最初に変化に気付いたのは、いつだっただろうかとメアリーは小さく零した。

「キラちゃんとロイドちゃんの結婚が決まったころから、もしかしたら兆候は表れていたのかもしれません。……キラちゃんの服装になにひとつ文句を言うことのなかった母が、急にキラちゃんの服装を責めだした」

メアリーが、肩を落とす。

「ラムコフ家の名に恥じるから、そんな格好で結婚式は許さないと母が怒り――私たちは必死で母をなだめました。キラちゃんが今着ているのは私服で、結婚式にはこういう服は着ないのよ、と。それでやっと母は落ち着いたの。キラちゃんは、優しい子でした。母が認知症ではないかと、キラちゃんはもう、その頃分かっていたのね。いきなり怒り出した母に自分から謝ってくれて――キラちゃんは何も悪くないのよ――化粧を落として髪も染め直して、母の前に現れたの。それで母は落ち着いた」

「……」

アズラエルは黙って聞いている。何も言わない。

 

ルナは、思い出した。

ミシェルがパーティー会場でキラと会ったとき、キラは茶髪になっていて、化粧も薄化粧で、最初、誰か分からなかったと。

その時の話は、ルナもキラ本人から聞いていたが、キラはおばあさんに言われたから服装を変えたのだとか、ひとことも口にしなかった。

 

 「うちの母は、それはもう、キラちゃんの服装や装いに神経質になっていたの。でも――そうね、あの服装はキラちゃんのアイデンティティなのね。変わった格好をやめて、化粧もせず――母が化粧をしないことを好んだから――地味な服装になって、キラちゃんは、目に見えて元気がなくなっていったわ。部屋に閉じこもりがちになっていったの。ロイドちゃんが心配して、ロイドちゃんがうちの母にお願いしたわ。『結婚式のときは普通にするから、普段は、キラが好きな格好でいるのを許してやってくれないかな』って。大好きな『孫』に言われて、母は一度は頷いた。でも――キラちゃんの姿を見ると――またあの奇抜な格好のキラちゃんを見ると、怒り出すの」

 

 「――ロイドは、ただの介護士だろ。あんたらが雇った、」

 アズラエルがはじめて口を利いた。

 メアリーは、アズラエルを静かに見つめ、「その通りよ」と頷いた。

 「でも、母の中ではね、ロイドちゃんは『孫』で――ロイドちゃんも、理想の『孫』になろうと必死なの。……さっき、アズラエルさん。あなたのお話で、意味が分かったわ。ロイドちゃんは、私の母を、育ての母に重ねているのね。そして、強く家族のきずなを求めている」

 「ああ、そうだな」

 アズラエルは肯定した。

 「そしてキラちゃんは、優しすぎる子だった」
 
 「……。で? ロイドとキラはどんなケンカをしたんだ?」

 「それは――」

 メアリーは、ロイドとキラの言い合いを思い出していた。キラが出ていく前の、二人の言い合いを。あれは、キラがまた奇抜な格好をして母を怒らせたあとのことだ。キラの傷ついた顔がメアリーには忘れられず、キラに謝りに行こうと、メアリーは二人の部屋まで来た。中から声が聞こえたので、メアリーは部屋に入れなくなり、ずっと扉の前で彼らの会話を聞くことになってしまった。

 

 『キラ、キラごめんね。……僕、なんとか、おばあちゃんのこと説得するから、』

 『それは無理だよロイド。――だいじょうぶ! あたし、結婚式までなんとか我慢するからさ』

 『結婚式まで?』

 『うん。まあ、家族ぐるみで仲良くできればって思ってたけど、あたしの恰好がダメならそれはそれでしょうがないじゃん。でも、いろいろお世話になってるし、もう結婚式の事とかもけっこう話進んじゃってるし、――ロイドが自分のおばあちゃんみたいに思ってるの、あたしも分かってるし、……あたしが、ちょっとの期間我慢すれば、すむわけであって……、』

