――三十分も泣いていただろうか。

ロイドの嗚咽が治まるまで、アズラエルは肩を貸していた。ロイドの背をなだめるように、何度も何度も、摩る。やがてロイドがゆっくり、アズラエルの肩から顔を起こした。

「アズ……、アズラエ……、ごめ……」

ヒックヒックと、まだしゃくり上げるロイドに、アズラエルは苦笑した。

「もう、いいから」

そう言って、まっすぐにロイドを見、「――キラを迎えに行くんだろ?」アズラエルは聞いた。

ロイドは、また目を潤ませた。

「アズラエル――僕は、間違ってた?」

「おまえが間違ってたかどうかは、俺が決めることじゃねえ。おまえが決めることだ。キラを迎えに行くかどうかもな」

「でも――僕、」

「まだ自分で決められねえのか。ずっと俺に判断をゆだねるのか? それじゃ、いつまでたっても変わらねえ。なあ、ロイド」

アズラエルは真摯にロイドを見つめ、そして言った。

「おまえが望む幸せってのはな、家族ってのはな、おまえが自分で決めて、掴まなきゃ手に入らねえもんなんだよ」

ロイドの目から。またぽたぽたと涙が零れた。

「おまえがキラを選ぼうが、ばあさんを選ぼうが、どっちを選んだとこで、後悔はしねえことだ。人に判断をゆだねれば楽だ。あとで人のせいにできるからな。だが自分で決めたことには責任が伴う。人に決めさせるな。自分で決めろ」

 

「キラと――おばあちゃんを、」

恋人も、家族も。

「両方望むことは、贅沢なのかな……」

 

「贅沢じゃねえよ」

アズラエルは言った。「だから俺は聞いたろ? おまえが欲しいものはなんなんだって」

 「僕は――」

 ロイドは悲痛に零した。「僕は、家族が――欲しくて」

 

 あたたかい家族が。帰る場所が。

 欲しかった。

 僕を無視しない家族が。

 僕を迷惑がらない家族が。

 僕にちゃんと微笑んでくれる家族が。

 僕を、――嫌わない家族が。

 

 「アズラエルにはきっとわからない」

 ロイドはつぶやいた。「アズラエルの家族は素晴らしい人たちだ。離れていても、絆は繋がっている。でも僕の家族はそうじゃない。僕は最初からいらない人間で――僕は、」

 アズラエルは深々とため息を吐いた。

 「俺がお前みたいにあったかい家族ってヤツに飢えてて、それで何が欲しいんだと言われたら、こたえはカンタンだ」

 アズラエルは、隣に座っていたルナを抱き寄せた。

 「俺なら、ルナと理想の家庭を作るよ」

 「――え?」

ロイドは、顔を上げてアズラエルを見つめ返した。 

「おまえも、そう考えると俺は思ってたんだ。そこら辺は俺の計算違いだったがな――だけど、そうだろ? 自分が欲しいものははっきりしてる。家族だ。なら、俺は自分で決めて、自分が欲しい家族を作る」

 

 ルナは一瞬――何が起こったか分からなかった。ずっとロイドが泣いていて、アズラエルがロイドの目を見つめて話していて――。ルナはアズラエルの腕にホールドされている。

いま、アズラエルはなんだか――プロポーズみたいなことを、言わなかったか?

 

 「おまえは、過去にとらわれすぎなんだよ」

 ルナを抱えたまま、アズラエルは続けた。

 「おまえは、なんとかばあさんにキラを認めさせようと必死だった。でも、普段のおまえなら分かるはずだ。そんなの無理だってことはな。おまえがばあさんと離れたくなくて、一緒にいたくて、その気持ちが強すぎて、今回みてえなバカな結果になった。おまえはめくらになってンだよ。家族ってモンに執着しすぎてな」

 「アズラエ――、」

 「なにも変わっちゃいねえ、おまえは。――家族ってのは、媚びなきゃ家族でいられねえのか? 何でも言うこと聞くのが、家族なのか? おまえが欲しかったのはそんな家族か?」

