてしまうかもしれないと怯えている自分に、アントニオはほっとする。まだ自分がいる。太陽の神に食われてはいない。

「アンジェ、ごめんね」

そっと、サルディオネの髪を撫でた。返事はない。しばらくそうして、アントニオはやっとジーンズを履いた。

 

 「――っくわあ!!!」

 「うわびっくりした!!」

 

 サルディオネがものすごい勢いで飛び起きる。アントニオは全身でビクついた。飛び起きたサルディオネは、飛び起きたとたんに背を丸めた。

 「お……おマタが痛い……」

 「アンジェ、それはいくらなんでも色気がないんじゃない?」と、アントニオはすんでのところで言うのを留まった。

 

 「――なんて顔してんの」

 サルディオネのたたでさえ目つきの悪い目が、ますます細められてアントニオを睨む。

 「まさか、後悔してるとか言わないよね。あたし、ヤラレ損だったってことないよね」

 「……、それはない」

 「やっぱ、美人な姉さんの方が良かった? だから二回しかしなかった?」

 アントニオは大きなため息を吐いて、首を振った。

 「ごめんとか、ふざけてない? あんた、ほぼ強引にあたしのこと犯したよね」

 「お、おか、」

 「違うって言える?」

 詰め寄られて、アントニオは泣きそうになった。こうなると、立場は弱い。だが、サルディオネは、怒っているのではなかった。

 

 「……あたしのこと、可愛いって言ったよね」

 「言ったよ」

 「好きって言ったよね」

 「うん」

 「もっかい、言える?」

 アントニオが言おうとしたのを、サルディオネは遮った。

 「やっぱ、いいや」

 サルディオネは、アントニオから離れると、散らばっていた服をかき集めて着た。

 「いいことがあり過ぎると、不安になるしね」

 「アンジェ……?」

 「あんた、あたしを抱く前に妻になる? とか聞いたけど、妻になんてしなくていいからね」

 アントニオは呆気にとられ、それから「……何言ってるの」とちょっと怒った声で言った。

 「今回のこと、責任取らなくていいってこと」

 なぜなのだろう。サルディオネの表情は明るい。

 「責任とかじゃなくて俺は、」

 「えっちは気持ちよかったよ。またしよう。あたし、そのうちリズンに行くから」

 「ちょっと待ってよ、アンジェ」

 「――ありがとう。あたしのこと好きって言ってくれて。今度は、あたしからも言うよ」

 アントニオの次の言葉を待たずに、サルディオネはよたよたと部屋を出、階段を下りていく。あれが、数時間前まで処女だった女のセリフだろうか。初めて抱かれることに怯え、自分の腕の中で震えていた女の子だろうか。

 ……女は、強靭だ。        

 アントニオは、打ちひしがれている自分にため息をついた。

 男のほうが繊細なんだって、ほんとうなんだなあ、と。

 

 

 外は暗くなり、もうほとんどの店舗が灯りを落としていた。暗闇の道を、サルディオネはよたよたと変な歩き方をして帰った。

 もうちょっと、アントニオといても良かった。今日はもう、三度目は無理だろうけど。おマタが痛いから。でも、一度思いついたなら、いてもたってもいられなくて飛び出してきてしまった。

 

 ――あたしはもういちど、メルヴァの「真実」を知らねばならない。

 

 家に帰ると、カザマの靴があった。姉にはカザマがついてくれている。サルディオネは安心した。今は、姉さんのことも心配だけれど、なによりもまず、もう一回見なくてはならないものがある。

サルディオネは自室に戻り、しまいこんであったメルヴァに関する新聞の記事や、ZOOカードの記録帳を取り出した。

 

 (――あたしは、どれほど目くらになっていたんだろう)

 

 ひとつひとつの記録や記事に目を通しながら、サルディオネの目から、一筋の涙が零れ落ちた。

 今ならわかる。ツキ物が落ちた、今なら。

 もはやメルヴァは別人だ。顔だちも、その心も、その意思も。

 サルディオネが愛したメルヴァは、もういない。

 新聞記事にあるメルヴァの写真は、昔のものばかり。変わっていない頃のメルヴァ。それに騙されていたのか。