「私は、L85で、今でもやってる斥候兵募集の案内を見て、軍事惑星に来たんだ。いやまあ、きっと今頃、生きてないな。L4あたりのテロリストに殺されてたんじゃないかな。おじいさんと出会わなければ」

エルドリウスは懐かしむように目を細めた。

「何の気まぐれだったからかは知らない。おじいさんは車いすに乗って、来たんだ。鉱山出身の募集兵が雑魚寝している場所へ。募集に応じるやつはここにいろと言われて、廃鉱のまえで数人、寝転がっていた。私は、本が好きだったから、小さなランプの下で字を拾っていた。半分も読めなかったがね――そのとき、おじいさんがきて、私に二、三、質問した。その内容を、私は覚えていないが、おじいさんが、私の答えに満足して、私をその場から連れて行った。私は怯えてたんだよ、何をされるかと不安で――」

エルドリウスは、フライヤの頭をポンと撫でた。フライヤは跳ねた。

「いまの、君みたいに」

また、おかしそうにエルドリウスは笑い、

「まあ、そういう奇跡的な経緯で、私はウィルキンソン家の養子に入った。おじいさんの意志を継いで、私にも養子が十人ほどいる。皆もう、成人しているよ。まあ、綺麗に軍人と医者に別れたがね。私の養子とはいっても、育てたのはほとんどシルビアだ」

「シルビアさん……」

「私はほとんどこの家にいなかったしねえ。でもまあ、よく聞かれることなんだけれども」

エルドリウスは勝手に続けた。

「血は繋がっていないし、シルビアと私は夫婦みたいだし、とみなに言われるがね。お互いその気はないのだよ。似た者同士のせいもあるのか、」

エルドリウスは、言い訳を探しているようでもあった。

「シルビアにだって、恋人はいる。……いたこともある。続いているかは知れないが、」

 

「続いています」

シルビアの呆れ声が閉め切った室内に響いた。いつのまにか彼女も書斎に入ってきていたのだ。

「私もあなたを夫に持つなど真っ平だわ。あなたほど薄情な男はいませんもの」

「薄情かな……」

エルドリウスは正体不明の笑みを浮かべていた。

 「今まで、本気になれる相手がいなかったからだとは、考えないかね」

 「もうおやめなさい。まさか、本気なんだとは思わなかったわ。この部屋に入れて、そんな話まではじめるなんて――泣くのはこの子よ。いろいろな意味で」

 シルビアは嘆息した。そしてフライヤに向かって言った。

 「エルドリウスに本気になってはダメよ。自然消滅が一番マシな末路よ。あなたが先に、キレなければね」

 シルビアはどうやら、フライヤが傭兵だということは気になっていないようだった。知らないだけかもしれないが。シルビアは、フライヤをまじまじと見つめ、それからいいアイデアだというように手を打った。

 「恋人はやめて、養子にしたらどう?」

 「え……」

 え、と言ったのはフライヤではなくエルドリウスだった。

 「養子に手を出すのは、さすがに……」

 「何を言ってるの、だれが手を出していいと言ったの。どうせあなたのことだから、この子に、何らかの可能性を見つけたんでしょう? 頭のよさそうな子だもの。いつも通り養子にして、彼女の未来を開いてあげればいい。それでいいじゃないの」

