森も後半、低速ウサギに焦れたライオンは、仕方なくうさぎを背負った。ライオンの早足でさっさと森を抜けると、陽は傾き始めていた。

 

 「四時に、カフェのほうで、待ち合わせしてる」

 アズラエルのセリフに、ルナはなんのためにK06へ来たのか、思い出した。

 「忘れてたろ」

 苦笑気味のアズラエルに、ルナは「忘れてないもん!」と叫んだ。実際、忘れていたが。K06があまりに楽しかったせいで。

 

 「ルゥ、おまえな、」

 アズラエルはすこし真面目な声で言った。

 「今日の話次第じゃあ、――どうなるか分からねえが、おまえに、キラを迎えに行ってもらうことになるかもしんねえ」

 「え?」

 「もしもの話だ。……ロイドのほうからキラを迎えに行くように仕向けてやるけど、できなかったら、おまえがキラを迎えに行け」

 「うん……」

 (やっぱ、アズだ……)

 ルナは、こてん、と頼りがいのある恋人の肩に頬を預けた。なんだかんだ言って、アズラエルは優しい。アズラエルはキラとロイドの事なんか関係ないと言っているけれど、別れるのはあいつらの勝手だと言っているけれど、何とかしてくれるつもりでいたのだ。

 アズラエルは冷たいことを言うけれど、結局いつも、なんとかしてくれる。

 「……アズは、優しいねえ」

 「ああ?」

 なんか言ったかチビウサギ、とそっけない返事が返ってくる。

 「アズだいすき」

 今度ははっきりとアズラエルに聞こえる声で言うと、アズラエルはびっくりしたように振り向き、「毎回いえよ。そういうことはな」と、眉を上げて言った。ルナはえへへと笑って、アズラエルの広い背中にぺとりとくっついた。

 

カフェに着くころには、さすがにルナはアズラエルの背から降りていたが、またもや息はふうふうへふへふ、アズラエルの健脚についていくのは大難儀だ。アズラエルの優しさは、歩幅には表れなかった。アズラエルは歩幅を合わせるより、ルナを抱えてしまう方をいつも選択する。

 「ジャスト四時。来てるかな」

 カフェは、隣に併設されているレストランとほぼ変わりのない大きさの、やはり木とレンガ、白い土壁でできたお洒落な建物だった。夜になると灯るのだろうランプが、あちこちに下げられている。入口まえの階段にも、一段ごとに、ランプが飾られていた。

 アズラエルと一緒に中に入ると、ひとけは疎らだ。先客はすでに来ていたらしい、ウェイトレスに席へ案内された。

 奥の席で窓の外をじっと眺めていた上品な年配の女性が、ルナたちの姿を認めると立ち上がった。ルナたちが席へ着くとちいさく会釈する。

 

 「はじめまして。メアリー・J・ラムコフです」

 「アズラエル・E・ベッカーです」

 「ル、ルナです。ルナ・D・バーントシェント」

 

 メアリーは、背筋にまるで柱でも入っているかのような、姿勢のいい女性だった。六十歳くらいにはなっていると思うのに、わずかも曲がっていない背筋。

アップにした、白髪交じりの亜麻色髪。薄く化粧した、品のある顔立ち。キラキラと夕日を反射する、小さなイヤリング以外にアクセサリーはつけていなかった。ベージュのブラウスと、濃い緑のロングスカート。大柄ではないが、どこか迫力があるのは、その見事なまでにまっすぐな姿勢のせいだろうか。

 ルナは、思っていたイメージとずいぶん違うことに驚いた。ロイドやキラの話しぶりでは、ずいぶんと人がいい、ほんわかとした感じの印象だったが、めのまえの女性は、どちらかというととてもきりっとしていると思う。

 「遠くから、わざわざありがとうございます。どうかお座りになって。――私は紅茶をもう一杯いただきます。あなた方もなにか召し上がって」

 声と笑顔は、とても優しかったので、ルナはなんとなくほっとした。

 

