七十九話 鍵 U




 

 アダムは、これほど奇妙な依頼を、受けたことがない。

 

 ここはL52にある、バクスター・T・ドーソンの私邸である。私邸と言っても、大きな屋敷が一つ建っているだけ――というような、ありふれたものではない。ひとつの市が、まるごと入るかのような、広大な私邸だった。そびえたつ城のごとき屋敷があり、その周囲は広大な庭――庭とも言い難い、この広さでは。山も湖も森もひっくるめて、バクスターの私邸なのだ。森を一つ隔てた場所には、軍用機の降り立つ飛行場があり、果ての見えない湖があり、私邸から出るには、車がいる。

 そんな私邸の――迷い人さえ出るほどの深い森の真正面に、アダムはいた。そばには木の簡易机と椅子。そしてメルヴァと言う男。アダムと森の間には、L03の民族衣装を着た、まるで踊っているかのような、大勢の人間。

アダムの前には、彼のために淹れられたバター・チャイがあったが、アダムは口をつけなかった。

彼は、久方ぶりにここに舞い戻った。ここへ来るのはこれで二度目。一度目は依頼を受けたとき。二度目は今。そして、三度目は、ないだろう。

 

アダムは、バクスターを通じてメルヴァに雇われ、奇妙な依頼を受けた。その依頼とは、アダムの傭兵人生で、おそらく一番になるくらいの理解できない内容だった。

 

 アダムは、バクスターにメルヴァの依頼を受けるよう頼まれたときに、断ることができなかった。いや、断るという選択肢はなかった。バクスターは、家族の命を救ってくれた恩人である。いつかは返したいと思っていた大恩だ。こんな形で返せる日が来るとは、おもっていなかった。

だが依頼主は、今、L系惑星群を騒がせている革命家。

アダムは重い決断をした。おそらくは、並の依頼ではない。長老会とやらの、要人の暗殺であろうか。とにかく、L03の革命に関わることに、まず間違いはないだろう。

アダムは、考えうる限りの、最悪の予想を立てた。下手をすれば、「アダム・ファミリー」の傭兵家業は、これで終わりかもしれない。こんなとき、息子を別の傭兵グループに入れていて、本当によかったとアダムは思う。アズラエルは「メフラー商社」、スタークはL20の軍勤務。自分たちが仕事で全滅しても、少なくとも息子が二人、残る。ベッカー家の子孫は、残るということだ。

 とにかく、相当の覚悟を決めて、アダムは依頼を受けた。だが、依頼内容は、暗殺任務でもなく、それどころか、命を懸ける必要もまるでない――任務と呼べるかも怪しいものだった。

 

最初にここへ来たときに、アダムはメルヴァに、一枚の大きな地図を見せられた。

 

その地図は、どこの星の地図か定かではない。ざっと見まわしたが、星の名称も地名もない。アダムはL03であろうかと見当をつけた。

ただ、この地図を見た瞬間から、一抹の不安が胸をかすった。その不安とはなにか、説明しようとてできるものではない。地図は、見様によっては奇妙であり、しかし違和感を感じぬ者は感じぬであろう、だがアダムは、違和感を持った。

 

地図には、軍隊の配置が記されている。一目見て、作戦図案だとわかる。山林、あるいは市街地であろう箇所に、戦車隊、歩兵部隊に傭兵部隊、トラップを仕掛けた位置まで正確に記されていた。

軍は、「L20陸軍部隊第208師団」。

この図を見る限り、軍の規模は小規模ながら、あらゆる作戦をふんだんに盛り込んで、敵を撃破しようという意志が伺える。208師団は、攻めてくる敵を、迎撃しようとしているのか。

 

これは一体、何だ。この地図がL20の陸軍部隊、208師団の作戦図案だとしたなら、それがなぜここにあるのか。

 

アダムは、思考をめまぐるしく展開させた。L03の革命は収束したはずだが、長老会から依頼され、鎮圧に向かったL18の軍隊は、まだL03に残っている。だがそれはL18の軍であって、L20は今回の革命には関与していない。だが今のL18の混乱を鑑みれば、L20が助成していたとしてもおかしくはない。

 

メルヴァは、L03の革命指導者である。その革命を鎮圧するために、軍事惑星が軍を派遣した。

L20の、つまり敵軍の作戦図案を手に入れた――のだろうか。

 

「あなたは、この地図を見てどう思いますか」

 

メルヴァの問いも奇妙なものだ。アダムは、肩を竦めることで、返答の仕様のないことを示した。

 

