L52の都心部。広大な森に囲まれたバクスターの私邸から、飛行機を飛ばして半日。海を隔てた大陸にある、L52の首都ラスカーニャ。アダムは、都心のカフェで、優雅に(?)フレッシュ・メロンジュースを啜っていた。

 

 「うんめえなァ……、コレ」

 さすが大都会のカフェで提供される、生メロンジュース。アダムは新聞を捲り、ストローを噛み噛み、味わってそれを飲んだ。アズラエルをはじめ、息子たちは、「あっめェ!」とでも悲鳴を上げて、即座に吹きだしそうな濃厚さだった。彼らは決して、超のつく甘党であるアダムと同じものは飲まない。アダムは、このメロンジュースにシロップを五つも継ぎ足して飲んでいる。斜め向かいの紳士が、アダムが継ぎ足していくシロップに目を見張っていたのは、アダムは知らない。

 実は、ゲロ甘だというバターチャイにも、アダムは興味津々だったのだが、アレをあそこで飲んだら、二度と「こちらがわ」に帰って来れなくなるような気がして、嫌だったのだ。

 

 (ほら、……アレだ。あるじゃねェかよ。むかァしむかしのお話ってヤツで、黄泉の国のモンを食ったら、こっちにゃァもどってこれねェっていう、アレよ。アレ)

 

 話し相手がいないので、アダムはメロンジュースと会話した。

 でかい図体を縮めて、カフェの緩やかな曲線を描いた椅子にちんまりと座るアダムを、だれも傭兵だと思う人間はいない。仕立てのいいシャツにネクタイに、スラックス。革靴も腕時計も、普段はかけることなどない伊達眼鏡も品のいいもので、現金とカードでパンパンに膨れ上がった財布だけが、それらを崩していた。アダムは、「大都市でのし上がった叩き上げの社長」、という人物を好演していた。

 

 「やあ、ありがとう!」

 追加で運ばれたメロンジュースにアダムは目を輝かせ、ウエイトレスに笑顔で礼を言った。ウエイトレスは、作り物ではない笑顔を思わず返してしまった。アダムの笑顔は、どんな人間でも、一発で胸襟を開いてしまう眩しさがある。

 アダムは新しく運ばれてきたメロンジュースに八つ、シロップを入れて紳士を慄かせたのち、おもむろにポケットから携帯電話を取り出した。太い指で押し慣れた番号を押す。

 「うおーい、オリーヴ! ……出れねェのかなァ」

 なかなか出ない携帯電話の相手は、今L05にいるはずの、娘のオリーヴだった。

 二回かけ直し、ようやく通話が繋がる。電話の向こうでは、ごうごうと風が唸っている。電波状態は、最悪のようだった。

 

 『なんだよ親父!』

 愛娘の、一番父親に似ている豪快な声が、アダムの鼓膜を突き刺した。アダムは携帯から耳を離し、

 「でけェ声だなオイ! 聞こえてらァ!」

 『あ? 聞こえる? さっき母ちゃんの声、ぜんっぜん聞こえなかったんだよね』

 「アイツの声が聞こえねえたァ、末期だな。それよりどうだ、按配は」

 『まだ終わってねえ』

 「あんだとう?」

 『まだ終わってねえって。今昼飯中』

 「何やってンだ! 一週間もありゃ、済む仕事だろ」

 『だってよォ、』

 「おめェ、ウチが零細企業なの知ってンだろが! ちったァ出張費抑えろや! 滞在費だって、バカにならねェんだぞ!」

 アダムたちの会話は、同族中小企業の、社長と従業員の会話にしか聞こえない。実際、その通りには違いないのだが。

 

 『だってよォ〜、ツレがよォ、』

 「ツレえ? おめェ、一人で行ったンじゃねえのか?」

 『……悪ィ親父! 事後承諾で! もとホワイトラビットのヤツなんだけどよォ、バイト代やってくれねェかなあ? あたしよりしっかり仕事してるからよ。頼む! 失業中なんだよ、コイツ』

 「はァ? 何勝手なコトしてんだ、てめェは!」

 『だってよォ、コイツがいろいろ下調べしてくれてっから、時間もかかって……ああ、うん、今代わる』

 オリーヴの声が遠くなる。「ツレ」とやらに電話機を渡したようだった。

 

 『あ、えーっと、……はじめまして。フライヤ・G・メルフェスカです』

 

 アダムが、凍りついた。

 

 『突然すみません。……あ、その、私が勝手にオリーヴさんについてきちゃったんで、あ、もちろんここまでの旅費は自分で払いました。そ、』

 

 ブツリ。

 

