アズラエルとルナは車を降り、フレンズ・ドーナツの看板を掲げた販売車まで歩いた。

 

「この区画の住民でなくても、買えるのか?」

アズラエルが聞くと、販売員は頷いた。

「ええ、どうぞ」

「ルゥ、好きなの選べ」

「うん!」

ルナはウキウキとドーナツを選んだ。ルナがよく行っていたL77のフレンズ・ドーナツよりは種類が少ないが、新作は揃っている。

 

「ここは、昼飯食えるところはあるのか?」

アズラエルが販売員に聞くと、

「K06区は、カフェとレストランが一軒ずつ。区役所の近所にあります。あとはぜんぶ、訪問販売車です」

「訪問販売車って、コレか」

「ええ。この訪問販売車がこの区画の目玉だったりするんで、ぜひ、あちこち回ってみてください。L系惑星群のチェーン店だけじゃなく、面白い店もありますから。菓子類だけじゃなくて、ハンバーガーや、惣菜も売ってますし。区役所に駐車場ありますから、そこに車停めてもらって。ええと、今の時間だと――、たぶん近くに旨い惣菜の販売車が泊まってます。弁当にして、詰めてもらうこともできるんで、それをもってK22の公園でのんびり食べるのもいいですよ」

 「へえ」

 「ここは、歩けない方とか、身体の不自由な方が多いので、出歩けないと行けない店は少ないんです。定期的に朝昼晩と、食事や薬をお届けするシステムが完備されてるんで」

 販売員は、ドーナツを箱に詰めながら喋った。アズラエルがコーヒーを注文すると、

 「今区画のどこらへんにいるか分からないんですけど、コーヒーも紅茶も、産地別に数十種類そろえた販売車もありますよ」

 「そうか。ありがとう」

 アズラエルは礼を言って、紙幣をわたし、ドーナツの箱を受け取った。

 

 販売員の言っていた区役所は、道路を五分ほど進んだところにあった。ロッジ風の大きな建物だ。隣は、ずいぶん広く取られた駐車場。結構な台数が駐車していた。アズラエルも車を停め、ルナと一緒に区役所に入る。

 区役所は、この区画の案内所も兼ねているようで、一般向けの休憩所に入ると、そこには電光掲示板に並んだ、移動販売車の一覧があった。今の時間帯に、どの販売車がどこにいるか、ひとめで分かるようになっている。

 ルナはひと気のない休憩所をウロウロし、アズラエルが電光掲示板を眺めたまま動かないので、トイレに行くことにした。ルナがトイレから戻ってくると、アズラエルはもう外に出ていた。外でタバコを吸っている。

 「ルゥ、ちゃんとスニーカー履いてるな」

 アズラエルはルナの足元をチェックした。今日は歩くから、サンダルじゃなくてスニーカーにしろとアズラエルが言ったので、ルナは小花柄のチュニックに七分丈ジーンズ、スニーカーに、麦わら帽子の装いだ。

 「うん。どのくらい歩くの」

 「三キロは歩くな」

 「三キロ!?」

 アズラエルはポケットに手を突っ込んだまま歩き始めてしまった。ルナは小走りで追いかけた。しかし、歩道の脇をちろちろ流れている小川に小さな魚を見つけ、立ち止まってしまった。

ルナがついてこない。

ルナの姿を見失ったアズラエルが慌てふためき、川を覗き込んでいるうさぎを探しに戻って捕獲するまで、およそ十分。

 

 

 ルナとアズラエルは、五台の販売車をはしごした。

 アズラエルは、チョコマカと動いて、すぐ姿が見えなくなるうさぎを捕獲したまま、目的の場所へさっさと足を運んだ。さっき電光掲示板を見て、目的の販売車の場所は頭に叩き込んでおいた。

ドーナツの販売員が言っていた旨い惣菜の店は、「旨い惣菜の店」という名前だった。「そのままじゃねえか」と突っ込んだアズラエルだったが、ルナの好きそうなメニューだったので、ジャガイモを揚げて菜の花と和えたものや、魚の照り焼きなどと一緒に、一番小さなパックにご飯と一緒に詰めてもらった。

 そのあと、紅茶とコーヒーの販売車にたどり着き、自分のためにエスプレッソを、ルナのためにハーブティーを購入し、それから、べつの惣菜の販売車へ行った。

 そこで、ピラフや、豆とチキンとトマトの煮込みなどがセットになった大きめのランチパックを、スープだけの販売車で豆のスープを買い、K22の公園のベンチで昼食と決め込んだ。

 

 「あっちょうちょだ!」

 「追いかけんなよ。今度いなくなったら探さねえからな」

 「あたし、おべんとういらなかったのね」

 ルナはドーナツに齧り付きながら言い、アズラエルに小突かれた。

 「ちゃんと食事はしろって言ってんだろ。メシ食わなきゃ、ドーナツ取り上げんぞ」

 「アズのおべんとう、まめまめしい!」

 「人の弁当に文句つけんな」

 「アズのスープ、からい……」

 「あっ、バカ! それはおまえのじゃねえ! おまえには味噌汁買ってやったろ!」

 「だって、ドーナツとお味噌汁は合わないです……」

 「弁当に合わせたんだよ!」

 「アズは、スープもおまめだよ? なんでまめばっかり食べるの」

 「じゃあてめえはなんで、ドーナツしか食わねえんだ」

 いつものように低次元の会話を繰り広げたのち、結局アズラエルは、自分の弁当とスープをたいらげ、魚の照り焼き以外のルナの弁当をすべて食べ、味噌汁を片付け、ドーナツ残り三個を口に放り込んで昼食を完了させた。