 フライヤは思わずエルドリウスの顔を見た。可能性? 何の可能性を? エルドリウスは、自分を養子にするつもりだったのだろうか。

だが、エルドリウスは、フライヤの様な世間知らずの小娘が心底を見破れるほど、単純な性格はしていなかった。相変わらず柔和な笑みをたたえたまま、

 「養子にしちゃったら、キスくらいしかできなくなるじゃないか」

 「子供にするキスと恋人にするキスを一緒くたにするほど、あなたもボケちゃいないわよね?」

 「意外なところに伏兵がいたな……。これは困った。フライヤ、」

 「え? は、はい?」

 フライヤは、エルドリウスの真意をはかることに集中しすぎて、二人の会話を聞いていなかった。

 「キスくらいして帰るよね? 私は、あと一時間しか時間がないけど」

 「え?」

 「だからキス。一時間以内にキス。それから返事。プロポーズの」

 「は?」

 シルビアが、ドア付近で頭を抱えていた。

 「ほんとうは、君に泊まって行けと言いたかったんだが、今夜私がいない間に、シルビアに何を吹きこまれるかもわからん。だから帰す」

 「え? ええ?」

 「エルドリウス、」

 シルビアが止めに入ろうとしたが、無駄だった。

 「きゃあ!?」

 フライヤは、急に視界が高くなって悲鳴をあげた。エルドリウスに抱きかかえられたのだ。

 

 「エルドリウス!」

 シルビアの叱責も聞かずにエルドリウスはずんずん歩く。瞬く間に階下に降り、フライヤのバッグを手に取り、フライヤ自身も抱えたまま玄関を出た。バルコニーから、シルビアが叫んでいる。

 「エルドリウス! 許しませんよ! それからフライヤ! 決して、決して私は、あなたのことが嫌いとかではないの! 本当よ! 私はあなたが可哀そうで、それで言っているの! この男に騙されたら泣くのはあなたで、貧乏くじ引くのは私なのよ! お願い! あなただけはこの男に騙されても私にナイフを突きつけないでね! 私は、ほんとうにこのバカとは何の関係もないのよ! 赤の他人よ! お願いよ! 私に八つ当たりしないで、もうっこの女たらし!!」

 「聞かなくていい、フライヤ」

 エルドリウスは、最初からなんら変わらない柔和な笑みでフライヤに微笑み――この笑みを、宇宙船にいるライオンあたりが見たら、どこかのパンダと同じくらい胡散臭い笑みだと言ったに違いないが――フライヤを強引に助手席に乗せて車を発進させた。

 「ほら、シートベルトして」

 「え? あ、は、はい……」

 「うん、スペース・ステーションまで二時間くらいかな」

 さっき、一時間しか時間がないと言ったエルドリウスはどこかへ行ったらしい。柔和な笑みと、穏やかな(表面上は)会話でフライヤは、スペース・ステーションまで送られた。

 スペース・ステーションまで送られたらさようならだと思っていたフライヤの思惑は外れる。時間がないと言っていたエルドリウスは、なんと駅構内までついてきた。そして言い放った言葉がこれだ。「まだ出発時間までには早いな」

ステーションのカフェで、出発時刻まで三十分ほどふたりで時間を潰し――この時点で三時間は平気で経っていたが――改札までフライヤを送ったエルドリウスは、「では、またね」と言った。

「ど、どうも――」結局、何しにここまで来たのか。展開に、思考がついて行かないフライヤが、会釈して行こうとすると、突如腕を引っ張られた。

「!?」

声も出せずにエルドリウスの腕に抱え込まれた。薄手のコートにくるまれて――キス。フライヤの身体は、これでもかというほど硬直した。強く抱きしめられ、唇を強く吸われるなど、フライヤの人生で一度もなかったことだった。

「フライヤ。私と、結婚して」

鼻が触れ合うほどの至近距離で、彼はもう一度言った。フライヤは、初めて見た。男の甘い顔を。愛しいものを見つめる、おだやかではない、柔和な笑みを。

「では、またね」

エルドリウスの顔は優しかったが、目を反らすことは、許してはくれなかった。

「君が、今度紅茶を受け取ったら、プロポーズを受けてくれたと私は思うからね?」

「……っは、わわ?」

身体が震える。ガタガタと。エルドリウスが怖くて――身分差が引き起こすものではない。男に対する恐怖である。エルドリウスは、宇宙船のアナウンスに、フライヤをようやく離した。

フライヤはひったくりでも追いかけるように慌てて改札を抜ける。エルドリウスに挨拶もできなかった。

そこから、どうやって家まで帰ったか、フライヤは思い出せないのだ。どうしても。

 

さいごに、エルドリウスが何を言ったかも。