 急に通話が切れたので、フライヤは目を丸くして、オリーヴに電話機を返した。

 「……切れちゃった」

 「マジ?」

 「アダムさん、怒っちゃったかなあ」

 「あ? 電波悪ィだけだろ」

 オリーヴは、すぐにかけ直した。父親はすぐに出たが、電話の向こうにあるのは沈黙だった。

 「なに切ってんだよ親父!」

 

 「びっくりしただけだ」

 アダムは大きく肩を揺らすと、電話を突然切ったことを詫びた。

 『びっくりしたって……、』

 フライヤ、なんか変なこと言ったか? とオリーヴは尋ねたが、アダムは「なんでもねえ」と返事をした。それから、フライヤにはちゃんとバイト代をやると娘に約束し、「……なるべく早く帰れや」と、彼にしてはめずらしく元気のない声で言い、今度はちゃんと「切るぞ」と言って切った。

 

 「……なんだァ? 親父の奴」

 オリーヴは、らしくない父親の様子に、眉を寄せた。フライヤは肩を竦め、

 「やっぱり、アダムさん怒っちゃったんだよ」

 「ンなことねえって。気にすんな! 電波状態悪かっただけだって!」

 しゅんとしたフライヤを元気づけるオリーヴの携帯が、また鳴った。アダムだ。

 「なんなんだよ。親父」

 話終わったんじゃねえのかよ、とオリーヴは言ったが、電話向こうのアダムはまたもや沈黙だ。「親父?」オリーヴが促すとやっと、豪快な彼にしては歯切れ悪く、ぼそぼそと言った。

 『……おめェに、将校の知り合いがいるなんざ、聞いてねえぞ』

 オリーヴは、父親の言葉の意味が、さっぱり分からなかった。

 「は? 将校のダチ? 何言ってんのさ」

 『何言ってんのって……。将校だろ? ――その、フライヤとかいう娘さんは……、』

 「はあ? マッジで何言ってンだか! あたしの話聞いてなかったのかよ!」

 オリーヴは、砂嵐にも負けないでかい声で、

 

 「よ・う・へ・い! フライヤは傭兵です! もとホワイト・ラビットにいた、L20出身の傭兵だよ! ……って聞いてンのか親父! 親父―?」

 

 

 あり得ない。

 アダムは、携帯を握りしめたまま、呆然自失していた。

 メルヴァの口から聞いた、女将校の名が、まさか娘の口から出てくるとは思わずに――さらに、その女将校は、――将校になるはずの女は、傭兵だという。

 

 電話の声は、まだ若かった。おそらく、オリーヴとそう変わらない年頃なのだろう。失業中の傭兵が、いずれL20で大軍を任される大佐になり、少将に昇進する? あり得ない。

 アダムは唸り、気付け代わりに、残りのジュースを一気に飲み干した。

傭兵が、大佐に――佐官になること自体、あり得ない。法律では、傭兵は大尉の位まで上がることはできるが、それすらも滅多にないことだ。ましてや、その上の佐官になど。

荒唐無稽にもほどがある。

いまの軍事惑星で、傭兵が佐官になるなどと言ったら、誰もが笑う。

 メルヴァは、「いずれ同僚になる女だ」と言った。同僚? アダムははじめてその意味を考えた。大佐や少将になるフライヤと自分が同僚になるということは、自分もそれらの官職を受けるということだ。――ない。それは、決してない。

 バラディアの「計画」は聞いている。もしそれが実現することにでもなったなら、その可能性はあるかもしれないが、自分は、官職を貰う気がない。

 

 (……くだらんことだ)

 

 アダムは、一瞬でも動揺した自分を、わずかに恥じた。

 冷静になればわかることだ。予言師の言が信用に足るものか、真実なのか、そんなことはどうでもいい。自分の未来は、自分で決め、自分で作り上げるものだ。

 

 フライヤ・G・メルフェスカ。

 

  もしかしたら、同姓同名の貴族がいるのかもしれない。L20の住民だって、ごまんといるのだ。娘の友人が、メルヴァが言った人物本人だとは、限らない。

 

アダムは飲み干したメロンジュースを眺めて、腰を上げた。

(まあ、鍵のこたァ、オリーヴに任せるしかねえな)

オリーヴが、「鍵」をグレンに送れば、メルヴァの依頼は終わる。メルヴァは証明書もいらないと言ったから、オリーヴがL05から帰ってきたら、すべての任務は終了だ。もう、あの気味の悪い連中と関わらなくて済むわけだ。

(……バイト代取りに来るんだったら、フライヤって子の顔も見れるな)

興味半分、怖さ半分。アダムは三杯分のメロンジュースの代金をレジで支払い、真夏の日差しの中へ出て、汗を拭き拭き、大通りの路肩に停められたタクシーに乗り込んだ。

 

「スペース・ステーションまでやってくれ!」