「たったひとつのことってなんですか?」 「冷めますよ。ルナさん。食べて」 チャンが苦笑して促す。話すつもりはないのだろうか。ルナがごはんをもぐもぐし始めると、チャンがぼそりと言った。 「……宇宙船の派遣役員になった者は、一度は不思議な縁を体験すると言いますが、今回のツアーは、グレンさんの担当役員になったところから始まって、あまりにもいろんなことが起こり過ぎて……」 「……」 「ルナさん、口からこぼれてますが」 「あっ! すみません!!」 チャンはアズラエルのように手を出しては来なかったが、ナプキンをめのまえに置いてくれた。チャンはからかうでもなく、窘めるでもなく、普通にスルーしてくれたので、ルナとしては助かる。 「こんな話、真剣に聞かなくてもいいんですよ」 聞き流してくれればいいんです、そうチャンは言った。 なのでルナが聞き流そうと、せっせとご飯を口に運び始め――それでもたまにじーっとチャンを見るその様は、不自然極まりない。さすがにチャンは吹き出してしまった。グレンたちがいたら、チャンの崩れた笑顔など見たことがないと、凝視するかもしれない。彼の無表情の度合いは、エーリヒに匹敵する。 「あなたは怖い人だな」 チャンは、コーヒーに砂糖を入れながら呟く。 「あなたには、何でも話してしまいたくなる。どうも、そんな雰囲気を持ってる」 「……おいおい。チャンとルナって、珍しい組み合わせだな」 大あくびをしながら現れたのは、グレンとセルゲイだ。まったく人気のない食堂を見て、「……ここがつぶれねェのがマジで謎だ」とグレンは呟いた。 「おはようルナちゃん。おはようございます、チャンさん」 昨夜はほとんど話ができなかったルナがいたのが嬉しいのか、セルゲイもにこやかに笑んで、隣の席に座る。 「おはようございます」 「おはよっ! セルゲイ、グレン!」 「おお。昨夜は構ってくれねえから、拗ねちまうとこだったぜ俺は」 「つつっ……、突かないで! ご飯食べてる時にぷにぷにしないでっ!」 グレンのほっぺたプニプニ攻撃に、ルナが小さな手をパタパタさせる。それを見て大人三人は、目元を緩めた。 「朝からルナちゃんって、ほんと和むなあ」 「癒し系ですね、ルナさんは」 「おう」 褒められているのか、弄られているのか分からない。ここにアズラエルがいたら、「両方だ」とツッコんでいるだろうが。ルナは、グレンとセルゲイに朝食が運ばれて来るまでずっとぷにぷにされ続け――グレンとセルゲイが食べ終わっても、まだもぐもぐ米粒を咀嚼していたのだった。遅い。 そんなルナに、チャンは不思議なことに最後まで付き合って、特になにを話すでもなく、ルナを構うでもなく、けれど席を離れなかった。あのチャンがだ。無駄なことが大嫌いで、食事を終えれば、即座に席をたつチャンが。無駄話などにはいっさい興味を示さないチャンが。コーヒーをちびちび減らして、ルナとセルゲイとグレンの会話を聞きながら、たまにそれに嘴を突っ込んで。 「――居心地が、いいんですよね」 食事を終えて、四人で花桃の部屋に向かう廊下の途中で、セルゲイが頷いた。 「チャンさんの気持ちわかりますよ。私もそうです。学生時代からの友人も残ってはいるんですけど、この宇宙船内でできた友人っていうのは、また違う気がします。だって、ヘンな話ですよ。いくら意気投合してもですね、赤の他人同士が、寮でもないのに共同生活なんかしてるんですから。そして、それが嫌じゃない」 「……生活習慣も、出身星もまったくちがう六人が」 「ええ。人一倍神経質なカレンでさえ、嫌とは言わない。むしろ、――彼女にとってもいい傾向だ。毎日が賑やかでほがらかで、楽しいのは、」 できるなら、宇宙船降りたあともあの生活を続けたいくらいです、とセルゲイが言い、無理でしょうけどね、と付け足した。 「いいことです。船客の方々に、居心地がいいと思ってもらえるのは」 チャンは、目の前を歩くグレンとルナを眺めながら、呟いた。 「……貴方の担当役員は、タケルでしたね」 「ええ……?」 だれをもさん付けするチャンが、呼び捨てで名を口にするのが珍しく、セルゲイの同意は疑問形になった。 「タケルは、私と一緒に地球に降り立った仲間です」 「ええ!? 本当ですか!?」 