『……っそ、』 そんなことはない、と必死で首を振るロイドはもう泣きそうだった。 『それなら、あたしがここから完全にいなくなるしかないじゃん』 『ち、違うよ、キラ、それは、』 『何が違うの? じゃあロイドは、ずっとあたしに我慢しろって? 趣味も服も我慢して、あたしに自分殺して、ずっとおばあちゃんにあわせてろって、そういうことだよね? 結婚してもこの家に住む気なんでしょ? あたしは、結婚したらこの家出ると思ってた。あたしだって、おばあちゃんのこと嫌いじゃないよ。だから、会うときくらいおばあちゃんが喜ぶ格好したっていい。でもさ――毎日は別。それが日常になっちゃうのは、無理』 『キラ、』 『あたし、深入りしすぎたかもって思ってる』 『ふ、深入りって――』 『ロイド。……あたしらの結婚式準備するとか、あたしのドレス作るとか、みんな、おばあちゃんが決めたこと。――でも、お金払ってんのは誰? パドリーさんだよね?』 『……』 『メアリーさんもパドリーさんも優しいひとだとおもうよ。だから、あのひとたちがジェニファーさんに楽しい、幸せな思いをさせてあげたくって、あたしの結婚式とかドレスとか用意してくれたんだよ。これはね、あたしやロイドのためじゃないの。ジェニファーさんのためなの』 『キラ!』 珍しくロイドが声を荒げた。 『あの人たちの優しさをそんなふうに取るなんて――ぼ、僕は!』 『ロイドはさ、メアリーさんたちの優しさを、結婚式用意してくれるとか、この家に住まわせてくれるとか、そんなことで捉えてたの? ならそれはお門違いだとおもう』 キラは悲しげに言った。 『ロイドって――ほんとのひとの優しさが、分かんないんだ』 ロイドがひどく、傷ついた顔をした。言葉に詰まり、それ以上何も言わなくなった。 しばらく、重い沈黙がふたりを遮り、やがてキラが首を振って、静かに言った。 『分かった。あたしじゃ、ロイドの欲しかったものにはなれないんだね……』 『――え?』 『あたしは、ロイドと結婚したかった。でも、ロイドが欲しかったのはそういう家族なんだ』 『キラ――どういうこと』 『もういいや!』 キラは、両手を上げて深呼吸をした。吹っ切れたというように。 『ロイドは、ほしかったものを手に入れたんだよね? 家族っていう――。でも、あたしは、ロイドが思ってるような家族にはなれない』 『え……っ』 『ここまで結婚の話進ませておいて、メアリーさんたちにも申し訳ないと思うけど、――あたしK27に帰る』 『ま、待ってキラ……!』 『ロイドにもきっとまた、運命の人が現れるよ』 キラのその言葉に、ロイドは絶句して立ちすくんだ。 『ロイドの家族に見合う、誰かがさ』 「あの――バカ」 アズラエルが舌打ちした。ルナはアズラエルの形相が実に怖かったが、メアリーはさほどに感じていないようだった。 「私たちは、次の日の朝、キラちゃんの手紙を読みました。キラちゃんは、朝、私たちに、『今までありがとうございました』とだけ言って、タクシーに乗って行ってしまったの。朝食前よ。あまりに唐突のことで、理由を聞く間も、引き留める間もなかった。キラちゃんはタクシーに乗り際、私に手紙をくれて。そこには、ロイドちゃんとは別れたとのこと、急に決めて、結婚式の用意もしてもらったのに申し訳なかったとのこと、そういうことと、私たちへの礼の言葉で綴られていて」 アズラエルの苛立ちが最高潮に達したようだ。彼はタバコを手に取ったが、この店の禁煙マークを見つけて、舌打ちとともにポケットへしまい直した。 「結婚式のことは、もういいんですのよ。夫もそう言っています。キラちゃんのいうとおり、私ども夫婦があの子たちに無理を言ったの、母のために。あなた方がやりたい形もあるだろうけれど、合わせてやってくれないかしらとね。キラちゃんは躊躇ったけれど、いいと言ってくれた。キラちゃんはロイドちゃんのため――私どもは、母のためです。すべてはそう。――つまりは、私どもがバカだったのです。あの子たちがいつも、こちらの希望を飲んでくれることに、甘えていたのね」 「仕事は仕事だ」 アズラエルは吐き捨てるように言った。 「雇い主の要求は、できうる限り呑む――それが仕事ならな。だが、私情を挟むことは、またべつだ」 メアリーはアズラエルの言葉に小さく笑み、「……あの子たちは優しいから」と言った。 「ロイドちゃんは、キラちゃんが帰ってしまってから、まったく元気がなくなってしまったわ。――母や私たちには普通に接してくれるけれど、目に見えて元気がなくて。私たちはロイドちゃんに、キラちゃんを追うよう勧めたけれど、もう嫌われてしまったから無理だと、ロイドちゃんは――」 「わかった」 アズラエルはうんざりした顔でため息を吐いた。 「もうわかった。もういい。ロイドに会えますかね?」 メアリーは微笑んで頷いた。 「ロイドちゃんなら、自宅に。母は数日前からひどい風邪をひいて、宇宙船内の病院にいますのよ。ですから、ゆっくりお話しなさって」 「ひとつだけ聞きてえんだが」 アズラエルは言った。 「あんたは、ロイドのことを家族だと思ったことはないんだろ」 ルナは、またアズラエルの足を踏んだが、今度は踏みかえされた。ルナは辛うじて、痛いと叫ぶのだけは我慢した。 メアリーは、また穏やかな目でアズラエルをじっと見つめた。静かに間を置き、そして言った。 「ええ。あの子を家族と思ったことは、一度もありません」
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