場所は変わって、L18の心理作戦部B班隊長室。

 ここにも、熟考――というより、頭を抱えている男がいた。こっちの悩みは、熟考しても詮無い――というより、考えたってこれ以上何もわからないという気の毒な状況だった。

 ベン・J・モーリス。

B班隊長が、大昔の錆びたクッキー缶をまえに、暗い表情で蹲っていた。

 この缶が何ものかなんて、分かるべくもない。年代と、付着していた土や植物の根は分かったが、この広大なL18のどこに埋められていたかを調べるなんて、それこそ気が遠くなるような作業だった。

 『この缶のこと、調べといてね』

 エーリヒは軽い口調でベンに一任したが、何をどう、どの辺まで調べればいいのか。少なくとも、埋められていた場所まで特定しなければ、エーリヒは納得すまい。その軽くて適当なエーリヒは、L4系のどこかの星に敵情視察に行ったまま帰って来ない。クラウドに相談するのもひとつの手ではあるが、クラウドだってここにはいないのだし、辞職した身なのだから、いちいち旧職場から相談されるのも迷惑だろう。

そう考えるほどには、ベンは常識人で他人をおもんばかる人間だった。クラウドやエーリヒがベンの立場だったら、そんな甘い遠慮などなくさっさとベンを利用していたに違いないが。

 すなわち、彼らのわがままに振り回されるのは、いつだってベンなのだ。

 

 (はあ〜あ……)

 ベンは深いため息を吐いて情けなく眉尻を下げ、椅子の上に蹲ったまま大きな机に突っ伏した。が、とたんに鉄製のドアが力強くノックされ、あわててベンは姿勢を正した。仮にもB班隊長となった身である。だらしない態度は部下の鋭気にひびく。そのあたりは、ベンは貴族出身の典型的な軍人だった。心の中で、(少しは休ませてくれよ〜)と情けない悲鳴をあげてはいても。

 しゃきん、と姿勢を正したベンは、厳かな声で「入れ」と命じた。許可とともに一人の軍人が、ファイルケースをまとめたプラスチックのボックスを片手に抱えて入ってきた。腕章のカラー、緑。

 情報分析科――E班だ。

 アイゼン・C・ヴァスカビル上等兵。ベンは、入ってきた軍人の容姿と名を頭の中で一致させ、ファイルケースを受け取った。

 以前から頼んでいた、L4系の新しいテロリストのリストだろう。ベンは、新しい仕事ができて、ようやくほっとした顔を見せた。すくなくとも、しばらくはあの缶から離れる理由ができた。

 

 「新しいテロリストの詳細です」

 「ご苦労」

 アイゼン上等兵は、ベンの予想通りの言葉を発してプラスチックボックスをベンに手渡す。膨大なファイル数に、ベンは、今度はべつのためいきが出そうになったが、菓子の缶があった場所を調べる仕事よりましだ。

それにしても、なんて数だ。ベンが心理作戦部に所属したころは、こんなにテロリストの数が多くはなかった。せいぜいファイル一冊に納まる程度。それがどうだ、いまやそのファイルが十冊。テロリストは、傭兵グループ並みに増えていく一方だ。

 (いっそ、ひとつのテロリスト部隊にひとつの傭兵グループ当たらせればいいんだ)

 軍がまともに機能しない今、けっこうそれいいアイデアじゃないかとベンは思ったが、軽々しく口にしてはいけないことであることは、明白だった。

 

 「テロリストをひとつずつ、傭兵グループに担当させりゃ早いんじゃないですかね」

 男も見惚れるような美しい顔を、下品に歪めてニタニタと笑い、アイゼンが言った。ベンは呆気にとられ、それからやっと言った。

 「……おまえ、その発言は軍法会議ものだぞ」

 傭兵グループの力を認めるような発言は、軍部では厳禁だ。最近、軍部がまともに機能していないせいで、古い考えの軍人たちは、傭兵の実力をみとめる発言にますます神経質になっている。いかようにも、揚げ足を取られかねない。

 「へへ……内緒にしてくださいよ」

 アイゼンはまたニヤリと笑った。笑い方、キモい。ベンは、ここで初めて、直接この男と口を利いたのははじめてだったと思いついた。この男は、ふだんほとんど口を利かない。

 ベンはアイゼンに退出を促すように、もう一度「ご苦労」と言った。用は済んだのに出て行かないのはなぜだ。

アイゼンは黙っていれば、それはそれは美しい。その美しい切れ長の流し目で、じっと机の上の缶を凝視している。

 「何を見てるんだ。用が済んだなら早く行け」

 ベンは上官の威厳を持って対処したはずなのだが、アイゼンは予想外の口を利いた。

 

 「あんた、それがなんだか、教えてやろうか」

 

 無礼な口のきき方を、ベンは咎めることもできなかった。それより、この缶の正体を知っている――かのごとくなセリフに、先に脳が反応したためだ。

 「貴様、これがなんだか、知っているのか」

 「ああ、知ってる。知りたきゃァ教えてやる」

 口調も目つきも、ふざけているのでも、からかっているのでもなさそうだ。ほんとうに、この缶の正体を知っている? 