 

 

 アズラエルが三キロ歩く、と言ったのは、昼食のあとだった。

 アズラエルの早足についていくのは難儀で、ルナはへふへふと息を弾ませながらあとを追った。食べたあとすぐに走ったので、わき腹が痛い。

 K22の公園を、まっすぐに、森のほうへ向かって歩き――森に入ったところで、「避難所まで一・三キロ」と書かれた木の案内札を見つけた。

 「避難所?」

 息を切らせながらルナが聞くと、アズラエルは「ああ」と言った。

 「K22は、宇宙船の右側面の端だろ」

 「うん」

 「避難所くらいある」

 「うん」

 ルナからの返事が相槌にしか聞こえないので、アズラエルは嫌な予感がして、聞いてみた。

 「おまえ――K27からの避難経路、確かめたことあるか?」

 「え?」

 きょとんとした顔。答えは聞くまでもなくNOだ。アズラエルは額を押さえたくなった。

 

 「おまえらL77の住民ってのは、どれだけ平和ボケしてんだ」

 アズラエルのセリフに、みるみる、ルナの頬っぺたは膨らんだ。

 「避難経路確かめてねえ? 冗談だろ。おまえ、コレは惑星じゃねえんだぞ。宇宙船だ。ウッカリすると、宇宙船だってこと忘れそうになるがな――だからって、自分が住んでる区画の避難経路ぐらい、把握しておけ」

 「……」

 ルナの頬っぺたは限界まで膨らんでいたので、アズラエルは自分の右手で無理やり萎ませた。

 「ルゥ。K27区からの避難経路はな、K21区の端にある。ここと一緒で、森のなか通って行くからな」

 「……避難場所、見に行くの?」

 「ああ。ついでにルートを把握しとこうと思ってな」

 アズラエルがよく行く、K07にある大きなスポーツセンターは、K06区とK22区のすぐ近くにある。そこからの避難場所は、K22区のここに当たるらしく、アズラエルは避難場所を確かめておきたかったのだと言った。

 

 「たぶんね」

 ルナは、萎んだ頬っぺたをふたたび膨らませながら言った。

 「シナモンもレイチェルも、ミシェルもリサもキラもみーんな! 避難経路なんて知らないと思うよ」

 「だろうな」

 アズラエルの呆れ声が降ってきたので、ルナは叫んだ。

 「そんなの確かめてるのアズだけだよ!」

 「クラウドもバーガスも、ロビンもレオナもみーんな知ってるよ。自分の住んでる区画からの避難経路と、避難までの所要時間くらいはな」

 ルナはぺけぺけとアズラエルの背中を叩いたが、相変わらず無駄だった。

 

 深い森をしばらく歩くと、有刺鉄線つきの、背の高い金網が行く手を遮った。「有事以外は立ち入り禁止」と書かれている。

 「入れないの?」

 「ああ。ここも奥までは行けねえか……。ルゥ、見てみな、アレ」

 アズラエルが指さすので、ルナは金網の奥を覗いた。

 ルナは、驚いた。

 ちらりと見た限りでは、全然わからなかった――奥行きを出した木々と、空のペイントがしてある、灰色の壁――あれが、宇宙船の「突き当たり」か。頑丈な鉄製の、大きな扉が佇んでいて、傍らには小さなコンピューターが。あれが、扉のロックを解除する機械だろう。

 

 なんというか、こういうものを見ると、今自分がいるこの場所が宇宙船なんだと自覚してしまう。普通は森に、「突き当たり」などはない。

 流れる雲が、デジタルなのだと分かるにはじゅうぶん、壁に描かれた空のペイントは動かないが、上空の雲は、空のペイントに紛れるように、ある境から切れてなくなっていくのだから。

 

 「あのドアの奥に通路がある。その通路を歩いて、緊急避難用宇宙船に移動する仕組みになってる――。俺は、ドアの向こうを見てみたかったんだがな」

 「無理だよ。きっとどこもそうだよ。有事以外は立ち入り禁止って書いてあるよ」

 「そうだよな。K21も、38もこうだったからな」

 アズラエルは諦めたようで、「戻るぞ、ルゥ」と言って、さっさと歩き始めた。

 

 「有事以外は立ち入り禁止」――。

 

 その「有事」とやらが来ることは、あるんだろうか。

 

 カザマは、ルナたちがこの宇宙船に搭乗するとき、「今までに事故は、一度も起こったことはありません」と言っていた。ツキヨおばあちゃんも、ルナの両親を説得してくれる時に、「あの宇宙船は、事故が起こったことは一度もないから」と言っていた気がする。

 避難経路なんて、使わずに越したことはない。

 しかし、なんとなくルナは、アズラエルに連れてきてもらって、よかったと思っていた。

 

 もしかしたら、自分が避難するために、ここにくるかもしれない――。

 

 そんな小さな予感は、アズラエルの、「ルゥ、置いてくぞ」のひと声でたちどころに消えた。