八十四話 テセウスの船



 

 「え? じゃあ、ぜんぶハッピーエンドってこと?」

 電話口のサルディオネは、自身でも分かるくらいマヌケな声で聞いていた。それに返ってきたのは浮かれたルナの声。

 「うん! アズがね、ぜんぶなんとかしてくれたの。アズがね、メアリーさんとお話して、ロイド連れてキラのところに行って、それで仲直りしたの! さっきねキラとロイドとアズと四人でリズンでご飯食べて来たよ! キラすっごい元気出たからって、二日酔いのくせにパン全部食べちゃったの、かごいっぱいのパン! それでね、」

 「ちょ、ちょっと待ってルナ、」

 興奮気味で喋りまくるルナを慌てて制し、サルディオネは聞いた。

 「キラって――えっとその、キラって子と、ロイドさん? が仲直りして――、で、その仲を取り持ったのが、アズラエルってわけ?」

 「うん! そう! アズなの!!」

 「……」

 「アズがね、みんなやってくれたの!」

 「え、えと、ルナは?」

 「あたし? あたしはね、ボケッとお話聞いてただけだったよ」

 

 あたしは今回、なんにもできなかったなあ、と少しショボンとした声で呟くルナの様子は、嘘ではなさそうだった。半分支離滅裂ながらも、キラとロイドの仲互いの原因から、仲直りした経緯まで約一時間、ルナの話を聞いたサルディオネは、今回ルナが何もできなかったというのは、ひかえめな表現ではなく事実だったのだと認識した。

 ルナの言うとおり、行動を起こしたのはアズラエルで、最終的にロイドを動かしたのもアズラエル。ルナはその隣で、まるで蚊帳の外にでもいるかのように皆の話を聞いていただけだったのだと――。ルナはこの一時間、「アズはすごいの!」の一点張りだった。

 ノロケにしか聞こえないその内容は、ノロケではあっても事実。恋人ステキの誇張されたフィルターがかかってはいても、原因と結果だけは動かしようもない事実。

サルディオネは、傍らのZOOカードを、困惑した目で眺めていた。

 なぜなら、キラ――「エキセントリックな子猫」のカードは、いまだにルナの「月を眺める子ウサギ」のカードの周りをぐるぐる回っているからだ。助けを求めるSOSのサインを出したまま。

 

 「でもね、キラとロイドが仲直りしてくれてすごくほっとしたよ。だって、キラの運命の相手はぜったいロイドだもん。そうだよね?」

 「え? ――う、うん」

「キラもねえ、アンジェに会いたいってゆってたよ。キラはバーベキューパーティーにも来れなかったし、あたしの友達で、アンジェが会ってないのってあとキラとロイドだけだよそういえば」

「う、うん……そうかも」

「結局、ロイドはキラと一緒にK06のとなりのK16に住むことにしたの。K16って親子連れの区画みたいなんだけど、早く結婚して子供つくれば違和感ないってアズゆってた! でね、結婚式のプランも改めてふたりで計画し直すんだって。ロイドはちゃんと、介護士の資格を取ってからおばあちゃんのお世話をすることに決めたの。だから、おばあちゃんのところに遊びには行くけど、まえみたいに一緒に住むことはなくなったの。キラはキラで張り切ってるよ! 結婚式のドレス、自分で作るんだって。それで、メアリーさんと生地見に行くんだって。すごいよね、キラって器用で。あたし、ドレスなんか自分で作れないよ」

 「……ね、ルナ」

 「ン?」

 「キラ……さんはさ、じゃあ今のところ元気で――悩みとかは――なさそうなんだ」

 ルナが受話器向こうで小首を傾げているのが、サルディオネには容易に想像できた。「ん? ん?」という小さな疑問符のあと、ルナは「う〜ん……。そうだとおもうよ」と言った。

 「キラが一番悩んでたっていうか、辛かったことが解決したからさ。今、悩みとかはないとおもう……よ?」

 「……」

 

 そうだろう。サルディオネもそう思う。「エキセントリックな子猫」は、「傭兵のライオン」が助けてしまった。

「月を眺める子ウサギ」ではなく。

 

 以前から「裏切られた保育士」――ロイドのカードは、「傭兵のライオン」――アズラエルの周りをぐるぐる旋回し、SOSのサインを発していた。そして、ZOOカードが示す通り「裏切られた保育士」は「傭兵のライオン」に救われた。その証拠に、「裏切られた保育士」のカードは「介護士のチワワ」に変化している。

動物の名が表れたということは、本来の天命の軌道に乗ったということだ。人生の初期に大きな傷を負い、人生を見失った人間は、カードにおのれの魂の真の姿が出ない。それが現れたということは、トラウマであった傷が癒え、新しい人生が始まるということ。

 今サルディオネが気になっているのは、チワワの運命の相手である「エキセントリックな子猫」だ。

 ルナの話を聞いた限りでは、子猫も一緒に「傭兵のライオン」に救われたとみていい。だが、「エキセントリックな子猫」はいまだ「月を眺める子ウサギ」、つまりルナの周りをぐるぐる旋回している。ルナに、助けを求めたままだということだ。

 (いったい、どういうこと?)

 今回ルナは、まるで自分の出番はなかったと言っていた。ではまだ、すべては終わっていない? 「エキセントリックな子猫」は、まだ心の奥底になにかを抱えたままだということなのか。まだ彼女は救われていない? 