 『ちょっとの期間って? じゃあキラは――結婚式が終わったら、おばあちゃんとはもう、会わないってこと?』

 ロイドの泣きそうな顔と、いつも笑顔のキラの表情がなくなったのを、メアリーは見た。

 『おばあちゃんは、キラのこと大好きなんだよ? それなのに、もう会わないっていうの?』

 『会わないとは言ってないよ。……でもさ、ロイドだって分かるでしょ? 今おばあちゃんの具合悪くしてる原因、誰も言わないけど、たぶんあたしだよ……。だから、おばあちゃんに会うときはあたし、おばあちゃんの好きな格好して会いに行く。それじゃダメなのかな?』

 『会いに行くって――この家を出るってこと?』

 どうも話が噛みあわないと感じているのは、キラも同様のようだった。メアリーは、ロイドの気持ちもわかったし、キラの気持ちもわかった。

 『だって――ロイドは、その、……あたしと結婚してもこの家に住み続けんの?』

 『だ、だって、僕は――おばあちゃんは、僕の家族で――』

 キラは苦い顔をして、言い淀んだ。メアリーは、なぜキラが「それ」を言わないのかが、手に取るようにわかった。

 キラはロイドを、傷つけたくなかっただけだ。それでも、キラは、もう我慢ができなかったのだろう、口調は荒くなった。

 『じゃああたし、もう友達と会えないってこと? もう一生、好きな格好もできなくて、好きなおもちゃも買えないってこと? 趣味もなし? ロイドとの、カレーの食べ歩きもできなくなっちゃうの?』

 ロイドは、とんでもないことを言われたように、大きく首を振った。

 『なっ……何言ってるの? そんなことになるわけ――』

 『だって今、現実的にそうだよね?』

 キラは興奮して叫んだ。

 『ロイドは、ここにきてからおばあちゃん、おばあちゃん、おばあちゃん! なんでもかんでもおばあちゃん優先! 四六時中おばあちゃんのことばっかり。それでもいいよ、仕方ないよ、それがロイドの仕事なら! でも、ロイドのおばあちゃん大好きに、あたしがそこまで付き合う必要ある? ロイドの仕事に、あたしが趣味我慢して、友達と会うのも我慢して、おばあちゃんの希望通りのあたしになって、付き合う必要、どこにあんの? あたしここに来てからどれだけのこと我慢してたと思う? ルナとリリザに行きたかったのも我慢して、K37のともだちと飲みに行くのも我慢して、バーベキューパーティーだってあたし行きたかった! レイチェルたちの結婚式にも! だけど、おばあちゃんがみんなと過ごしたいっていうから、行けなかった。バーベキューパーティーだって、メアリーさんたちは行っておいでって言ってくれたじゃない。結婚式だって。毎回、あたしたちがでかけるってなるとおばあちゃんが『みんなで過ごしたい』って邪魔みたいなこという。メアリーさんたちだって分かってる。だから、メアリーさんもパドリーさんも、おばあちゃんからあたしたちを隠すみたいにして、いつも行きなさいって言ってくれる。ロイドはさ、ふたりの気遣いも無駄にしてるよ。バーベキューパーティーなんかしたらおなか壊すって、そんなの言うこと聞いて、バカじゃないの!?』

 『だ、だから――、キラは遊びに行っていいんだよ……僕の事なんか気にせずに……』

 今度は、キラが傷ついた顔をした。

 

 『……ロイドさ、おばあちゃんと一緒にいたくて、みんなの話聞いてないでしょ』

 『え?』

 『メアリーさんもパドリーさんも、いっつも言ってる。遊びに行くときは二人で行けって。なんでか分かる? ロイドとあたしはさ、セットでおばあちゃんの頭にインプットされてんの。ロイドがいてあたしがいないと、おばあちゃんはヒステリー起こすの。分かる? 逆でもそう。でも、ロイドとあたし、二人が居なければ、おばあちゃんはもともとあたしらがいなかったものとして認識するの』

 『……』

 『ロイドのそのセリフって、あたしと別れたいって言ってるように聞こえる』