『月を眺める子うさぎよ。うさぎ・コンペでは失礼した。時期尚早であったようだ。コンペはいつも通り混乱して終わってしまった。せっかくあなたを迎えたのにな』

 「記録する灰色うさぎよ。月を眺める子うさぎに、道を示せ」

 

 『道というほどのものも、私にはありはしないが――。ただわたしが言えるのは……』

 

 灰色ウサギはしばらく考え、それから咳払いをした。

 『幸せに、生きておくれ』

 カードからふわりと浮きあがった灰色うさぎは、うさぎのその手で、ルナの両手を覆うように掴んだ。奇妙なことに、そこからうさぎの体温が伝わってくるようだ。

 

 『君には信じがたい話かもしれないが、わたしは実に幸せだった』

 

 灰色うさぎは、その黒い目でまっすぐにルナを見た。

 『ユキトと出会えたことも、地球に行けたことも、あのバブロスカ革命のことでさえも、わたしには僥倖だった。あの牢獄生活が苦しくなかったとは言わない。だが、いまのわたしは、実に歓喜に満ちている。わたしは己の役割を果たした、精いっぱい生き切ったと思っている。ユキトも、ほかの皆もそうだ』

 灰色うさぎは、微笑んだ。

 『わたしは、幸せだった。幸せな一生を送ったと思っている』

 「エリックさん……」

 『あなたも、きっとそう思えるように生きてほしいだけ。あのときうさぎ・コンペにいた大多数のうさぎたちは、自分の一生を悲嘆に暮れていた、なぜこんな一生を送らねばならなかったと悲嘆にくれるか、自分が死んだのは、正義のためだだれのためだと、悲壮感に堕ちていきり立っていた。みな、仕方ないと思いつつ、自分の生を後悔していたのだ』

 きゃいきゃい騒いでいたうさぎたちは、みなそうだったのか。

 『うさぎは本来ならば、どの動物よりも幸福に満ち溢れるカード。それをわれわれうさぎに教えてほしいのだ』

 「あ、あたし、そんなことできないし、分からないよ……!」

 灰色うさぎは首を振る。

 『言葉で教えるのではない。あなたが、あなたらしく生きてくれればそれでいいのだ』

 

 あなたが、幸せだと思う生き方をすれば、それでいい。

 

 『ZOOの支配者よ。うさぎ・コンペのときに渡し忘れたみやげを、この子に手渡したい。どうか許可を』

 「許そう」

 『では、月を眺める子うさぎよ。必ず傭兵のライオンと孤高のトラとともに、あの山奥の店舗に行きなさい』

 「店舗って、コンビニのこと?」

 灰色ウサギは頷いた。

『月夜のうさぎと、孤高のトラに、素敵なプレゼントがある』

 そう言って、灰色うさぎのカードはみなのもとへ――カードの群れの中へ戻ろうとした。

 

 「うさぎさん!」ルナは思わず呼び止めていた。「あたしの――お兄ちゃんは、」

 

 灰色うさぎは、穏やかに微笑んだ。

 『君のお兄さんもまた、後悔はしていない。あなたは、必ず、“彼らにもう一度出会える”』

 「――え?」

 『もっとずっと先のことだ。だからだいじょうぶ。あなたは、あなたが幸せだと思うように生きること。それがもちろん、あなたのお兄さんの幸せだ』

 「ありがとう。灰色うさぎさん……」

 

 灰色うさぎは、ルナの手をもふもふの手でそっと撫でると、今度こそカードの中へ消えた。ルナは目じりに浮かんだ涙を拭い、「ありがと、アンジェ」と呟いた。

 サルディオネはなぜか苦笑いし、

 「……分かってくれた? うさぎは決して、“必ず悲劇的な死を迎える”カードじゃないってこと」

 「うん。わかった」

 ルナはしっかりと頷く。

 「みんながあたしの幸せを望んでくれてる。こんなに嬉しいことってないよ。あたしはたぶん、必ず悲劇的な死を迎えるなんていわれても、そんな運命なら逆らっちゃうよ」

 「それでこそルナだよ」

 サルディオネは不敵に笑う。

「さて、ここからだ。ZOO・コンペのメインテーマは」

 

 「ルナ、ここからは言葉を濁さずに行くよ。――あんたは、メルヴァに命を狙われてる」

 

 カードからうさぎが出てきたり、そのうさぎがエリックだったり。軍事惑星群の連中は、脳みそがパアンと行きそうだった。セルゲイやグレンは、まだなんとかついていけていた。ルナと一緒にいると、この程度のことは目白押しだ。だがチャンとバグムントはべつだ。さっきから、己の脳みその許容量を超えたものを見せられ続け、挙句L77から来た普通の少女が、L03の革命家に命を狙われているとなれば、脳みそは限界突破した。まるで接点が見当たらないのだ。あたりまえだが。