 「僕は、」

 「気づけバカ。……メアリーさんもその旦那も、それからばあさんも、最初からおまえを縛りつけたりなんかしてねえ。媚びろとも、言うことを聞けとも、言ってねえ。キラもだ。ばあさんが病気なのも、ぜんぶ承知の上で、おまえの望みをかなえようと必死だった。分かるか? おまえが勝手に作り上げた家族の形に、みんなが付き合ってたんだ」

 「……!」

 「おまえのことが大切で、傷つけたくなかったからだ」

 

 ねえ、ママ――言うことを聞くからこっちを見て。

 僕は、パパのこともお兄ちゃんのことも大好きだよ。だから、僕を無視しないで――。

 

 僕は、何度そう思ったかしれない。でも、みんな僕のことを、見てさえくれなかった。僕は、彼らの家族ではなかった。僕は、できるならいないほうがいい存在だった。

 ママにとっても、僕はよけいな存在だった。ママは僕を産んだ後悔のあまり、僕を視界に入れないように努力していた。僕はママの言うことを聞くように努力した。でも、ママにはそんなことすらどうでもよかったのだ。


 「ここにいるだれも、おまえを、無視なんかしてない。おまえの気持ちも、おまえ自身もだ。おまえが大切だから――だれも肝心なことが言えなくて、こんな厄介なことになってる」

 

 “ごめんねロイド。おばあちゃんが悪いんだよ。あの子を、あんなふうに育てたのはわたし。私の責任。寂しい思いさせてごめんねロイド。”

 

 ベビーシッターだった“おばあちゃん”は、僕の本当のおばあちゃんだった。ボケたおばあちゃんは、死ぬ間際、ずっとそう言っていた。ボケていたから、僕を本当の孫だと錯覚していることもあり得るとお医者さんは言った。ほんとうのことは、調べてみなければわからないと。

ごめんねロイド、娘をあんなふうに育てたあたしが悪かった。

僕は戸籍を調べた。おばあちゃんの言ったことは本当だった。彼女は僕の母の母だった。実の母を、僕のベビーシッターにし、雇い人扱いしていたあの女を、きっと僕は憎んだと思う。

 でもおばあちゃんは言った。パパを、お兄ちゃんを、そしてママを憎まないように。ママを許してほしいとおばあちゃんは何度も言った。ママを許せないということは、そんなママを育てたおばあちゃんを許せないということ。僕はそう思わなかったけれど、おばあちゃんが悲しそうな顔をするから僕はママを許した。

 あのひとたちは、ロイドよりずっと寂しい人たち。おばあちゃんはそう言った。自分の娘を寂しい人間にしてしまったと自分を責めたおばあちゃん。きっと僕は、いつか諦めていた。家族と仲良くなることを。僕は何度も彼らに歩み寄ったけれど、結局彼らは、僕を視界に入れることは一度もなかったから。

 だけどおばあちゃんの願いだったから、僕は彼らを憎まないよう、恨まないようにした。それはひどく難しいことだった。きっと諦めてさえいれば楽だったのだ。彼らから離れ、最初から家族なんていなかったのだと――僕の家族はおばあちゃんだけだと思うことができればきっと楽だった。でも、それはなかなかできなかった。おばあちゃんの願いと、僕自身の諦めの悪いさみしさのために。

 僕が家を追い出されて初めておばあちゃんは、僕に家族となかよくするようにとは、言わなくなった。でも、僕が家を追い出されたことが、おばあちゃんの心を痛めておばあちゃんの寿命を縮めたことを、僕は知っている。

 おばあちゃんは、せめてロイドだけでも幸せになって欲しいと言った。ロイドの一番欲しいものが手に入って、ロイドがどうか、宇宙一幸せになりますように。

 ロイドが幸せになってくれたら、おばあちゃんも許されるような気がする。

 地球行き宇宙船のチケットが届いたのは、おばあちゃんが死んだあとだった。