「アズ」

 「なんだ」

 「アズってば、一秒間に何回ごしごしする?」

 「……はあ?」

 いつもの声より一オクターブ高い声。すなわち呆れているのだ。ルナの意味不明な質疑応答は、今に始まったことではない。

 「おせえな、ルームサービス」

 関係ないこたえが返ってきたので、ルナは膨れた。

 アズラエルが何も言わないし、髪を拭きながらテレビを眺めているので、ルナも備え付けのタオルを持った。

 「あたしも入ってくる」

 アズラエルはワンテンポ置いて、「……湯、張ってねえぞ」と言った。

 仕方ない。じゃあシャワーだけでも、と言って行こうとすると、「入るな」と制止の声をかけられる。

 「あたしもシャワー浴びてくるだけだよ」

 アズラエルはテレビを見ながら言った。

 「ダメだ。おまえはそのまま食う」

 ルナが意味が分からずに首を傾げていると、

 「メシ食わせて、丸々太った子ウサギちゃんをそのまま食っちまうのは王道だろ?」

 ニヤリと笑うアズラエルがいたので、ルナは彼めがけて枕をぶん投げ、荒々しく浴室へ入った。うしろから、アズラエルの高笑いが追いかけてくる。

 

 

 「あ! アズずるい!!」

 ルナがアツアツのシャワーを浴びて出てくると、アズラエルが、ピザの大きな切れ端を咥えているところだった。

 「おまえ遅ェから」

 健啖家というのは、アズラエルのことを言うのだ。とにかく彼は量を食べる。アズラエルの食欲はいつも見ているのに、いまさらながら呆然とする。身体のどこに入っていくのかと思うほど、食べる。そのくせ、食べないと言えばとことん食べない。夜に酒ばかりの日が続いたときは、ルナはアズラエルの口にパンを押し込んでやったことがある。

ルナが浴室から戻ってきた時点で、ピザの箱が――Lサイズのが――三箱、空になって重ねられていた。Lサイズピザなど、ルナは切れ端がふたつあれば十分。多いくらいだ。一辺が大きすぎるLサイズでは。

しかし、ルナの好きなシーフードピザをちゃんと残して置いてくれたあたりは、褒めてあげなければならない。

 

「食え。食ったらヤるからな」

食べて、セックス。あまりに即物的な言い方にルナは頬を膨らます。アズラエルはたまに、デリカシーという単語が脳内から消え失せる。食ったらヤるってそれあんまりだろう。思ってても言っちゃいけないよアズ、とルナは思ったが、いまさらこの野獣には何を言っても無駄だし、どんな美辞麗句で飾ろうが、食ったらヤることには変わりがないので、ルナは開き直ってピザにかぶりついた。

 

「何飲む?」

 アズラエルは、すでにウィスキーのロックを作って飲んでいた。ルナがミネラルウォーターのペットボトルに手を伸ばすと、アズラエルが取り上げて蓋を回してくれる。食ったらヤるぞと露骨な言い回しには気を遣わないくせに、こんなところだけ優しい。つくづく、ルナは男というものの思いやりのズレ加減を、痛感していた。

 ルナがはぐはぐとピザを齧っていると、アズラエルが手を伸ばしてきて、いとも簡単にルナを膝上に乗せた。

 

 「アズ、まだ食べてるよ」

 「ああ。分かってる」

 

 アズラエルはルナを膝に乗せたまま、あやすように腹のほうへ手を回し、ゆったりとソファに身を預ける。ルナはアズラエルに比するとだいぶ小さいので、アズラエルの膝に乗ってようやく視線が、頭の位置が同じくらいになる。アズラエルがルナの肩口に顔を埋めてきた。

 

 「あじゅ、食べにくい」

 「……おまえは、いい匂いがする」

 「ピザの匂いしかしないよ」

 

 それはもっともだが。

 

 やっとルナが、大きな一切れを食べ終え、ひょいとアズラエルの膝から降りて、ぱたぱたと洗面所へ走った。手を洗う音がする。一応、濡れたナプキンで手は拭いていたが、ルナがうるさそうなのでアズラエルも立って、洗面所で手を洗った。

 

 「おいルゥ。もう食わねえのか?」

 「おなかいっぱい!」

 

 ルナはそう言って、パタパタ戻っていく。

 

 待ちきれねえのか? 可愛いヤツめ――と思うには、アズラエルはルナを知り過ぎていた。そんなわけがない。ただ、ルナにはピザが大きすぎただけだ。

 相変わらず色気のない恋人に嘆息しながら、ハンドソープで手を洗い、ソファのある方へ戻ると、ルナがテレビにくぎ付けになっている。

「どうした、ルゥ」

 テレビからは、興奮したアナウンサーの声。

 

 『とらえました! とらえました! 見てください! 今、この瞬間をとらえました!』

 

 アズラエルも思わず画面を凝視した。画面内は、砂ぼこり舞う砂漠だ。L03か? いや違う。違うような気がする。

テレビカメラを回している男が、「ここ、ここだ!」と叫ぶ。警察星の、特殊部隊の制服を着た男たちが、L03の衣装を着た男に掴みかかっている。

 

 「い、いま、――生放送なんだって」

 

 ルナが、アズラエルのバスローブの裾を握る。

 

 『今捕えました! メルーヴァの革命軍幹部、エミールが捕えられました! これははじめてです! メルーヴァの幹部です! 幹部が捕えられたのははじめてです!』

 

 画面向こうの、まだ十代にしか見えない少年は、必死に抵抗しているが、大の大人たちに集団で掛かられては、為すすべもない。

 『死なせるな!』『生かして捕えろ』と、声が響く。

 少年もくせ者だ。襲い掛かる特殊部隊の男を払いのけ、石をカメラに向けて投げつけた。

 カメラを回している男がひっくり返ったのか、画面が転回した。もみくちゃになった声と砂ぼこりだけを写し、画面は切り替わる。

 

 『これは、三十分前の映像です』

 普段のニュース番組の画面に戻る。テレビ局のアナウンサーが、慌ただしく口にした。

 

 『L55の標準時間、午後四時五十三分、さきほど、メルーヴァの革命軍幹部、エミール・D・ロドリゲスが逮捕されました。繰り返しお伝えします。さきほど、メルーヴァの革命軍幹部、エミール・D・ロドリゲスが逮捕されました。メルーヴァの革命軍幹部の逮捕は、これが初めてになります。――ここは、ああ、正確な場所が今届きました。場所は、L18のバブロスカ砂漠です』