自分を捕えたら、メルヴァはどうしていただろう。 「愛している」と心にもない嘘をつき、自分を抱き、利用していただろうか。 心ない嘘というのは酷か。メルヴァは確かに自分を好きだった。だがそれは、マリアンヌを愛するほどのものではない。恐ろしくささやかな愛だ。 そう。恐ろしくささやかな愛。 ――鉄の心臓をすこしもゆるがせはしない、小さな親愛。 そんなちいさなものは、もっと大きな、深くて熱い愛のまえでは、塵同然になる。 数時間まえまでは、それでもいいと思っていた自分がいた。 ――アントニオが、あんなに優しく、抱いてくれるまでは。 ほんとうに、自分を愛する男がいたのだと、知るまでは。 サルディオネは目を拭い、ZOOカードを並べた。サルディオネの合図ひとつで、一気にカードは、所定の位置に配置される。 ほら、もう、こんなにはっきりと出ていたのに。 見えなかったのは、自分だ。 メルヴァへの先入観と、「あり得ない」と思っていた頑なな観念、――自分のトラウマ。 それがサルディオネの目を、歪ませていた。 こんなにもはっきりと出ている。 メルヴァと、マリアンヌを結ぶ、真紅の糸。 ――ルナとアズラエル、グレンを結ぶ糸と同じくらい赤く、太い糸――。 姉弟で、そんなことはあり得ないと思っていた。メルヴァは自分の婚約者、そしてマリアンヌはシエハザールと愛し合っている。だが気づけたはずだ。そのサインは出ていた。 ずっとずっと、昔から。 (ルナ、ごめんね) あたしは、ルナを見殺しにするところだった。 マリアンヌは、ルナのためのうさぎ。その身を犠牲にして、ルナを救うために生まれた黒うさぎ。なんて皮肉なことだろう。マリアンヌがその身をルナのために犠牲にしたことが、メルヴァを苦しませ、結果としてメルヴァに、ルナの殺害を決意させるなんて。 (メルヴァ、マリーはもう、いないんだよ……) どんなに語りかけても、メルヴァのカード、「革命者のライオン」はこたえない。白いライオンの、そのカードは、静かな怒りと恨みを込めて、「月を眺める子ウサギ」を見つめている。 (ルナを殺しても、マリーは帰ってこないんだよ……) マリアンヌがルナのために、贖罪のために生まれたのはルナのせいではない。むしろルナのほうが、マリアンヌのせいで苦しんできた。その贖罪のために生まれたのは、マリアンヌの意志。メルヴァがルナを恨むのは間違っている。 サルディオネはZOOカードを動かし、マリアンヌとルナの重なる前世を見る。そこには答えが出ていた。マリアンヌは、「贖罪」のために、ルナを救うカードとして、今世生まれた。 ――マリアンヌは過去、三度過ちを犯した。 そう――。 ルナとアズラエルたちが、こうして何万年も生まれ変わりを繰り返し、贖罪をする羽目になったすべての原因が、マリアンヌだったのだ。 けれど、そのためにあんなむごい死に方をせねばならなかった、マリアンヌ。 メルヴァの怒りも分かるが、ルナを恨んだところで、誰も救われないのに。 (――ねえ、お願いマリー。メルヴァを助けて) 神を殺せば、……アズラエルやグレンのように、何万年も贖罪をくりかえすことになる。それをメルヴァは覚悟して、ルナを殺そうとしているのだ。 (あんた、姉さんでしょ。……メルヴァを何とかしてあげて) 「ジャータカの子ウサギ」のカードは、なにもこたえない。 しずかな沈黙が、部屋を支配する。 (あたしが、なんとかしなきゃいけない) サルディオネの「ZOOの支配者」のカードは、ルナの助けをもはや必要とはしていなかった。「太陽の神」の寵愛を受け、柔らかなオーラで包まれている。 「……現金なモンだな」 サルディオネは思った。 あたしに限っては、男に愛されることで、こんなに変わるなんて思いもしなかった。 ――自分はずっと、男に愛されることなんて、ないと思っていたから。 「ここをまっすぐ行くと、椿の宿の裏に出るよ」 山道は抜けたようだ。 グレンは、車が通れるほどの道幅の道路に出た。まだ山の中腹だ。景色を見下ろせば、椿の宿の屋根が見える。 「おう。ありがとう。じゃあなアンジェ」 そういって、グレンは右手を上げて、今度こそ山を大股で降りていく。 サルディオネはそれを見送りながら、思った。 ――グレンと、サルーディーバ――姉さんの赤い糸は、紫がかった赤。 情熱的な愛じゃない。互いを敬い、尊重し合う、関係の色。 ルナとグレン、アズラエルは燃えるような真っ赤な赤。これに敵う糸なんてどこにもない。 真っ赤な赤は、情熱の色。 どんな立場、境遇、どんな性別で生まれ変わっても、必ず惹かれあってしまう運命の色だ。 メルヴァとマリアンヌと同じように。 一目ぼれしかない真っ赤な糸と違い、赤紫は、互いを知りあわなきゃいけない。 だから、一番結ばれにくい関係でもある。 互いを敬う、穏やかな関係は築けても、どちらかが積極的に動かなければ、恋には結びつきづらい。 (――姉さん) ルナがいる限り、グレンの心は、なかなかサルーディーバには向かないだろう。まず、グレンは、サルーディーバの心に気付いてさえいない。 だが、たとえサルーディーバの気持ちを彼が知ったところで、受け入れてもらえるかも謎だ。 グレンは、サルーディーバをないがしろにはしないだろう。それゆえに、好意はあっても、手を出すことはないかもしれない。なんにせよ、時間が必要なことは確かだ。 ふたりが、互いを知りあい、わかりあうための時間が。 (恋って、なんて七面倒くさいの) あたしには、恋のキューピッドなんて、向いていないけれど。
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