砂嵐がやんだ。

砂に覆われていた外界は静かになり、厚く張った雲も晴れ、月の光が窓から室内を照らした。

オリーヴは、写真の全容が目に入り、――愕然とたたずんだ。

 

(何、これ)

 

どうして、大昔の写真に、百年前の写真に――兄がいるのだ。しかも、将校の制服を着て。

 兄のアズラエルだけではない。グレンも――そして、クラウドまでいる。

 オリーヴは、写真を裏返した。写真の後ろには、人物の真後ろに来るように、名前が記されている。

 

中央の人物は、「ロメリア・D・アーズガルド」。

 兄の姿の後ろにあるのは、「アシュエル・B・ターナー」。

 グレンの姿の後ろは、「グレン・E・ドーソン」。

 クラウドの後ろは、「クラウド・D・ドーソン」。

 

背景は、アカラ第一軍事教練学校の門だ。それは間違いない。今の制服とはだいぶ違うが、これは将校と傭兵の生徒だろう。グレーとカーキの服装の若い男女が、十人映っている。

(なんで、兄貴が、将校の制服着てンだ……)

兄に似合わず、きちんと制服を着こんで。いつもTシャツばかりで、まともに上着を着たためしもなかった、兄が。

いや、兄ではない。これは誰だ。兄にそっくりだが、兄ではない。アシュエル・B・ターナーと、まるで見当違いの名が記されている。

このロメリアと言う男は知らない。兄の友人にもそんな名はなかったはずだ。ほかの六人の名も、オリーヴには思い当たる節がまるでなかった。兄やクラウドが、一緒に写真を撮るほど仲がいい仲間だというのに、オリーヴには、聞いたことのない名ばかり。

 

(な、なんなんだよ、これ……)

 

オリーヴは混乱し、焦って、立ち往生した。目的を達成したなら、すぐにでもここを出て行かなきゃならないことは分かっているのに、足が動かなかった。

 

「だれかいるのかや」

 

扉付近にランプの灯り――。オリーヴは、我に返った。

中に、人が入って来ようとしている。このままでは見つかってしまう。危ういやり方だが、当て身で気絶させるよりほかはない。オリーヴの身体が反射で動いた――が。

 

「あんた、オリーヴさんかや。オリーヴ・E・ベッカーさん」

 

オリーヴの右ひじが、男の脇腹直前で止まった。男は、さっき宿直室で大いびきをかいて寝ていた警備員だった。

おかしな共通語。語尾の発音が奇妙だ。オリーヴは、この警備員がずいぶん年寄りなのを認識して、とたんに気まずくなった。この老人に当て身をかましていたら、息の根まで止まっていたかもしれない。

「オリーヴさんかや?」

年寄り警備員は、オリーヴの警戒を溶かすような眼差しで、もう一度聞いた。

「……そうだよ」

オリーヴが頷くと、彼は、「手紙を取りに来たのかや」と再びたずねた。オリーヴがまた頷くと、彼はオリーヴを見上げ、合掌し、ふかぶかと頭を下げた。床に、ぽたぽたと滴が落ちた。この老人は、泣いているのだった。

 

「真砂名の神のお恵みが、あなたにありますように」

 

――老いぼれの役目が、ようやく終わりました、サルーディーバ様。

 

 

 

 ……オリーヴが、まるで逃げるようにフライヤを連れてL05を出て、一週間。

 あの手紙は、すでに速達で、地球行き宇宙船に送った。グレンの元に届くのは、あと一週間ほど先だろう。

 写真と、クラウドが残した紙は、オリーヴの手元にある。ルナと言う人間の名は知らないが、来年、彼女――たぶん彼女――に送ることになるのだろう。

 結局、あの写真の正体はわからないのだが、なんだか考えたり追及したりするのが怖くなって、オリーヴは写真のことは忘れることに決めた。だがルナと言う女性に写真を届けることは、「クラウド」から、オリーヴに依頼された仕事だ。彼が自分の知っているクラウドと同じかはわからないが、同じクラウドつながりで、引き受けてやってもいいかな、と思ったのだ。

送る日付は1416年10月10日。それだけを覚えていることにして、オリーヴは写真を引き出しにしまった。ルナと言う人間が、そのときまで分からなかったら、そのときはそのとき。父親にも母親にも、写真のことは話していない。知っているのは、一緒に仕事をしたフライヤだけだ。

 老人警備員は、盗みに入ったオリーヴを咎めることもなく、笑顔で彼女を送り出した。「ありがとう、ありがとう」と何度も礼を言って。盗みに入って礼を言われたのは、オリーヴの人生上、まぎれもなく初めてだ。居心地の悪さを感じながら宿に戻り――もうこれ以上、訳の分からないことはゴメンだとばかりに、フライヤを急かしてL05を発った。

