八十二話 パンクしていたエキセントリックな子猫



 

 「――ええ。――そうですか、――え!? お義父さんが? それはおめでとうございます!」

 

 セルゲイの声が珍しく弾んでいる。相手方は分かっている。セルゲイが「息子」の声になるのは、養父であるエルドリウスのまえだけだ。

 グレンは、もしかしたらエルドリウスが昇進したのかな、とセルゲイの弾んだ声を聞きながらぼんやり思った。彼は大佐になって、ずいぶんと長かったはずだ。実績を見ても、そろそろ昇進していてもいい頃合いだ。

エルドリウスが昇進を蹴っていたのは、階級が上がれば上がるほど現場には出られなくなるのが嫌だったのと、ドーソン一族に、必要以上に目をつけられないようにするためだ。彼はL19の軍人といえど、やること為すことがドーソン一族の逆鱗に触れるため、さすがに身の危険を感じて来たのか、最近は目立たないように動いているつもり、らしかった。

あれでも。

 (でも、能ある鷹は、爪は隠せねえよなあ……)

グレンは、エルドリウスにはほとんど会ったことはないが、彼のことは個人的に好きだった。グレンが好きな人物と言うことは、ドーソン一族には蛇蝎のごとく忌み嫌われているということだ。

 

 「よかったです。――私ももちろん嬉しい――で、どんな方なんです? 名前は?」

 

 どんな方? どんな方ってことは、――昇進の話じゃないのか。昇進の話じゃなく、相手がいる祝い事って言ったら、――まさか。

 グレンは思わず振り返って、電話をしているセルゲイの背を見つめてしまった。

 (エルドリウスさんが結婚? まさか。あのひと、結婚しねえって言ってただろ)

 エルドリウスは、自分は結婚しないと公言していた。確か今年で四十八歳。恋人がいたこともあったが続かず、数ある見合いも蹴ってきた彼が。

 (相手は、どんな才女だ)

 グレンは興味を抑えきれずに、アレコレ想像してみた。

 あくまでも勝手なイメージだったが、エルドリウスは、ものすごく頭のいい女性しか相手にしないようにグレンには見えた。どんな美女でも、小狡さがあるとか、ユーモアとウィットに欠けた駆け引きをするとか――たとえば頭の悪さをわずかでも露呈したら、確実にフラれるような感じがした。

 それは、ルナのような天然系小悪魔チャンとは違う、恋や結婚に、中途半端な打算を持ち込むような女のことだ。

 

エルドリウスはウィルキンソン家の現当主であり、見た目も悪くない。鉱山労働者出身とは思えない品の良さを兼ね備えている。ウィルキンソン家がいくら「難アリ」の家と言えど、あの財産――ドーソンに勝るとも劣らない巨額の資産――と彼目当てに、求婚者は引きも切らなかっただろう。

(ウィルキンソンは、確かに“難アリ”だ。……ドーソンにとってはな)

ドーソン一族も、ウィルキンソンを同族にしたくて、エルドリウスに一族の女をあてがったことがあるが、すげなく送り返されてきた。慇懃無礼な皮肉たっぷりの拒絶状とともに。それ以来、エルドリウスは、怖いもの知らずの若造(当時)として、ドーソンの古だぬきどもに目の敵にされた。

エルドリウスのしたたかさは、L19にありながら、ロナウド家と一線を画しているところにも表れている。ウィルキンソンは、ロナウドとは姻戚筋ではない。はるかにさかのぼれば多少の混血はあったとしても、ロナウド家とゲルハルト家のような親密さはない。

ドーソンに目をつけられれば、名家と呼ばれる古い家柄は、ドーソンと対するロナウドやマッケランと姻戚になりたがる。保身のためにだ。だが、エルドリウスは、個人的にバラディアやミラと交流してはいても、家と家を繋げることはしなかった。

 

その裏に、どんな意図があるのかは知らないが。

ウィルキンソン家は、生き馬の目を抜く軍事惑星で、立っている。エルドリウスひとりを大黒柱にして――。

 

そもそも、“ウィルキンソン”を名乗れる者が、エルドリウスを含む少数しかいないことも、あの家系の奇妙さを浮き彫りにする。

あの家は、軍事惑星でも奇異で、不思議で、常識外れだ。

 彼自身も養子であるのに、ただ一身にその家系を背負っているエルドリウス。その器の大きさと、頭の回転についていけるような女しか、彼の妻はやっていけないだろう。なんとなく、グレンはそう思っていた。

 

 「へえ――初めて結婚したいと思った女性――。すごいですね。お義父さんにそこまで言わせるなんて――」

 

