「おお、すげえ!」

 鍵さえ見つけりゃいいからさ、絵の裏側だけ漁ってくつもりだった、とオリーヴが言うと、フライヤから深いため息が漏れた。

 「手間じゃん、それじゃ。傭兵の潜入任務は、迅速かつスピーディーに! がモットーでしょ」

 「まあ船大工の絵、見つければいいわけだし、」

 「オリーヴが、マーサ・ジャ・ハーナの神話を知っていればそれでもいいかもしれないけど、知らないんでしょ?」

 「自慢じゃないけど、読んだことない」

 「呆れた」

 船大工の兄弟の話も知らないのに、どうやって探すつもりだったのよ、と彼女は言い、別の資料のページを開いた。「これが船大工の兄弟の絵」

 「ええ? これがあ?」

 「そう。これは、地球行き宇宙船に飾られてる神話の絵の画集。あたしが調べたところによると、この館内は百五十六代目サルーディーバが描いた絵ばかりらしいから、この絵とはちょっと違うかもしれないけど、たぶん、こういう感じだと思う」

 

 そこには、筋骨たくましいふたりの兄弟が、枯れ枝を抱いて嘆いている絵があった。

 

 「……船大工なら、船作れよ」

 オリーヴのツッコミの返事は、フライヤのため息だった。

 「絵に、船が描かれてるとでも思ってたんだよね、オリーヴは、きっと、」

 「船大工っつったら船だろーが! これのどの辺が船大工!?」

 「だって、こういう話なんだもの。仕方ないじゃない」

 この絵を見て、フライヤの言う、こういう話とは分からなかったオリーヴだが、とにかく、この絵の裏側に、鍵の入った手紙があるのだ。

 「マーサ・ジャ・ハーナの神話、全部読まなくていいからさ、船大工の兄弟の話だけでも読んでおいたら?」

 フライヤが、ネット小説の画面を向けると、オリーヴは心底嫌そうな顔で身を引いた。

 「ええ? あたし無理。活字無理」

 「……ほんっと、オリーヴって、運だけで任務達成してるよね」

 それは、よく家族にも、友人にも言われる言葉だ。

 

 「ってかさあ、やっぱ、一家に一台、傭兵グループにいちフライヤだよね」

 「語呂悪いよ、オリーヴ」

 「あんたなら、どこの傭兵グループでもやっていけるって。なんなら、ウチ来る?」

 フライヤは、落ち込んだ顔で首を振った。

 「……無理だよ。アダムさん、怒らせちゃったもの」

 「だから、親父は怒ってねえって」

 自慢ではないが、アダムはそんなに肝っ玉の小さな男ではない。それだけは、自信を持ってオリーヴは言えた。

 「それに、こうやって下調べはできるけど、あたし侵入はできないしさ。傭兵らしい仕事って、何にもできないもの。……もともと、落ちこぼれだし……」

 「……」

 急に沈んだ声で、自分の足元を見つめるフライヤに、オリーヴは肩を竦めた。

 

 フライヤは頭がいい。その上勉強家で、よく気も付く。けれど、その素晴らしい部分を覆い隠しているのは、その自信のなさだ。

 オリーヴは常々思っていた。フライヤが思うほど、周囲はフライヤを過小評価していない。傭兵だって、現場で動く人間と、作戦を立てる人間の二種類があったっていい。得意分野で、花を咲かせればいいのだ。たしかに学生時代は、運動神経が良くなければ傭兵になれないと誰もが思う。しかし、傭兵グループがたくさんできて、組織も拡大化している昨今は、組織内の役割分担も重要になってきている。世間一般で言われる傭兵の仕事ができなくとも、こうして裏方で作戦を立てたり、下調べをしてくれる役割も大切なのだ。

 縁の下の力持ち的な役割。フライヤは、そういう点では文句なしだと、オリーヴは身内びいきでなくてもそう思う。

 フライヤが軍人だったら――きっと、もっと活躍の場があっただろうに。

 もしフライヤがクラウドのように、心理作戦部に入っていたら? オリーヴは想像してみる。L20に心理作戦部はないけれど。

勿体ないな、とオリーヴはいつも思う。彼女の自信のなさに加えて、人見知りな性格も相まって、いつまでも再就職先が見つからない。こんなに、仕事ができるのに。

 彼氏いない歴=年齢なのも、この自信のなさからだ。

 シンシアと、すごく仲が良かったフライヤ。学生時代からの親友であるシンシアの死が、フライヤの心に傷を作り、彼女の失業を長くしていたのは確かだが、シンシアがいなくては何もできないという彼女からは、もう卒業しなくては。

 

 (あたしだって、フライヤの友達だよ)

 オリーヴは心の中だけでそう言い、話を切り上げた。

 

 「おっし。忍び込むのはあたしがやる。フライヤは、宿で待機してて。いっぱい下調べしてくれて、ありがとね」

 仕事の話に切り替わったのに、フライヤはすこしほっとした顔をして、

 「了解。……で、あたしからの提案なんだけど」

 

 

 