 

 そして一週間後の今日、オリーヴは、L18にもある件のチェーン店で、アイスコーヒーを飲みながらフライヤを待っていた。なんとなく、L05であの気味の悪い食べ物を食して以来、(トラウマにでもなったのか)連日このチェーン店へ足が向かってしまうのである。コーヒーの味で、自分を安心させるためにだ。二度と、現地人と同じものは食べないと、彼女は誓った。

 

 「ごめんね、待たせた? オリーヴ」

 

 フライヤが、ノートパソコンを二台も抱えてオリーヴの席へやってくる。今日はこれから一緒に、メフラー商社のアジトへ行って――アジトは、昔自分たち家族が住んでいた下町のアパートだが――アダムにフライヤを紹介し、バイト代をせしめて、ふたりでカラオケにでも行くのだ。

 「待ってねえよ、そんなに」

 フライヤは席に着くなり、ノートパソコンを開いた。

「ね、見て! これ見てオリーヴ!」

 「なに?」

 「いいからこの画面読んでて! あたしも何か頼んでくる」

 フライヤはパソコンの画面をオリーヴへ向けると、自分はレジのほうへ行った。オリーヴは気だるげに画面を覗き込み、ぽかん、として口からストローをぽとりと落とした。

 

 「――え? へい、かん?」

 

 “L05の、サルーディーバ記念館が、今月末を持って閉館いたしました。”

 

 オリーヴは、ニュース速報のその文字に、寝ぼけ眼をカッと目を見開き、あわててクリックした。別のブラウザが開き、ニュースの内容が一面に表れた。

 

“百数十年の歴史ある記念館が閉鎖されたのは誠に遺憾でありますが、ここ近年は観光客も少なく、運営は困難を極めて……、”

“L03が混迷という状況もあり、関与は少ないとみられますが、歴史あるサルーディーバの遺産を焼却処分という措置には、世界遺産保護団体からも抗議の声が寄せられ……、”

“百四十年もの間館長をつとめられた――氏が、●月×日、死去されたのも閉館に至る原因――。”

 

「……ンだこれ! あそこ、なくなっちゃったの!?」

 

ラテを持って席に戻ってきたフライヤに、オリーヴは唾を飛ばして食って掛かった。

「そう。昨日、ネットのニュースで拾ったの」

フライヤもオリーヴの唾が飛んだ液晶画面を拭いた後、残念そうに言った。

「今月末って、こないだよね。もう、記念館自体が解体作業にかかってるって。中の絵とかも、ぜんぶ焼却されちゃったんだって」

私、個人的に行ってみたかったな、というフライヤの言葉を無視し、オリーヴは怒鳴った。

「ええっ!? 冗談だろ、だって、サルーディーバの遺品だぜ!?」

 「うん、オリーヴ声でかい。――だから、ニュースにも書いてあるけど、L03から文句がくるんじゃないかって、L05の政府は心配してるみたい。世界遺産の保護団体も抗議しに来たしね。でもね、百五十六代目サルーディーバの遺言とかで、もとから時期が来たらここは壊す予定だったし、絵もぜんぶ焼却するんだって、最初から決まっていたんだって。そういう話もあるみたいよ」

 「……」

「不思議だよね。サルーディーバなら、L03に記念館あればいいのに。L05にあるって、おかしな話よね。ちょっと調べたら、あれ、もとはサルーディーバの別荘ってことになってたみたいだけど。百五十六代目サルーディーバって、L05で亡くなってるし、お墓もそっちにあるんだって。……もしかしたら、L03追い出されでもしたのかな。調べてみる価値、あるかも」

 オリーヴは何も言わなかったが、フライヤは続けた。

 「オリーヴが会った、あのおじいさんも亡くなったのね。百四十七歳だって。びっくり。……あのあたりって、極端に長寿の人間が多いんだね。L02のひとじゃあるまいし、」

 

 オリーヴは、警備員だと思っていた、あの老人の写真を見つめた。彼は館長だったのか。写真の彼は、僧の衣装を着ている。百四十七歳。年齢に驚くより、彼が百五十六代目サルーディーバの時代から生きていた、ということにオリーヴは絶句した。そんなに長い年月、オリーヴを待っていたのか。自分は生まれて、二十年そこそこしか経っていないけれど、もう少し早く行ってやればよかった、とオリーヴは思った。

 

 「オリーヴが手紙を取りに行ったことで、あの記念館も、おじいさんも、役目を終えたのね……」

 フライヤが感慨深く、つぶやいた。

 「……あの、船大工の兄弟の絵も、燃えちゃったのかなあ」

 オリーヴが、アイスコーヒーを未練がましく、ずずず、と啜りながら言った。

 「燃やしちゃったでしょうね。だって、もうぜんぶ処分しちゃったっていうんだから」