 エーリヒが、密かに情報分析科に調査を命じていたのだろうか。だとすれば、副隊長に、仮にも部下がこんな思わせぶりな口調で餌をぶらさげるわけがない。

 「何故貴様が知って「これは仕事じゃねえ、取引だ」

 アイゼンは最初のように目を細めて、ニタニタと笑った。だから、笑い方が不気味だ。

 「一階のカフェテラスで、甘いモン奢ってくれ」

 やはり取引か。ベンは一瞬の逡巡ののち、頷いた。

 

 

 

 ベンが一瞬でも逡巡したのは、彼が指定した場所が一階のカフェテラスだったからだ。

 案の定、混んでいるのに、ベンとアイゼンが座った窓際の席の、窓際に面した前後の席と隣は空いて、小規模なドーナツ化現象が起こっていた。だれも、心理作戦部の人間の隣に座りたくないのだ。俺は貴族出身者なのになんで差別されるんだとベンは心の中だけで毒づいたが、L18には傭兵に対する差別と、一般の仕事についている者に対する差別と、それから心理作戦部の人間に対する差別があった。一番最後のそれは、できるなら近づきたくない、という差別だけにとどまったが。

 心理作戦部は、黒い軍服だからすぐに分かる。まともな神経であれば、居心地の悪い思いをするに決まっているが、まともな神経を持っているのはベンだけだった。アイゼンは平気な顔で次々と注文していく。

 しかし、そのケのないベンでさえ、ウッカリすれば見惚れてしまいそうなくらい、アイゼンは美形だった。

この男は、男ばかりで、しかもモテない職場である心理作戦部では目の保養だと、水面下で人気があったが、ベンは察した。この男が尻を狙われない理由がやっと分かった。

まず、笑い方が癇に障る。それから、極端に下品だ。

口調はもとより、ベンは、めのまえの特大パフェと、生クリームとベリーソースの海に浸かったフレンチトーストを、コーヒー一杯で食べ尽くそうとするアイゼンにすでに吐き気がしていた。

 普段は吸わないタバコに手を出したのも、仕方なかった。手まで汚した豪快な食べ方を直視していればこちらまで気分が悪くなる。

 アイゼンの気がすむまで食わせてから話を聞こうとベンは思っていたが、早々に挫けそうだった。この男、食べながらよけいなお喋りまでする。聞いてもいないことを。生クリームを口の端から飛ばしながら。

 

 「この刺青か? 透かし彫りって言ってな。体温が上がると現れんだよ、龍がな」

「百八匹背負ってる。背中と首と足一面で百匹。残り八匹は両腕に巻き付いてる。カッケーだろ」

「龍の数だけ女抱いてみようと思ってやってみたんだが、百八も抱いてっと、途中でじぶんがなにやってっか分からなくなるな。女の顔なんてぜんぜん覚えてねえんだが、なまっちろい腹がグダグダ動くのは覚えてんだ。十代はバカやるもんだよなあ」

 「あんたなんにも食わねえの。俺ばっか食って悪いなあ」

 どうして、心理作戦部は、まともな奴がいないんだろう。おまけにこのアイゼンは、そのなかでもSクラスだ。

 

 「ああ、食った食った」

 アイゼンはホットケーキタワーと、チョコレートパフェと本日のおすすめケーキ五つを網羅してから、やっと満足そうに腹を摩った。ついでゲップ。ベンは、しかめっ面を押さえることができなかった。

 紙ナプキンで無造作に口と手を拭い、それでも拭いきれないチョコを口端にくっつけ、油っぽいであろう手をさらに軍服で拭ってから、アイゼンはやっと無駄口をやめて本題に入った。

 

 「あのな、あれな、どんな経緯であんたの元にきたか知らねえが、俺が元の場所に戻しといてやるから、返してくんねえか」

 「――なに?」

 「返せっつってんだよ。あれなァ、あんたが頭絞って考えるほどのモンじゃねえよ」