 (そんな才女がいるのか)

 エルドリウスにそこまで言わせる女性がどんな人間か、グレンもますます興味が湧いた。

 

 「――ええ!?」

 

 そこで、セルゲイの素っ頓狂な声。

 

 「――だ、だいじょうぶなんですか――そんな――……、」

 

 何が大丈夫なんだ。

 セルゲイが急に声を低めたので、グレンは気になってテレビを消したが、セルゲイの声は聞こえてこない。聞こえないと思ったら、電話は終了していた。

 

 「おい」

 グレンは、盗み聞きしたことを謝るのも忘れて言った。

 「聞こえたから聞いちまったぜ。エルドリウスさん結婚すんのか?」

 「うん……」

 先ほどまでの弾んだ声とは裏腹に、セルゲイは困惑しているような声で頷いた。

 「なんだよ。めでたいことじゃねえか。――それとも、相手になにか問題アリか?」

 「問題って、いうかねえ……」

 セルゲイは言葉を濁し、グレンの隣に座った。

 「お義父さんのすることだし――間違いはないと思うし――まあ、お義父さんが幸せなら、それはそれで――」

 「なんだ? 結婚相手は男か、もしかして」

 もともと、難アリの家だったのだ。いまさらそのくらいのネタでだれも驚きはしない。エルドリウスは、L19の名家ウィルキンソン家の当主なのに、結婚しないと公言し、養子を増やしていたことから、ゲイだという噂もあった。女性の恋人がいたこともあるのに。

 「いや。お義父さんはゲイじゃないから」

 「じゃあなんだよ。何をそんなに困ってる?」

 「――君、ルナちゃんをお義母さんって呼べる?」

 「あ?」

 あまりに突拍子もなくて、グレンは聞き返してしまった。どうして、ルナをおかあさん呼ばわりせねばならない。

 

 「そういうことだよ」

 グレンの困惑をよそに、セルゲイはもっと困惑した顔をした。

 「お義父さんの結婚相手、ルナちゃんとそう変わらない年齢だって。……アズラエルの末の妹と同い年? らしいけど」

 「マジかよ」

 マジかよとしか、言えなかった。エルドリウスと同い年くらいの、才気あふれる美熟女を想像していたグレンの脳内で、幻影がガラガラと崩れ去った。

 それは困惑するだろう。なにしろ、あのエルドリウスが、だ。

 

 「……まさか十代?」

 「いや、二十歳は超えてる。二十二、三、かな」

 「それでも、エルドリウスさんのひとまわり下か」

 「認定の傭兵だって」

 「認定のな……。……認定!? 傭兵だって!?」

 「グレン、声大きいよ」

 「傭兵と結婚!? 将校が!?」

 「ああ……。やっぱり君は、そっちのほうが気になるんだね」

 私としては、お義父さんが自分より下のコと結婚するほうがオドロキだよ……とセルゲイはぼやいた。たしかに、二十歳前後と言うなら、エルドリウスの養子であるセルゲイより年下なのだ。セルゲイにしてみれば、ルナをお義母さんと呼ぶのと同じくらいの違和感。

 「いや――まあ――呼び方はどうでもいいか……。名前で呼べばいいんだしね……フライヤさん、か――」

 

 そこじゃない。

 問題はそこじゃない。

 

 (何を考えてるんだ!? エルドリウスさんは――)

 グレンにとっては、年の差より、将校が傭兵にプロポーズするほうがあり得ないのだった。

 しかも、L19の名家が。ドーソンどころではない、比較的寛容なマッケランやロナウド家からも批判されるだろう。いや、それ以前に身内からの非難が轟々たるものになるだろう。ウィルキンソン家のほかの人間が認めるものか。

いくらなんでも、まだ時期が早すぎる。グレンも、自身の子供時代より昨今は、傭兵と軍人の距離感は縮まってきたと思う。だが、軍の名家と傭兵の結婚は、早すぎる。

 グレンは、母親が――娼婦だった自身の母がドーソンに嫁いだすえの末路を、思い浮かべた。

 (何考えてやがる――プロポーズ受けた傭兵も傭兵だ。だが――)

 一方では、この結婚には裏がありそうだと考える自分もいた。あのエルドリウスのすることだ。単純に好いた惚れたで結婚するような男ではないことは、グレンにも分かる。彼にも、この結婚話はリスクが大きい。だが、なにか深い意図があったとしても、あのエルドリウスが、利用するために、娘のような年齢の傭兵と結婚する――というのも、グレンには想像できなかった。

 

 (エルドリウスさん……あんた、どうしちまったんだ?)