 (さっすがフライヤ)

 オリーヴは、足音を全く立てずに、暗闇の廊下を暗視ゴーグルひとつでひた走りながら、友人を褒め称えた。

 

 ただいま、午前五時に数分前。廊下の窓ガラスの外は、猛烈な砂嵐だ。

 砂嵐の時間帯に忍び込めと言ったのはフライヤだった。監視カメラを全部切っても、怪しまれない。旧式の監視カメラは、砂嵐で機能を果たさなくなる。オリーヴは、もともとカメラをぜんぶ切ってもらわなくても、カメラに映らないように移動し、任務を果たす自信はあった。切ってもらうカメラは、ターゲットのある部屋の入り口だけでじゅうぶん。だがフライヤの提案のお蔭で、カメラを気にすることなく、ターゲットまでまっしぐらに進める。持つべきものは、頭のいい友人だ。

 

 (おかげで、予定より十二分三十二秒早く達成できる)

 

この地域は、季節がら夜明けは遅い。七時ころにならないと、陽は上らない。陽が上がらないと、交代の警備員はやってこない。すべて、フライヤが下調べしてくれた内容だが、おかげで、時間にも大層余裕がある。

さっきオリーヴは宿直室を覗いてきたが、たったひとりしかいない夜間警備員が、廊下まで漂ってくる酒臭い鼾をかきながら、酒瓶を手に寝転がっていた。なんという体たらくか。オリーヴとしては、楽でいいが。警備的には杜撰もいいところだ。

だが、そういうときこそ油断するなと言う、父と兄の説教が脳内でこだましたオリーヴは、一応用心深く、観音開きの戸を開けた。かかっていた錠前は、キーピックで簡単に開く。こんな鍵、傭兵には朝飯前だ。何の障害もなく、スムーズに目的の部屋へたどり着いたオリーヴは、ここだけ慎重に、もったいぶって戸を引いた。

 

室内は暗く、ホコリ臭かった。絵のみならず、床にもホコリが薄く積もっている。おそらく、掃除も年に一度程度しかしないのだろう。あとは、人が入ることもなくほったらかし。オリーヴは、フライヤがすでに位置を示してくれていた、船大工の兄弟の絵に歩み寄った。表の絵面を確かめはしたが、裏に手紙が挟まっているのはこの絵だけ。絵を確かめる必要もなかった。

オリーヴは、裏の木枠に挟まれている、黄ばんだ白い紙の封筒を手に取った。赤い蝋でシーリングされている。押された模様は、ワシの紋章。あまりいい気分にはならない、ドーソンの紋章だ。

 

(……?)

宛名を確かめようとして、表へひっくり返すと、白い紙がくっついていた。その二つ折りの黄ばんだ白紙から、写真がはらりと零れ落ちた。

オリーヴがその紙を剥がすと、手紙の表書きが表れた。「グレン・J・ドーソンへ」と書いてある。封筒は軽い重みがあり、なかに固形物が入っている。指で確かめた形は鍵の形状――これが、メルヴァがグレンに送れと言った手紙だ。間違いはない。では、この白紙は。

(……)

オリーヴは、写真を拾い上げ、白紙を開いた。中には殴り書きがあった。急いで書いたと思われる、乱れた筆跡だ。

 

「この封筒を取りに来たものへ」

 

オリーヴは、よけいなことと思いながらも、読まずにはいられなかった。この字が、見知っている人間の字に似ていたからだ。

 

「この写真も、一緒に持って行ってほしい。だが、この写真は、グレン・J・ドーソンには送らないように。来たるべき日にち――L歴1416年10月10日に、別の人物へ送って欲しい。送り主の名は、ルナ・D・バーントシェント」

 

ルナ・D・バーントシェント? 知らない名だ。

 

「かならず、その名を知るときがくる。きっと、百年後はそうであろう、私の愛しい幼馴染、オリーヴへ。クラウド・D・ドーソン」

 

オリーヴは硬直した。――そうだ。間違いない。見間違えるはずがない。これは、クラウドの字だ。あの、兄の友人であり、自分たち兄妹の幼馴染であり、一度は恋人だった、あのクラウドの字。だが、クラウドがなぜ、ドーソンの姓を? クラウドの姓はヴァンスハイトだ。

 

――それになぜ、あたしがこの手紙を取りに来ることを知っている。

 

百年後はそうであろう、私の愛しい幼馴染。――百年後? それではこれは、百年もまえの手紙なのか。百年も前の人間が、オリーヴがここに来ることを、知っていたというのか。

ここにある絵は、すべて、百五十六代目のサルーディーバが描いた絵だ。

サルーディーバが、自分がここへ来ることを予言したのだろうか、オリーヴはそう思った。だが、なぜ百年前に、クラウドがいる。この筆跡は、オリーヴが知る、あの幼馴染のクラウドの字だ。

困惑した頭で、彼女は暗視ゴーグルを外し、写真を眺めた。目を凝らして写真を見る。十人ほどの学生が映った写真だというのはわかった。制服姿だったし、姿形はみな、若かったからだ。