「――ダメ。あたし、もう、立ち直れない……」

 

 ララは、豪奢な天蓋つきベッドに横たわって、うんうん唸っていた。シースルーの色っぽい寝間着姿に、羽の枕に流れる艶やかな黒髪。美しい白皙の頬は、熱でほんのりと色づいていた。そのなかでひどく目立つのは、額に張られた冷えピタ。

 

 「ララさま、お気を確かに!」

 「しっかりしてララさま! あなたが死んだら、私も死ぬわ!」

 ララの手を握っておんおん泣いているのは、ララの取り巻きの美男美女だ。ここにアンジェラはいなかったが、彼女も珍しくララを心配していることは確かだった。取り巻きが励ますのに疲れてここを留守にするときだけ、彼女はララの寝室に現れた。

 ララは数日前からこのとおり、熱で寝込んでいる。知恵熱だ。大変なショックから来た、知恵熱。主治医はそう診断した。

 

 「アンジェ!!」

 見舞いに来た専属占い師の姿を認めた途端、ララは羽根布団から跳ね上がり、般若のような形相で、取り巻きを追い払った。だれもが、ララの機嫌を損ねたくはない。みな怯えた表情で、しずしずと部屋を退室した。

 

 「具合はどう?」

 取り巻きに代わってベッドサイドに近づいたサルディオネの細い首を、骨ばった白い手が、がっと締め付けた。

 「あんた! 知らなかったとは言わせないよ!!」

 「な、なんのことよ……!」

 男の力でギリギリと喉笛を締め上げられ、サルディオネの顔もララのと同じくらい赤く染まった。

 

 「すっとぼけるのも大概におし! 神話の絵のことだよ!!」

 「ララ」

 サルディオネは、冷や汗をかきながら、ララの腕を摩った。息苦しさにあえぎながら、なんとか言葉を紡ぐ。

 「ZOOカードは、すべての事象を見れるわけじゃない。あたしが気を付けて、見ようとしたものしか見れないんだから。今回のことは、まるで予測できなかった。だって、船大工の兄弟の絵が、残っている、なんて、こと、知ら、なかっ、た、んだから、」

 

 ララがショックで倒れ込んでいる理由――、それは、先日の、サルーディーバ記念館の閉館が理由である。

 もっと直接的に言えば、「船大工の兄弟の絵」が、焼却されてしまったことである。

 

ララは地球行き宇宙船の株主であり、世界遺産保護会の理事も務めている。彼女もまた、サルーディーバの絵の処分には大反対であった。なにせ、彼女にとってはご神体同然の絵を描いた、サルーディーバの作品群である。

 ララにとっては神より大事な、百五十六代目サルーディーバの絵。伝説の絵師ももちろんだが、彼の絵も至宝だ。

記念館の維持資金援助も、ララは無償で申し出ていた。だが、L05のほうが、ずっとララの申し出を拒んでいた。ララの前歴――L44の高級娼婦だったことを理由に支援を断り、また、サルーディーバの遺言――絵画を持ち出してはならない、来たるべきときがきたら、いっせいに処分する――という、ほかにも数え上げればきりがない理由から、ララの介入を拒み続けていた。ララがせめてもと望んだ絵画のリストのコピーも渡さず、ララの訪問自体も、拒まれていたのであった。

L05のつれなさは相当なものだったが、それでメゲるララではない。ララは執念ともいえる根性で、サルーディーバ記念館の援助を申請し続けていた。

 

 しかしまさか、ララも思いもしなかった。生涯をかけ、心血を注いでいる、マーサ・ジャ・ハーナの絵画たち――そのうちの、失われていた「船大工の兄弟」の絵が、サルーディーバ記念館にあったなんて――。

 

 閉館してからの、記念館の行動は素早かった。一日で絵画を焼却してしまい、建物の取り壊しも次の日から始まった。ララがその閉館のどさくさに紛れてやっとこ入手したリスト――もう、物はなくなったのでいいとおもったのか――リストの中に、「船大工の兄弟」の絵があった。その昔、サルーディーバの予言の絵と入れ替わりに、宇宙船から忽然と姿を消した絵画が。

 

ララの絶叫は、屋敷中に響き渡るほどであった。

 

 絵があることを知ったのは、すべてがなくなってからである。ただでさえ、雷で三枚の絵が焼け焦げてしまった先日の事故――ララのショックは尋常ではなかった。もう立ち直れない、とうわごとのように呟き、高熱を出して寝込んだ。寝込んで一週間、取り巻きのほうが死にそうな顔で毎日泣いているので、鬱陶しくなったアンジェラが、サルディオネを呼んだ、そういう経緯である。

 

 ララの手がゆっくりとサルディオネの首から離れ――彼女はゲホゲホ咳き込んだ。本当に殺すつもりか。ララの場合、冗談ではないときがあるから、笑えない。

 「ララ」

 サルディオネは、彼女を落ち着かせるように、一歩引き、声をかけた。

 「……あんたを責めても詮無いのはしってるさ」

 ララは、魂まで抜かれたようにげっそりした顔で、ぽつり、言った。

 「真砂名の神様は、いつまであたしを試すんだい」

 「ララ」

 元気づけようとしたサルディオネの手を振り払って、ララは叫んだ。

 「伝説の絵師の生まれ変わりだって、ちっともあたしの前に姿を見せやしない! 絵は焦げちまう! もう修復不可能だ! おまけに、やっと見つかった船大工の兄弟の絵だって……!」

