翌朝。

 かなりすっきり顔で機嫌のいいライオンと、まだ寝ぼけているうさぎが宿泊先のホテルを出たのは、のんびり時間の十一時だった。それでも、アズラエルが無理やり起こさなければ、ルナはビュッフェ式の朝食を食べ損ねていただろうし、バターたっぷりの出来立てふんわりオムレツも食べられなかっただろう。ルナは寝ぼけながらも、食べたオムレツが忘れられないのか、車の中でも「オムレツ……オムレツ……」と半開きの眼でつぶやき続けていた。

 昨夜は、ひさしぶりに時間を忘れて愛し合ったというのに、朝になればこのありさまだ。アズラエルは、一晩たてば色気が消えうせる恋人のシステムに、首をかしげていた。

 「おまえは――セックスしてるときは色っぽいのに、なんで朝になるとアホに戻るんだろうな……」

 アズラエルにとっては、徹底して考えざるを得ない大きなテーマであった。寝た次の日には、アホが加速化しているような気さえする。眠いところを無理に起こしたから余計なのだろうが。

 

 「アズ」

 ルナはぼんやりと窓の外の景色を眺めながら、つぶやいた。

 「あのホテルのオムレツは最高でした……」

 「昨夜のおまえのほうが最高だった」

 「美味しかったです……」

 「ああ、メチャクチャ美味かった」

 「それはなによりでした……」

 「おまえ、まさか寝てんじゃねえよな?」

 「起きてます。オムレツのことを、考えてます」

 「なあ、」

 一言でいいから、一度でいいから、アズラエルはルナの口から、「昨夜のアズは最高でした」という言葉を聞きたい。ルナが言うはずもないのはわかっているが、それでも、男として、聞きたかった。アズラエルは今まで抱いた女から「最高だった」と何度も褒められているのに、今つきあっている女からは、一言もない。最中のルナの様子から見て、満足しているのだろうことはわかるが、それでも言葉がほしかった。なのに、この可愛い恋人の脳内ときたら、今朝食べたオムレツ一色だ。

 なんだこの温度差。

 

 「……やっぱり、あちこち移動すんじゃなく、一ヵ所に落ち着いたほうがいいか」

 付き合いはじめに部屋にこもってばかりいて、イチャついていたころは、ルナも一日じゅう可愛くて、色っぽくて、アホではなかった。アズラエルはアホな女が好きだが、ルナの場合、アホではなくてカオスなのだ。

 「何か言いましたか、アズ」

 「やっぱりよ、お前を閉じ込めることにした」

 「なんですかその監禁宣言!」

 ルナはすっかり目覚めた顔で、アズラエルを見た。アズラエルの顔は真剣そのものだ。

 「リリザはもう過ぎたけどよ――一ヶ月ばかり、よそにおまえ閉じ込めて、ヤリまくるはずだったんだけどな、」

 そっちの予定を忘れてた、というアズラエルに、ルナは慌てて言った。

 「アズ! それはだめです!」

 「なんで」

 「あたしがアホになっちゃうからです!」

 「今とは別系統のな。一晩ヤラなかったら、次の晩には焦れておまえから乗ってくるぐらいに仕込みたかっ……「ギャー! またアズがセクハラ大魔王に戻ってる!!」

 ルナは耳をふさいで助手席で蹲ったが、信号で止まった隙に、アズラエルはルナの髪の毛にキスをして、言った。

 「……あまり蔑ろにされるとな、拗ねちゃうんだよ、俺は」

 「な、な、な、ないがし……してないよ……」

 「……じゃあ、俺のこと好きって言って、キスしてくれ」

 アズラエルがルナの唇をなぞっていくので、ルナは顔中真っ赤にしながら、本当に小さな声で、「……………好き」と呟いた。アズラエルがさらりとルナの頬に手を滑らせ、そのはずみでアズラエルの手の甲がルナの唇に触れた。ルナはそれをキスしたことにすることにして、「す――好きだよ? アズ……」と、なんとか。

 なんとか、精いっぱいの勇気を振り絞って、アズラエルを見上げた。

 恋愛沙汰に対して羞恥心皆無の恋人は、どうやらこの程度でも満足してくれたようだ。アズラエルが体を起こしてルナの唇に吸い付いた。一度だけ、強く。

 「俺も愛してるよ」

 ぺろりと自身の唇を、満足げに舐めて車を発進させるアズラエルの顔が見れなくて、ルナは羽織っていたカーディガンを頭から被った。

 

