ドアノブが回されて、ドアが開く。キラは決死の覚悟でパイプいすを振りかぶり――振り下ろした。「きゃあ!」女の子の悲鳴と、メキッという音。 「あっぶねえ……」 キラが怖々、目を開けると、めのまえにいたのは見覚えのある、ガタイのいい大男だった。 「――え? ア、アズラエル……?」 パイプいすは、頭をかばったアズラエルの腕にぶちあたって、ぐにゃりと曲がっていた。ぜんぜん痛そうに見えないアズラエルは不敵な笑みを浮かべ、変形したパイプいすをガシャンと投げ捨てた。 「防犯としちゃイマイチだが、強気な姿勢は合格だな」 不法侵入者はアズラエルだった。――いや。アズラエルだけではない。その陰からぴょこんと顔を出したのはルナだった。そして、その後ろには。 「ロイド」 キラは、呆然と、ロイドを見つめた。ロイドは泣きそうな顔はしていたが、キラから目を反らさなかった。 「キ、キラ、こんな遅くにごめんね? 寝てると思ったし――あたしたちも止めたんだよ? ここに来てから合鍵ないの思いだして、そしたらアズラエルがピックとかゆうので鍵開けるって言いだすし、その、」 ルナがアワアワと言い訳をするが、キラは、変質者ではなかったことにほっとして、肩を落とした。 「びっ……びっくりしたよお! もう!」 たしかに、チャイムが鳴ってすぐ出なかった自分も悪いが、こんな深夜の訪問者など、ふだんはないのだ。不審に思うのが当然だ。 「悪かったな。不法侵入しようとしたことは認める」 アズラエルが、全然反省していない顔でそう言った。アズラエルの態度が気にくわなかったキラが、アズラエルに抗議しようとしたが、それを遮るようにロイドが、ぎゅっと服の裾を握り、それでも、はっきりとキラに言った。 「キ、キラ――、入っても、いい?」 「……え?」 「話したいことが、あ、あるんだ」 キラは、いまごろ自分がひどい顔だったことを思いだした。はっとして顔に手をやったが、手に化粧のよごれはついてこない。涙ですっかり流れ落ちてしまったのかもしれなかった。 それにしても、返事がないからって、無理やり入ろうとするなんて――。 とんでもないヤツだ。L18の傭兵ってヤツは。 キラは、化粧落としも真っ青な自分の涙の量と、なんとなくそのことがおかしくなって、小さく笑った。 きっと、ロイドとルナだけだったら、チャイムを押してキラが出てこなかったら、明日の朝まで待っただろう。アズラエルだけだ、こんな強引に押し入ろうとするのは。 でも、よかった。 今は、今だけは、そのほうがよかった。 だってあたしは、たった今、ロイドにすごく会いたかったんだ。 ロイドは、キラが笑ったことが不思議だったようで、困惑した表情に変わった。 ロイドだ。会いたかった、ロイド。 アズラエルが、連れてきてくれたのだ。 キラは、「いいよ」と言った。そして、アズラエルに尋ねた。 「アズラエルが、連れてきてくれたの?」 アズラエルは、「今夜、おまえのとこに行くって言ったのはコイツだ」とロイドを小突いた。キラはロイドを見、それからアズラエルと、ルナを見、 「……ありがとう」と小さく言った。 「――あじゅ」 「なんだ」 「あたしにはね――あれは、土下座にしか見えないんだけども」 ロイドが、キラに向かって膝をついて頭を下げていた――もとい、土下座していた。 「まァ、土下座だからな」 腕組みして言うアズラエルのドヤ顔は男前だったが、言っていることはぜんぜん誉められなかった。 「なにがL18の男の必殺技なの!?」 「バカ。甘く見るな。あれ以上にキク方法はねえんだよ。浮気した時とかな――もうしませんって、こう、だな。必死で謝るしかねえときもある」 顔が真剣な分、ルナのツッコミは必須だった。 「……アズは、この必殺技を使ったことがあるような言い方ですけれども」 浮気なんか、してないよね? とルナはじっとりとアズラエルを睨んだが、 「……次のセックスまでに二週間以上間があくと、ほんのちょっと、頭をよぎるな……」 浮気、バンザイ。俺の女が、俺のセックスよりオムレツのほうがヨカッタとか言い出した時とかな。アズラエルが遠い目をしているので、ルナはぽっかりと口を開け、「あずのばか!」とぺけぺけした。 バカップルはさておいて、ロイドはとにかく、キラに頭を下げて謝った。L18の男の必殺技が土下座だとは思わなかったが、もとよりロイドは、キラに謝る気だったのだ。 「ご――ごめんね、キラ」 「……なんで、ロイドが謝るの?」 「僕の――ぼくの一番大切なひとが、キラだって、忘れかけていたから」 その言葉に、目を見開いたのはキラだった。 「僕はおばあちゃんも、メアリーさんも、パドリーさんも、みんな大切なんだ。もちろん、アズラエルやルナちゃんのことも――。でも、僕が一緒に家族を作りたいのは、キラなんだ。それは、ほんとうなんだ。もう、許してもらえないかもしれないけど――」 「ロイド、」 「もういちど、プロポーズさせてください。僕は、キラと一緒にいたい。キラが大好きです。一番一緒にいたい相手は、キラなんだ。キラと一緒じゃなくちゃ、何をやっても楽しくない。だから――」 ロイドは、最後まで言わせてもらえなかった。キラが、抱きついてきたからだ。 なんでロイドは、いつも、あたしが一番欲しい言葉をくれるんだろう――。 「おい、ルゥ、出るぞ」 「え? う、……うん」 キラとロイドの、どっちともつかない涙声と、キラの、「ロイド大好き」の言葉がルナの耳を掠めた。ルナは振り返ったが、アズラエルはルナの腕を引っ張って、外に出した。ルナは、またなんとなくじんわりと涙が出てきて、アズラエルが、外側からまたピックで鍵をかけるのをぼんやり眺めていた。 「アズ、うでだいじょうぶ?」 「あ?」 アズラエルの腕は鉄かなにかでできているのだろうか。痣になってもいなかったし、骨が傷んでもいなかった。パイプいすのほうが致命傷だ。 「あれしきのことで折れるような骨はしてねえ」 アズラエルは笑い、 「おまえに嫌われたら、カンタンに折れるけどな」 俺の腰が。土下座確定。 「アズ、浮気したら、L18のひっさつわざだからね」 「おまえのほうが、浮気の可能性高いだろ」 アズラエルはアパートの階段をさっさと下りていく。ルナはまた、足の速すぎる恋人を必死で追い、それからその背中に飛びついた。 「アズ、ありがとう」 広い背中の恋人は何も言わなかったが、自身の腹のあたりで交差した小さな腕を掴んで引き寄せ、「礼なら今夜、ベッドのなかでもらう」とのたまったのだった。 明日には、きっとロイドとキラと、久しぶりにリズンに行くのもいいかもしれない。でも、きっと、彼らが起きてくるのも昼過ぎだろうから、今日はアズラエルにお礼をしてあげよう。 うん、浮気されても嫌だし。 「なんか言ったか、ルゥ」 「なんでもありません」 「早く部屋行くぞ」 「今夜はいっぱい、お礼をしますよ! アズ!!」 「ほんとかよ」 そう意気込んだルナだったが、今や深夜二時近い。 「まあ――期待はしてなかったけどな……」 ベッドに横になった途端に寝息を立てて、恋人が横でガックリと項垂れるのはお約束なのだった。
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