 

 「おいおいおいおいおい。待て待て待て待て?」

 一番先に限界突破したバグムントが、遮る。

 「なんでまた、メルヴァがルナちゃんの命を狙うんだ」

 「まさか、L03の革命自体にルナさんが関わっているわけではないんでしょう?」

 チャンも、眉間に皺を一本増やして質問する。

 

 「その質問には、順次答えよう」

 サルディオネが手を上げて制する。さっきから、彼女がさっと右手を上げると、みんな口がきけなくなるのだ。そのことも、チャンとバグムントを困惑させていた。

 

 「まず、ルナとL03の革命は別だ。L03の革命はすでに成功した。まだちょっと混乱が残ってるけど、長老会はおそらく二度とL03には戻れない。L03のすべての占いも、だいたいの高等予言師もそう結論付けてる。現状見ても、ジャーナリストたちもそう言ってるね。とてもじゃないけど、今軍事惑星群はL03に兵は割けないし、長老会は近くL55の裁判にかかる。犯罪者としてね。長年かかるだろうけど、解決するだろうさ。このことは、ルナとは何の関係もない」

 「じゃあ、なんで」

 「メルヴァが、個人的な恨みでルナの命を狙っているってことだ」

 「個人的な恨み? 住む惑星も違って、会ったこともないヤツにか?」

 バグムントのセリフはもっともだ。ルナはメルヴァに会ったことなどないし、恨まれる筋合いも――要因も見当たらない。ルナは、ごくりと唾を呑んだ。

 「メルヴァさんが――あたしを恨んでるの?」

 「そう」

 サルディオネは、ひどく申し訳なさそうな顔をした。

 「それはね、すべてマリアンヌが原因なんだ」

 

 マリアンヌ――。

 

 ルナは記憶を手繰ろうとしたが、いまいち思い出せない。

 

 「カサンドラだよ、ルナちゃん」クラウドが言った。「それなら思い出せる?」

 ルナは思い出したが、ますます首を傾げる羽目になった。

 「でもそのマリアンヌさんも、あたし会ったことないよ?」

 

 「そう――。夢以外ではね」

 「ゆめ?」

 「ルナ。夢の中で何度も黒うさぎに会っただろう?」

 「あっ! 遊園地であったうさぎさん!!」

 「そう。ジャータカの子ウサギ。彼女のZOOカードだよ」

 

 あの黒ウサギさんが、マリアンヌさん……。

 

 「マリーは三度、ルナを陥れた。それがマリーの罪」

 サルディオネは、今度はZOOカードを出さずに説明した。

 「マリーも恐ろしく古い魂だ。ルナたちと同じくらいに古い魂。マリーは、ルナ――あんたやアズラエルたちが生まれ変わりを繰り返し、こうして贖罪をする羽目になった原因を作った女だ」

 「――え」

 ルナもセルゲイも、グレンも、目を見開いた。

 「彼女は生まれ変わって、二度目の過ちを犯す。二度目は東の名君の妾となって、ルナを陥れた。ルナが王の側近である騎士と密通したことを王に告げ、そしてルナは王に殺された。騎士もだ。だから騎士であったアズラエルは、マリーに対して、はっきりとした憎しみを持っている」

 

 セルゲイは、図書館で読みまくったあの本を思い浮かべていた。もう一人の妾の暗躍。やはり、あれが正当な歴史だったのか?

 クラウドはクラウドで思い出した。「カサンドラ」に会ったとき、アズラエルは普段の彼とは思えないほど、初対面の彼女を疎んだ。怪しんでいた。たしかに、ガルダ砂漠から帰ってから、アズラエルはL03の人間は苦手になったが、それにしても拒否の仕方が激しかった。

 まさか、そんな前世の思いが残っていたなんて。

 

 「そして三度目、マリーはクラウドさんの妹となって生まれ変わった。そして男性だったルナを愛した。だがルナ、あんたは革命にその命を捧げようと決意していた。マリーを巻き添えにはすまいと拒絶したために、マリーの怒りを買った。マリーは裏切り、そのために、みんな命を落とした――ルナ、あんたも」

 

 サルディオネは具体的には言わなかったが、それが第二次バブロスカ革命の話であることは、クラウドにもグレンにも、セルゲイにもわかった。

 

 「その三度の罪ゆえに、マリーは今度こそはルナ、あんたのために生きようと、罪を償おうとして生まれてきた。死した後も、夢の中であんたを助けようとしている。その集大成が、あんたに捧げた命が「マリアンヌの日記」だよ。……今は、L18のユージィンという、ドーソンの男が調査している」