ロイドが、ルナとアズラエルと、キラのアパートに向かっているころ。

 キラは、暗闇の中で光るショッキングピンクの小さなテーブルに、突っ伏していた。雑貨店で一目ぼれして買った、折り畳み式のチープなテーブル。カーテンを閉めた真っ暗な室内で、そのテーブルと、キラの腕に貼ってある星形のタトゥだけがぼんやり光っていた。

テーブルの上にも周りにも、缶チューハイの缶が所狭しと散らかっていた。何本飲んだか分からない。冷蔵庫にある分は、飲みきってしまった。ベロンベロンに酔っぱらうには、まだ少し足りないが、コンビニに買いに行く気も、スーパーに買いに行く気も、キラにはなかった。

 涙でぐちゃぐちゃの顔は、化粧も溶け崩れて、直す気もなかったし、さすがにこの顔でコンビニには行けない。ぼんやりと、クマの形の目覚まし時計をみると、深夜を回っていた。

 

 眠れない。でも、もう涙も出ない。

 

 メアリーの屋敷を飛び出し、自分のアパートに戻ってきてから連日、今までの鬱憤を晴らすように友達と遊びまくった。K37にも泊まり込みで行ったし、クラブで一晩中踊り明かして、カラオケでオールして、買い物もいっぱいして、レイチェルやシナモンとも遊んだ。

ジルベールは、キラたちが結婚式に来なかったことに腹を立てていて、最初はすこし冷たかったけれど、平謝りに謝ったら許してくれた。エドワードは、笑って、気にしていないと言ってくれた。

 レイチェルとシナモンにももちろん謝って、気のいいふたりはすぐ許してくれた。がっかりはしたし、ドタキャンも腹が立ったけど、いろいろ事情があったなら仕方がないと。ロイドと別れたことを告げたら、励ましてもくれた。ふたりは、本当に素敵な友人だとキラは思った。ルナやミシェルが旅行中でいないこともあって、毎日のようにレイチェルやシナモンとマタドール・カフェやリズンに行ったが、胸にぽっかりと空いた穴が埋まらない。

 元気を絞り出すようにはしゃいで、遊んではみるものの、夜になると抜け殻みたいになる。

 ついにキラは今日、遊ぶ元気もなくなって、家に引きこもった。

 良く考えたら、このアパートで、たったひとりで夜を過ごすのは、これがはじめてだ。

 宇宙船に乗り始めのころは、夜遊びしないルナがかならずアパートにいたし、キラ自身がK37に行きっぱなしで、帰らないこともあった。ロイドという恋人ができてからは、ずっと彼と一緒にいた。

 ロイドと別れたというショックは、遊んで元気になれば消えると思っていた。いままでだってそうだった。長続きしなかった恋愛だったが、別れた後は、いつでもこうやって遊びまくって、そのうち忘れていた。でも今回ばかりは違ったようだ。

ロイドと別れて、意外なことに、泣いていないことにキラは気づいた。いっそ、大泣きすればすっきりするかも。そう考えたキラは、今夜はひとりで思いっきり泣くことにした。カクテルや缶チューハイを買い込んで部屋に籠り、片っ端から飲んで飲みまくって、いつしか泣いていた。

 でも、酔えない。泣いても泣いても、寂しさが募っていくばかりだ。

 やがて、飲む酒もなくなって、キラはぺたっとテーブルに突っ伏した。

 

 (ママに……会いたいなあ……)

 宇宙船に乗って、はじめてのホームシックだった。

 (ママなら、なんていうんだろう)

 ロイドと、別れたと言ったら。

 

 でもきっと、ママなら慰めてくれて、「もっとイイ男がいるよ! だからキラは自分に自信を持って、自分が好きなように生きな!」と励ましてくれるに違いないのだ。

 ママなら、きっとそう言う。

 男と別れたくらいでクヨクヨすんな! そのとおりだ。きっと――ロイドでなかったら、キラはこんなに落ち込まなかった。男なんて、星の数ほどいるんだ。

 キラのママも、恋愛よりもっと楽しいことがある、と考えるタイプだった。

 キラだってそうだった。――ロイドと、出会うまでは。

 

 キラのママ、エルウィンは、べつにキラのパパのことが好きではなかった――と聞けば、キラは複雑な思いになるが、納得した覚えがある。

 キラとエルウィンは似ている。多趣味なところと、自由を愛するところ。だからキラは、ママがパパのことを好きではなかった、というのは、それだけ聞けば複雑な思いになるが、その背景を聞けば、妙に納得いったのだった。

 

 ママは――エルウィンはL19、軍事惑星群の生まれだった。

キラはL77生まれで、ずっとその土地で育ってきた。エルウィンはあまり実家に帰りたがらなかったし、懐古趣味もなかった。軍事惑星のこともあまり話さなかったから、キラはよく知らない。

 だからといって、エルウィンは軍事惑星が嫌だった、というわけではない。彼女はむしろ、L19にいたかったのだ。軍人生活が嫌ではなかった――むしろ、彼女にとってはL77の生活より楽だった。軍人としての給料は安定していたし、顔や体に模様があったとしても、それを咎められることは一切なかった。軍事惑星では、タトゥなど珍しくもない。けれどL77では『不良』の証みたいなもので、エルウィンはL77に来てからいくつかのタトゥを消したし、タトゥひとつのせいで仕事が見つからなかった時期もある。