 そこまで言って、ララは顔を覆って号泣した。

 「なんてことだよ……! もういや、もうたくさんだ……!」

 「ねえ、落ち着いて、ララ」

 「もうたくさん! ……あたしは、もう、船降りるよ」

 「ええ!?」

 今度はサルディオネが叫ぶ番だった。

 「あたしは、この宇宙船に伝説の絵師の生まれ変わりが乗るっていうから、ぜんぶの業務よりこっちを優先して船に乗ったんだよ! なのになにさ! いつまでたってもその人には会えない。あたしゃ、ヒマ人じゃないんだよ! この調子じゃ、会う前に地球に着いちまうじゃないか! おまけにせっかくの絵も台無しになっちまって、あたしゃ宇宙船に乗ってから踏んだり蹴ったりだ! ああ、――船、船大工……、」

 ララは泣きながら、肩をガックリと落とす。その憔悴ぶりに、サルディオネのほうが言葉を失って、――彼女の嗚咽がすこしおさまるのを待ってから、背を撫でながら訴えかけた。

 「ララ、ねえ、落ち着いて。すこし落ち着こう」

 「……」

 「ララがこの宇宙船にいなくちゃ、せっかく伝説の絵師の生まれ変わりが現れても、彼女を導けない。ララがいなくちゃ、彼女はただの女のコだ。ララが才能を見出して、彼女を導かなきゃ、伝説の絵師の才能は蘇らない。そうだろ?」

 「……」

 「それに、あの燃えた三枚の絵は、必ず彼女の手によって生まれ変わる」

 「……」

 「ララが失った、すべてのものを、最初よりもっと素敵な状態でララに返してくれる。ララが待ってる相手は、そういう相手だ」

 「……」

 「真砂名の神は、最高にいい“時”に、ララと彼女を会わせようとしてる。だから、時が熟するのを、黙って待つしかないんだ。彼女も、ララに会いたくて、今か今かとその時を待ってる」

 「……。……ふ、ふ、ふ、ふな、ふなだいくの、えは……」

 しゃくりあげながらサルディオネを睨むララだったが、サルディオネは、これには返事に窮して、

 「ズ……ZOOカードを探ってみるよ」

 サルディオネは、ふたたび掴みかかられる前に、這う這うの体でララの寝室から逃げねばならなかった。本当に殺されては大変だ。

 

 ララがどん底から浮上するまで、しばらくの期間が必要だったが。

 

 真砂名の神は、ララを見捨ててはいなかった。

 

 

 

 「オーライ、オーライ!」

 

 宇宙船、中央区にある、郵便業者の巨大倉庫へ、大型トラックが荷物を運び入れてきた。この三日、エリアG55に停泊し、物資を供給した宇宙船。立ち寄るエリアでは、物資だけでなく、L系惑星群などからの郵送物も同時に運び込まれる。

 たくさんの木箱や段ボールをトラックから運び出した彼らは、一番最後に、平たい、大きな梱包材を倉庫へ運び入れた。割れ物注意、厳重注意、とこれでもかとシールが貼られ、かけられた保険の額に、役員は目を剥いた。

 

 「なんスかね。これ、絵ですかね」

 「絵だろうな」

 「でかいなあ」

 「梱包してっからでかいけど、百号くらいじゃねえかな」

 「詳しいッスね。絵のサイズですか、それ」

 荷物を分別する役員たちは、宛名とおくり名、書類をチェックしながら雑談を交わす。

 「えーっと、……届け先はK27区。ルナ・D・バーントシェント。……ああ、ここンち、一ヶ月間荷物取り置きだ。旅行に出かけてるんだとよ」

 「へえ旅行かあ。いッスね」

 「送り主は、L05、サルーディーバ記念館館長……っと。このルナって人、画家かなんかかな」

 「でしょうね。じゃなきゃ、画廊経営とかしてんのかも」

 今回、リッチな人けっこう乗ってるってハナシだから、と青年は笑い、中年作業員も、「俺もあやかりてえなあ」と笑った。

 「配達証明書、今からL05に向けて出しとけ。急ぎじゃねえから、一ヶ月後にゃ、あっちにつくだろ」

 「はーい」

 「あ、そっとな! そっと運べおまえら! 絶対キズなんかつけんなよ! てめえらの一年分の給料が保険で持ってかれるぞ!」

 「はいはい」

 「ウーッス」

 

 ――配達証明書は、二ヶ月後、サルーディーバ記念館がなくなっていたために、送り返されて来た。館長もすでに死去し、受け取る相手がいなかった。

 

 ルナが郵送物を取りに来るまでの数日――船大工の兄弟の絵は、郵便庁舎の倉庫の奥で、しずかに眠ることになったのである。