しかし、この子猫はチワワほどおのれの人生に絶望があったわけではない。父親を早くに亡くしているが、そのことは、トラウマになるような深い傷にはなっていない。人生の流れを見ても、人生が根底から覆ったり、生死を左右する重い事件に関わる象意はない。それに、ちゃんと動物の種ははじめから出ていた。

動物の、個別の名ではなく――たとえばチワワやドーベルマンのように種類が限定されない――「ネコ」だの「犬」だの、動物の種だけというのは、古い魂の証である。猫は猫だというだけで、どの猫にもなれる――つまり、可能性の幅が広いのだ。前世での経験が多い分だけ、彼らは人生の様々な場面の選択において、非常に広い視野を持ち、選択肢も多い。人格的にも懐が広く、余裕のある人間が多い。

しかし動物の名が決められているカードの主は、きっちりと人生にレールが敷かれている。逆に言えば、選択の幅は狭いということだ。介護士のチワワと名がつけば、それ以外の職を、ぜったいにこのチワワは選ぶことがないだろう。そして、彼はチワワのように小さく弱く、愛らしいという外見的特徴を兼ね備えている。

エキセントリックな子猫は、性格にエキセントリックな部分があるというだけで、チワワの彼ほど人生の軌道が定められてはいない。この子猫は多趣味で、カードもそれを表すように彩り豊かだ。彼女の人生はあらゆる可能性に溢れている。

彼女はその可能性の海に、いまや浸かっている。毎日が輝くほど楽しいのだろう。そんな状態なら、ZOOカードもキラキラ輝きを発しているものだが――。

薄暗く澱み、元気がなさそうに「月を眺める子ウサギ」のカードの周りを周っているのは、なぜなのだ。

 

 「アンジェ?」

 黙りこくってしまったサルディオネの様子を訝しんで、ルナが名を呼んでくる。サルディオネは慌てて、ZOOカードから意識を離した。

 「ご、ごめんごめん! ちょっと考えごと。それよりさ、旅行ってもう終わったの?」

 「え? うーん、一応今はおうちに帰ってるんだけど、アズがまだ、行きたいところあるみたいなんだよね」

 「そっか。じゃあアパートに帰った時にリズンに顔出してよ。あたしもリズンにいること多いからさ」

 「うん! あのね、アントニオにおみやげ置いてきたから。K06で売ってる可愛いランプなの。アンジェが好きだといいんだけど。アントニオにあげたぶんはね、さっそくリズンの入り口に飾ってくれたの」

 「マジで! ありがとう! 今度行ったとき見てみる!」

 「うん、長電話してゴメンね。また会おうね」

 「じゃ、リズンでね〜」

 

 長年の友人と変わらないような調子で電話を終え、サルディオネはZOOカードに向き直った。やはり、「エキセントリックな子猫」のカードは、変わらず「月を眺める子ウサギ」の周囲を周っている。

 (いったいどうして?)

 アントニオに、相談してみようか。でもきっと彼は、「ほっとけばそのうち解決するよ」と言うに違いない。人の運命によけいな口出しをしないのが、彼のポリシーだし、とりあえず生死に関わる重大事件、というわけではない。

 でも、サルディオネには気になって気になって、仕方がなかった。気にしないように心掛けてはいるが、友人にかかわる事となると余計に。

 (だめだめ……私情挟むと、ちゃんと見れなくなる)

 それはかねてより、サルーディーバにもアントニオにも、カザマにも、経験豊かなほかのサルディオネにも口を酸っぱくして注意されていたことだ。

 

 ――そなたは若い。若くて経験もまだ積まぬうちにサルディオネとなることは、とてもあやういことだ。人の人生を左右する重き選択を若き身で背負わねばならぬ。年老いたこの婆でも幾度となく誤るものを、そなたの若き思考では、誤りは九割となろう。誤りばかりの人生になるやもしれぬ。しかも人の生涯を映し出すだけの水盆の占術と違い、ZOOカードは大局を見、繊細なる判断を要し、じゅうぶんな咀嚼の力が必要となる。ようよう、熟考せよ。熟考した後はその事象から離れよ。ZOOカードばかりに囚われず、人生の花を楽しむがよろしかろう。――

 

 サルディオネが尊敬している、水盆の占術をしているサルディオネに言われた言葉は、真砂名の神の言葉としてアンジェリカは受け取った。アンジェリカがサルディオネになった記念に、彼女は多忙な中に時間を作って、アンジェリカの人生をひととおり占ってくれたのだった。

 

 ――そなたはひな形。L03における近代化のひな形ぞ。それゆえ、さまざまな経験をする生涯となろう。ただひとつ、心に留めておくことは、そなたには役割があるということ。真砂名の神がそなたにこのZOOカードという占術を託されたのも、その役割のため。であるから、役割が終わればそなたは「ZOOの支配者」ではなくなるやもしれぬ。だからといって、ZOOカードの学びを怠ってはならぬ。そして、ZOOカードにとらわれ過ぎてもならぬ。呑まれてもならぬ。困難な道よ。――

 

 彼女の言葉は、迷った時の道しるべだった。――熟考せよ。

 

 サルディオネは何度となく反芻した彼女の言葉を思い出しながら、じーっと「エキセントリックな子猫」のカードを眺めていたのだが。

 「……あれ?」

 はじめて違和に気付いたサルディオネが、あらためて「介護士のチワワ」のカードを呼び出すと、わずかの間を置いて、「エキセントリックな子猫」のカードが別の箱から飛び出した。キラキラ輝いて、真っピンクのオーラをあたりにふりまきながら、チワワと子猫のカードがイチャイチャ……。

 「あれ?」

 

 じゃあ、「月を眺める子ウサギ」の周りを周っているこのカードは?