  エルウィンの親は、L19で不動産業をしていて、軍人の家系ではなかった。だから、娘には、軍人の家に嫁いで欲しくはなかった。L18ほどではないが、L19だって代々将校を出している家には、傭兵や一般市民との差別は厳然としてあったし、軍人の仕事は生命の危機に晒されることもある。だからエルウィンの親は、娘に軍人をやめてほしかった。

 親としても、恐ろしいほどの努力をして、遠い、あまりにも遠いつてを頼ってL77の住民との見合いにこぎ着けた。L7系なら、軍や戦争とは、全く縁のない世界で生きていける。

親の思いはエルウィンも分かったし、エルウィンは、必死な親の思いや努力を無下にはできなかった。多趣味で、ナリが多少派手でも、気立ても容姿も悪くなかったエルウィンは、すぐ先方に気に入られて結婚した。エルウィンの夫――キラの父親は、エルウィンより十三歳もとしうえの、病弱なサラリーマンだった。

 キラの父親は、エルウィンがキラを産んで三年後に病気で死んだ。エルウィンは嫁ぎ先の悪口も、死んだ父親の悪口もいっさい言わなかったが、しあわせな結婚生活でなかったことだけは、キラにも分かる。キラは父親が病床に臥せっている姿しか覚えていない。エルウィンは、自分の夫のことを、あとになって思い出を語れるほど、知らなかったのだ。好きとか嫌い、以前に。彼は病気がちで、エルウィンが妊娠したのもほぼ奇跡。ふたりででかけたのも、新婚旅行でL76の高原に二泊三日の旅行をしただけ。たった四年の結婚生活は、虚しいほどあっさりと、終わった。

エルウィンは、夫が死んで一年経たないうちに、嫁ぎ先の家を出た。L19にも帰らなかった。L19に戻れば、また実家と関わることになる。そして、まだ幼いキラを抱えて、軍人生活はできなかった。



 エルウィンは、いつもキラに言っていた。キラは、自由に生きていいんだよと。協調性は大事だけど、自分を殺してまでだれかに合わせる必要はない。自分の大切な願いを無視してまで、誰かの願いどおりにならなくてもいい。いつも言っていた。

 だからキラが学校で浮こうが、ともだちがいなかろうが、いつも励ますだけで、責めたりはしなかった。大変だどうにかしなきゃとおおげさに考えることもなかった。キラも、ルナというともだちがいたから、平気だった。学校で、ひとりもともだちができないときがあっても――。

 

 ルナは、キラがどんな趣味にはしっても引かなかったし、いつだって、キラそのものを見てくれた。ロイドもそうだった。いつだって、キラの趣味の話を楽しそうに聞いてくれた。

 「僕は、趣味らしい趣味ってないから。キラみたいにいっぱい趣味があるって、いいね」

 男の人に、そんなことを言われたのは、キラははじめてだった。キラはとってもキレイだと言ってくれたのも、ロイドがはじめてだった。嬉しくて、嬉しくて、仕方がなかった。

趣味がないというロイドと、共通の趣味が欲しくて、キラは探した。一緒に楽しめることを。ふたりでいろんなことをしたかった。カレーが大好きなロイドのために、色んなカレーを食べに行ったり、いっしょに作ったりした。

 楽しかった。

 ひとりで行動するのは、ずっと平気だったのに。

 それが、恐ろしく寂しく思えてしまうほど、楽しかった。

 

 (ロイドに)

 キラはテーブルに突っ伏したまま、ぽろぽろと涙を流した。

 (ロイドに、会いたいよ……)

 

 ロイドと、一緒に暮らした日々にもどりたい。ひとりじゃ、ぜんぶのことがつまらなくなってしまった。ロイドと一緒にいるなら、すべてのことが楽しかったのに。

 

 (ロイド……)

 

 ロイドのことを考えながら、うつらうつらしかけたときだった。急に玄関のチャイムが鳴って、ビクリ! と身体が揺れて起きた。

 「……何?」

 もう、深夜一時に針が届くころだ。こんな時間に宅配便もないだろうし、もしかしたらK37の友人かもしれない。昼夜かまわず遊びまくっている人間ばかりなので、クラブで飲んだ後、キラのアパートに行こう! という話になって、来たのかもしれない。でもキラは、今夜は誰にも会いたくなかった。

 無視を決め込むキラだったが、チャイムは二三度、立て続けに鳴った。続いて、ゴン! とドアを蹴る音がして、キラはさすがに怖くなった。

 この宇宙船は、危険がないとは言われているが、変質者が乗っていないとはだれもいっていない。それに、飲めば性格の変わる人間は、キラのクラブ仲間にもいる。キラは恐る恐る、ドアのほうへ行った。パイプいすを携えて。

 なんだか、ドアのむこうで言い争っている声が聞こえる。キラはごくりと息をのんだ。部屋に戻って、担当役員であるユミコさんに電話をしようと思ったが、そのまえに、ガチャリとドアノブが回された。鍵はかけてあるはずなのに。酔っぱらって、ドアガードを掛けることも忘れていた。キラは蒼白になって、パイプいすを握った。