(……重いかな) そう思ってどこうと思ったが、いつのまにかアズラエルの逞しい腕がルナの背に回されていた。ルナが身じろぎするだけで起きてしまうアズラエルの習性を思いだし、ルナはそのままの位置で、ぺたりと自分もアズラエルの胸に身を預けた。 規則正しいアズラエルの心音。ルナも眠くなってきた。 (ちょっとだけ、いいよね……) ルナも目を閉じた。 ――ルナが起きると、すでに車は発進していた。ルナはいつも通り、助手席という定位置に配置され、よだれを垂らしながら起きた。 運転席ではアズラエルが、いつも通りのしかめっ面で運転していた。いつも通りだ。さっきの殺伐とした無表情ではなく、いつも通りの仏頂面。オプションなし。 「てめえまで寝てたら意味ねえだろ。俺は三十分後に起こせと言ったろうが」 「はれ? ……ごめん」 「ゴメンじゃねえよ」 アズラエルは不機嫌そうに言い放ったが、やがて深いため息とともに言った。 「まあいい。てめェの寝つきがいいのはいつものことだ」 「ごめんねアズ。今日は抱っこして寝かせてあげる」 アズラエルは片眉を上げた。「期待してねえよ。どうせおまえが先にオチる」 ルナが車内時計を見ると、一時間は経っていた。ルナはアズラエルがいつ起きたのかとか、これからどこに行こうとしているのか聞こうとしたが、アズラエルが先に口を開いた。 「K08区のホテルに予約取ってある」 アズラエルはさっきのことは何も口にしなかった。さっきの喧嘩のことも、ルナとの奇妙な会話のことも、ロメリアのことも。 「ホテルの中にレストランもあるし、ルーム・サービスもあるはずだ」 そう言って、アズラエルは珍しく欠伸をした。 「アズ、眠いの」 「ああ。……久しぶりに熟睡しちまったからな。三十分で起きればよかったんだが、中途半端に長く寝たせいで、目覚めが悪ィ」 そう言ってルナをギロリと睨んだので、ルナも久方ぶりに竦みあがった。アズラエルとしては、眠い目を向けただけで、睨んだつもりは毛頭なかったのだが。 「ご、ごめんアズ。あたしも寝ちゃって……、」 「ああ。ひとのTシャツに涎こぼしやがってな。おまえじゃなかったら、髪の毛掴んで引きずり回してやるところだ」 ごめんなさい。ほんと申し訳ありませんでした。 重ね重ね、お詫び申し上げます。 ルナはここが平地だったら、土下座して謝りたいくらい、アズラエルの顔は凶悪だった。 「あと三十分ほどで着く。寝るなら寝ておけ」 アズラエルは言った。 「今夜は、寝かせるつもりはねえからな」 (……ふうん。なるほどね……) 宇宙船内いち大きな図書館、中央図書館のとあるテーブルは、セルゲイ一人に独占されていた。 テーブルに乗っているものは、セルゲイの長い腕と、紙コップのホットコーヒー、ノートパソコン、そして、膨大な量の、「マーサ・ジャ・ハーナの神話」。 子供向けの絵本から、視力に悪そうな字面の分厚い本まで。山のように積み上げられた本を、セルゲイは一冊一冊、確かめていた。 (やっぱり、どの本も同じ内容ってことは少ない。同じ話でも、微妙に内容が違う……) 正史と呼ばれるもの、口伝、民話、創作、とんち話。 たとえば同じ「東の名君」の話でも、オチが違ったり、登場人物が増えていたりする。こどもへの教訓的な意味に、多少話を作り替えられているものもあれば、もっとグロテスクな内容のものもある。 セルゲイは、何もすべての本を隅から隅まで読んでいたわけではない。そんなのは、クラウドでなければ不可能だ。セルゲイが隅から隅まで読んだのは、すべての本のなかの、「東の名君」の話だけ。 この神話の有名な話などは、映画になることもある。そういったときに書店に並ぶ、解説本の類も、セルゲイは読んだ。 その結論としては。 (これが一番、真実に近い話か) セルゲイは、だいたい高校生ぐらいの年の子が、読書感想文にでもえらびそうな、ちょうどいい厚さの、字もそう細かくない本を手に取った。 話の並びも選定も、セルゲイが昔読んだマーサ・ジャ・ハーナの神話の本と、似ている。 出版社も、「児童ぶんがく館」という、どこにでもありそうな名前だ。開いて、さっき読んだ「東の名君」の話をまた斜め読みする。 (俺が昔読んだ本と違うところは……) 自分が昔読んだ「東の名君」の話と違うところは、登場人物がひとり増えていて、オチがすこし違うということだ。 「東の名君」の話は、だいたい前半が彼の武勇伝で、彼が国を治めて名君と呼ばれるまでの話。その長い話の後半に、急に空気を換えるように妾の話が出てくる。名君が愛した妾。名君の部下の騎士と通じ、殺された女。 (なるほど。こっちの方が、少しは納得がいく) セルゲイは、ひとりで頷いた。 セルゲイが昔読んだ本のほうは、考えなしで世間知らずな妾が、ひさしぶりに自分の褥へやってきた名君に、「わたしを騎士さんの妻にしてください」ということから、妾の浮気が発覚し、妾も騎士も殺害される。 だが、こっちの本は、もうひとり、暗躍する登場人物がいるのだ。殺された妾の美しさを恨めしく思っていた、マリーという妾。彼女は名君が正妻をむかえたあとも、王の寵愛を得たくて後宮に残り、彼女が、妾と騎士の密通を、王に告げ口したという展開になっている。このマリーという女は、妾が死に、騎士が処刑されたあとも、王宮を引っ掻き回す大悪女となる。 (そうだよなあ……) |