 「聞き方を間違えたようだ。“あなたなら”この包囲網を、どう突破する」

 「……なに?」

 

 アダムはメルヴァを睨み据え、それから地図に目を移した。メルヴァは地図上にコマを置き、それを指揮棒で突いた。

 「これが我ら」

 そして、地図上に記入された軍隊を突く。

 「で、これが我らの敵。L20の軍隊だ。師団長はフライヤ・G・メルフェスカ大佐。この女をご存じで?」

 「いや、知らん」

 アダムは正直に答えた。メルヴァと言うこの男が、人の心を読めることは知っている。

 「知りはしないだろうな。まあ、当然か。――この女は有能だ。あなたと同じようにな」

 メルヴァはかすかに笑った。

 

 「この女の師団は、私を捕えるためだけに送り込まれる。L20は、あまりL03の事は知りません。L03での戦争自体、L20は経験が少ない。だがこの女は、ありとあらゆる調査書を読み、我らの行動を分析するだろう。この女の勤勉さは何にも代えがたい。我らにとっては、実にはた迷惑な才能だ。L18の心理作戦部も彼女の後見になる。彼女はこの戦争で手柄を立て――少将の職に就くだろう」

 

 アダムは、口を挟みたい箇所が何か所もあったが、とりあえず、気になったことを聞いた。

 「これは、L20の作戦図案――つまり、おまえさんらの敵方の」

 「そうです」

 「どうやって手に入れた」

 メルヴァは苦笑し、

 「書いたのは私です」と言った。

 アダムは、L03の人間に、常識が通じないのを知っている。すなわち、L03の常識も、こちらが理解できなくても無理はないということだ。

 「書いた? おまえさんが?」

 「ええ。私が」

 「……そりゃあ、つまり――」

 「私は予言師です。見えたものを書いた。――これは“いずれ”、我らと、L20の軍隊が衝突するときに、L20が敷く包囲網です」

 「……」

 アダムはとりあえず、飲み込むことにした。ようするに、これは、「未来の」作戦図案。フライヤとかいう大佐が、メルヴァを捕えるために、こういう作戦図案を立てるのだと――。

 

 「敵は、心理作戦部が後見する、L20の女将校か……」

 

 アダムは、とりあえず。とりあえず――言いたいことをぜんぶ呑みこんで、依頼主の言い分に従うことにした。傭兵とはそういうものだ。理屈に合わなかろうが、荒唐無稽だろうが、一度引き受けると決めた任務は、引き受ける。

 だが、できうる限り、こちらの納得いく説明くらいは、欲しいものだ。

 まず、このフライヤという女の身元。それはこちらで調べる方が早いかもしれない。

 大佐と言うが、今も大佐なのか。有能なのは分かったが、彼女は何者なのか。将軍職に昇進するということは、おそらく、マッケラン家に繋がる貴族階級の軍人か。貴族階級でなければ、将軍位には昇進できない。L20の貴族階級を探索すればすぐに出てくるだろう、こちらは問題ない、しかし。

しかし、L18の心理作戦部が彼女の後見? それはあり得ない。絶対に、ありえない。

 L18の心理作戦部は、L18だけのものであり、L18の外に漏らしてはならない機密もたくさん抱え込んでいる。だからこそ、心理作戦部はL18の軍部以外とは、関わりを持たない。後見になる――すなわち、心理作戦部が抱えているL03での戦争記録を、このL20の将校に流すということだろう。そんなことはあり得ない。

 それは、傭兵である自分でも分かることだ。

 

 「そう、少将――。あなたも彼女のことを知っておいた方がいい」

 メルヴァは、その先をアダムが望んでいないことを知って、わざと続けた。

 「いずれ、同僚になる女だ」

 さすがにアダムは、次の言葉を制した。

 「それは予言か?」

 「そういうことになる」

 「俺は、そういうものはいらん」

 メルヴァは、微笑んだ。

 「そうですか。……L03の高等予言師の予言は、誰もが欲しがるものだがな。みな、事細かなことまで聞きたがるものだ。まるで、中毒者だ。それを聞かねば、生きていられないとでもいうように」

 メルヴァの口調には、幾分か蔑みが混じっている。アダムは、地図に目を移した。

 「必要なことは、こっちで調べる。それでも分からんことはおまえさんに聞くとする。余計な情報は、一切いらん」

これ以上、よけいな話をする気も、聞く気もない。

 この紫の目の男は、油断ならない。