 

 K06区は、K12の隣にあり、そのさらに奥のK22は区画全体が公園で、ほぼK06と同じ区域に見なされている。K22は、K06区の人々が利用する公園と、老人保養施設も兼ねた病院があるだけで、居住区はなかった。

 アズラエルは高速道路を通らず、のんびりと下道を走った。ビル街を過ぎ、街並みはだんだん、緑の多い風景になっていく。

 

 「え……っ」

 ルナは思わず窓を開けて叫んだ。「あれなに、アズ!」

 「あれが入口だ」

 

 運転手の苦笑とともに、車はウッディな門をくぐった。

まるで遊園地の入り口かなにかのような、木と蔦を模した、巨大なアーチ状の門がルナたちを出迎えてくれた。満面の笑顔の木の妖精が、左右で手を繋いで門を形作っている。左はリボンがついているから女の子、右は男の子だろうか。周りには、りんごやぶどうやらのオブジェ。子供がよじ登れるぐらいの大きなものだ。アーチのてっぺんには、木を一枚ずつ打ち付けた字で、「K06へようこそ!」と書いてある。

 

 呆気にとられたルナが、窓の外から顔を出したままその門を見送ると、ちゃんとその木には、お尻があった。

 「アズ! あの木プリケツ!」

 「おまえもプリケツだよ」

 ルナは窓の外へ顔を出しっぱなしで、アズラエルに首根っこを掴まれて車内に引きずり戻された。だって、車が走っているのは真っ赤なレンガの道で、その脇には、小川がせせらぎ、途切れることなく季節の花が咲き乱れているのだ。

 

 「アズ! なにここ! なにここ! なにここすごい!」

 「だから、おまえは好きそうだって言ったろ」

 常緑樹の並木と、花壇のレンガ道をしばらく行くと、急に開けた場所に出た。道幅も広くなり、二車線のわきに歩道が見えた。

ここは、ずいぶんとたくさんの人間が外を歩いている。そのほとんどが老人であり、あるいは車いすの人間が多いのだが、ずいぶんと活気がある。ルナは当然だと思った。綺麗に剪定された芝生とレンガ道、小川、そしてたくさんの花。見ているだけで癒される光景だ。

 「わあ……!」

 ここがK06の居住区。

 庭付きの、一戸建て平屋が等間隔で並んでいる。そのどれもが実に可愛らしい造りで、家々はさほど大きくもなかったが、小屋と言うほどではない。まるで、絵本に出てくるような、木とレンガでできた家たち。家々を区切る生垣は低く、圧迫感はない。さまざまな花が顔を覗かせている。家々には、かならず果物か花が咲く木が植えてあり、庭の中を小川が流れ、同じ大きさの郵便受けが入口に立っていた。

ルナは、郵便受けが、りんごやさくらんぼ、きのこの形を模しているのに感激した。

 ここに住みたい。

ルナはそう言って、アズラエルをしかめっ面にさせた。「俺は絶対嫌だ」

 ルナが歓声をあげたのは、それだけではない。

 どの家のまえにも、必ずと言っていいほど、小さな赤いトラックが駐車していた。そのトラックは移動販売車だった。販売しているのはジュースであったり、アイスクリームであったり、軽食であったりした。

 家のまえに停まった車から、弁当のような包みを受け取っているおばあさんがいる。

水色ストライプのカバーオールを着た人があちこちにいて、花壇の手入れをしたり、おじいさんの車いすを押していたり、レンガ道を掃いている。この区画の役員だろうか。移動販売車の販売員も、皆、そのカバーオールを着ている。

 

 「あっ! アズ、フレンズ・ドーナツ!」

 ルナはフレンズ・ドーナツの移動販売車を見つけ、叫んだ。

 「なんだ? フレンズ・ドーナツって」

 「L18にはないの? L77にいっぱいあるチェーン店なの。K27になくって、K12のショッピングセンターにもなかったから、宇宙船にはないのかなってゆってたんだ。リサもミシェルも、探してた!」

 「へえ……。L18じゃ聞いたことねえな」

 アズラエルは車を路肩に停めてくれた。

「アズ大好き!」「こういうときだけだよな」