 自己紹介は、ごく簡単にすんだ。なぜなら、メアリーはキラとロイドから、ルナとアズラエルのことをたくさん聞いていたし、アズラエルもロイドから、ラムコフ夫妻のことはずいぶん聞いていた。互いに初対面だったが、人となりは知っていた。そして、諸事情を知らないのも、ルナだけだった。

 アズラエルは昨日も今日も、ロイドのことをルナに教えてはくれなかった。ロイドがずいぶんまえから、アズラエルに電話でなにか相談していたことは知っていたけれど、その相談内容は、知らない。アズラエルはそういった話をペラペラ喋る性格ではないし、アズラエルから、キラの様子をルナに聞くこともなかった。

 ルナも、昨夜キラに電話しようと思ったのだが、メアリーの話を聞いてからにしようと思いとどまった。ケンカして、売り言葉に買い言葉で別れることになったのと――なにか、根深い問題があって別れたのとでは、違う。なんとなく、ルナは後者のほうではないかと思った。アズラエルの口調からは、ロイドのほうに原因があるとも取れる。

 ロイドが別れるとキラに告げたのか――それとも、キラがただ黙って出て行ったのか――、あまりに状況があいまい過ぎて、分からない。

 

 メアリーは、もう一杯ダージリンを、ルナも同じもの、アズラエルはコーヒーを頼んで、三人は向かい合った。

 

 「――何からお話をしたらいいか」

 メアリーは、一時間まえからここに来ていて、どう説明したらいいか、考えていたのだと言った。彼女は言葉を選ぶように、口を閉ざしてしまったので、アズラエルは、しばらくメアリーを見つめてから、問うた。

 

 「なぜ、ルナに電話を?」

 「それは、キラちゃんの一番仲のいいおともだちが、ルナさんだからですわ」

 メアリーは言った。

 「キラちゃんは、よくルナさんのお話をしていました。……今回のツアーは、偶然四人で行くことになったけれども、キラちゃんは、ルナさんと行こうと思っていたと。今回の結婚式の友人代表のスピーチも、ルナさんにお願いしようと言っていたから」

 「……」

 「ロイドちゃんも、アズラエルさん、あなたのことをとても信頼していて――だから、あなたたち二人なら、なんとか、あのふたりが別れることを止めてくれるんじゃないかと思ったの」

 「俺は、ふたりを止める気はねえよ」

 アズラエルはきっぱりと言った。

「そもそも、俺が口を出すことじゃねえと思うんだが」

 ぶっきらぼうなアズラエルの口調に、ルナのほうが慌ててアズラエルの足を踏んだが、効いていなかった。なんという頑丈な足だ。だがルナの心配は不要だった、メアリーは気分を害してはいなかった。

 

 「そのとおりですわ。……でも、」

 「何が、あったんです?」

 アズラエルは、聞いた。メアリーは、アズラエルがどこまで知っているのか、それが知りたいようだった。

 「どこまで、お聞きになっていて?」

 「俺が知ってるのは、ロイドが、キラと家族を天秤にかけて悩み始めたところまでだ」

 「キラちゃんと――家族」

 メアリーは、そこで、やっと腑に落ちたという顔をした。

 「家族――。そうだったのね……あの子は――」

 「……失礼だが、あんたの母親とやらは、ボケはじめてンじゃねえのか」

 「アズ!!」

 さすがにルナは咎めたが、メアリーは一向に構わない様子で、頷いた。

 「ええ。そうです。――私の結婚が、決まったころから」

 メアリーは、自身の中で腑に落ちたおかげで、やっと言葉を見つけたらしい。ルナにも説明するように、話しはじめた。

 

 「私たち親子が、ロイドちゃんと、それから、今の夫と出会ったのは、宇宙船に乗ってすぐのことです」

 

 この話は、ルナも聞いていた。ロイドたちと初めてパーティーをしたときに聞いた話だ。メアリーの話に、アズラエルが付け加えた。アズラエルの話には、メアリーとルナが知らないことも含まれていて、メアリーは、アズラエルの話を聞くたびに、納得するように相槌をくりかえした。

 ざっとまとめると、こんな話。