セルゲイがあんまりびっくりして大声を上げたので、ルナとグレンが振り返ったが、廊下の向こうにミシェルがいてルナを呼んだので、ルナはててててっと走っていった。グレンがそれを追いかける。猫の習性。 「彼は、一緒に地球に降り立った仲間です。私とタケルだけがその年の地球到達者。ふたりとも役員になりましたが、派遣役員と言うのは多忙ですし、わたしは軍事惑星群、彼はL5系の出身だというのに、辺境の惑星群の担当になり、――担当部署がちがうと会う機会も少なくなってきて、いつのまにか縁遠くなっていました。あのバーベキューパーティーのまえでは、最後に会ったのは、彼とメリッサさんの結婚式」 「!? 彼の奥さんってメリッサさん!?」 「そうです。タケルが最初に担当したのがメリッサさんでした。L03での、宗教的儀式のいけにえだったメリッサさんを救出して、船に乗せた。彼女は、自分は生贄なのだから死なねばならぬとの観念にとりつかれていて、自殺未遂を繰り返した。大変でした。彼女をまともな状態に戻すのは。――彼はあなた同様医師でしたから、ありとあらゆる手を尽くして彼女を救おうとした。彼女がやっと、自分を取り戻したのは、地球に降り立ったときでした」 「……」 チャンがこんなに話すのを聞くのも最初であれば、内容も衝撃だ。こんな話を聞いていいのかと、困惑する部分もある。 「バーベキューパーティーで久々にタケルと会ったときは、驚いた。まさかあなたの担当役員をしていただなんて」 「知らなかったんですね」 「ええ。それだけ縁遠くなっていたんです。……本当に嬉しかったですよ。彼との友情を忘れたことはありませんでした。彼は全然変わっていなかった。あのバーベキューパーティーのおかげで、旧縁が暖められた。このあいだ久しぶりに彼と二人で呑みました。何年ぶりだったか」 「じゃあ今度、私も入れてくださいよ。みなで食事でも行きましょう」 「いいですね」 「しかし、タケルさんがメリッサさんと夫婦だなんて、知らなかったなあ。奥さんと娘さんがいるのは知っていたけど」 「隠していたわけじゃないと思います。ただ、切っ掛けがね。一応我々は、船客の前では、なかなかプライベートなことは話せませんし、メリッサさんはVIP担当ですから、バーベキューの時もサルディオネ様にぴったり張りついていましたからね。だれも彼らが夫婦だとは、気づかなかったでしょう」 チャンは一息ついて言った。今度はセルゲイの目を見て。 「こんな話をすみません。……私が話したかったのは、タケルはそういう男だっていうことです」 「……チャンさん」 「どうかあなた一人で抱え込まないで、タケルをもっと頼ってください。彼は絶対見捨てない。自分の担当船客を、ぜったいに見捨てたり、諦めることはありません。辺境惑星群担当だったタケルが、今回、辺境惑星群とは縁もゆかりもない、あなた方二人の担当になったのも、なにか理由があると思うんです。あなたがさっき言ったように、この宇宙船内で出会った人間が特別だというなら、タケルもそうだ」 セルゲイは、チャンが誰のことを言っているのか、分かっていた。 「――ありがとう、ございます」 カレンも、救われるのだろうか。匙を投げたわけではなかったが、自分ではカレンを救ってあげることはできないと、かなりまえに諦めていた節があった。でも一生傍についていてあげようと、そう誓ってもいた。救えはしなくても、よりどころになれればいいと。 「忘れないでください、セルゲイさん」 チャンが、一歩先に出ていた。 「……あきらめない人間だけが、地球にたどり着けるんです」 それはタケルも言っていた。この宇宙船に乗る前に。 金のある人間ではない、運のいい人間ではない、地球に行きたい人間ではない。 地球にたどり着くのは、ただ諦めなかった人間なのだと。 腐って飲んでばかりの生活を送ろうが、死ぬことを繰り返そうが、この宇宙船に乗ったことが本意ではなかろうが、観光気分だろうが、逃げ込んだのであろうが、とにかくきっかけなどどうでもいい。 途中で降りなかった人間だけが、たどり着く場所。 「セルゲイさん」チャンが微笑んでいた。 「カレンさんとも、グレンさんとも、……どうせなら、バーベキューパーティーの仲間とみんな一緒に、地球の海を見ましょうね」 |