(気に、――しすぎなのかな……)

 ルナは、誰も座っていないカウンター席にぽてりと座り、人ごみを眺めた。

 (気にし過ぎ、だよね)

 ルナはぼうっと宙を見つめ、俯いた。

(気にしたところで、あたしになにができるっていうの?)

 

何もできない――あたしは、なにか、誰かの助けになるようなことができる、人間じゃない。

 

ルナは、なんとなく、涙が出そうになった。どうも、このあいだから、自分の無力を痛感する出来事が続き――それなのに、感謝される状況に、ルナは困惑していた。

 

 (あたしは、色んな出来事に振り回されているだけだ。この宇宙船に乗ってから、ずっとそうだ)

 

平凡な人生は突如として終わりをつげ、一口では説明できないいろんなことがあって、その時々でだれかに褒められて、感謝されて、持ち上げられて。でもそれは、いつも、見当違いの感謝だった。ルナに、このあいだのアズラエルのようなことは、できない。

(あたしがなにかできたことなんて、一回だってない。いつも、あたしのほうが、みんなに助けられているのに)

バーベキューパーティーのときだって、ロイドとキラのことだって。

 アズラエルと出会ったことだって、なにかの間違いで、今、この宇宙船にいる間だけの、夢か幻のような気持ちさえしてきた。

 ルナは、ルナのまま。変わったように見えて、宇宙船に乗ったときの、臆病で、引っ込み思案の、なにもできない平凡な子のまま。

 サルーディーバが、ルナに助けを求めて宇宙船に乗ったとか、だれかれが、ルナの助けを求めているとか。

 信じられない。みんなは、誰かとルナを、間違っているんじゃないだろうか。

 

 (あたしには――なにも、できないよ……)

 

 ルナは胸元を、きゅっと握りしめた。

 アズラエルみたいに強くて、自信に溢れていて、経験値も高い大人だったら、すこしは何かできたのだろうか。自分でも、だれかを助けられたと、納得できるようなことが、できたのだろうか。みんなの感謝を、素直に受け止められるくらいに。

 

 「ルゥ、」

 

 ルナが、零れ落ちそうな涙を必死で我慢していると、急に大きな影に覆われた。と思ったら、アズラエルが隣に座っていたのだった。アズラエルは白い皿にチキンだのサラダだのを山盛りにして、ルナの前に置いていた。アズラエルは、ルナの好きなエビのサラダもちゃんと取ってくれていた。

 「食えよ。おまえ、腹が減ると落ち込むからな」

 落ち込んでいたのを、見抜かれていたのだろうか。ルナは「あ、ありがと……」といって、皿の上のじゃがいもにフォークを突き刺した。

 

 「なにをそんなに、落ち込んでるんだ? このあいだから」

 ルナは、少し目を上げたが、アズラエルの見事な上腕二頭筋しか見えなかった。

 「――おまえが、見かけほどバカじゃなくて、うだうだ考えるタチだってのは、最初から分かってる」

 ルナは顔を上げ、アズラエルの横顔を見た。するとアズラエルがルナに視線を向けたので、ルナは思わずまた、俯いてしまった。すぐに、ためいきが降ってくる。

 「おまえほど、面倒くせえ女はいねえよ」

 いつもだったら「あじゅのバカ!!」と叫んでぺけぺけできたくらいの台詞が、今はどうにも笑えず、じゃがいもが喉に詰まった。

 「でも、おまえが好きなんだから、しょうがねえよな」

 アズラエルがすり、とルナの頭を優しく撫でた。

 「前世とか、そういうわけわかんねえモン関係なくて、おまえが好きなんだからしょうがねえよ。理屈でどうこうできるモンなら、とっくになんとかしてる――おまえがもっと、俺に甘えるくらいの女だったらな」

 どんなに楽だったか、とアズラエルは笑った。

 「……あたしはじゅうぶん、アズに甘えてるよ……」

 「でもおまえは、そのうだうだ考えてるアタマの中身を、俺に説明しようとはしねえだろ?」

 「……」

 説明のしようが、ないだけだ。この、自分でも表現できない弱さを、困惑を、うまく口にすることができないだけだ。

 

 「おまえは、おまえらしくしてりゃいいんだよ」

 ちゅ、と音がした。アズラエルがルナの髪の毛に口づけたのだ。普段は、外でそんなことをされたらぺけぺけの刑だが、今日のルナは、ぼんやりと涙が滲んだだけだった。

 「おまえが、おまえでいてくれて、傍にいてくれることが俺は嬉しい。――おまえが話す気になったら、俺は聞くよ。焦らなくていい」

 

 ――なんだか、とてもいいことを言われたような気がするのだが、ルナはぼうっとじゃがいもをフォークに刺したまま宙を見つめていた。アズラエルは、そのままルナの頭をなでなでしてくれていたのだが、これまたルナの知らない男性が、アズラエルに声をかけて来たことで、アズラエルはそっちに連行されてしまった。「ルゥ、すぐ戻るからな」と言ってアズラエルは消えたが、まだ戻ってこない。

 (今日は、キラとロイドのお祝いの席なの)

 だから、自分ひとりで沈んでいるのもよろしくない。

……でも、元気が出ない。なぜなのだろう。いやいや、元気を出すのだルナ。うさぎパワーだ! ……あんまり強そうじゃない。どうせならライオンパワーが欲しいところだ。ひとりでいるから、元気のないことばかり考えてしまうんだ。ミシェルたちの席へ行こうか、リサたちのところへ行こうか。キラとロイドは、色んな人と挨拶してて忙しそうだし……、

 

 「ルナちゃんがひとりって、珍しいね」

 

 なんとなく、ひとりでいるのも寂しくなってきた頃合いに、コトリ、とルナの傍らにグラスが置かれた。ふわりと香る――ルナの好きな、薔薇のリキュールをつかったカクテルだった。デレクが、カウンターから出てきてルナの隣に座っていたのだ。

 「え、あたしひとりって、珍しい?」

 「うん、珍しい」

 デレクは頷いた。その顔はけっこう、嬉しそうだった。

 「俺のイメージでは、ルナちゃんはいつも人に囲まれてるイメージがあって。なかなか、ふたりでは話せないから」

 「え? そ、そうだった……?」

 それより、デレクがカウンターを出て、のんびりしていることのほうが珍しいのではないだろうか。ルナのイメージでは、デレクはいつもカクテル作りに、常連客の相手にと、忙しそうに見えていたから。

 でも今日は、料理もドリンクもバイキング形式にしていることもあってか、マスターもデレクも、ヒマそうだった。

 

 「あたし、ひとりでここに来たことがあるよ?」

 そういえば、そういうときもあったのだ。ルナが思い出して言うと、

 「ああ、あのときね。でもすぐナンパされちゃって……」

 ルナとデレクは同時にルーイのことを思いだし、ふたりで小さく笑いあった。なつかしい。今では、ルーイとも、冗談を言って笑いあえる仲なのに。

 あのときは、とてもルーイが怖かったのだ。

 

 「グレンにもナンパされてたしねえ……ルナちゃんはモテるから」

 「もっ……モテないよ!?」

 この店で、偶然にもそんな機会が重なっただけだ。それも二度ほどのこと。リサやミシェルのモテ方と比べたら、自分は、ただの奇跡の連鎖である。

 「それはルナちゃんが知らないだけ。ルナちゃんが、リサちゃんたちと四人でこの店に来てたとき、ルナちゃんの名前、聞いていく男の子がけっこういたんだよ。あの子誰? って。でも不思議だね。俺からしたら、ミシェルちゃんよりリサちゃんより、ルナちゃんのほうが話しかけやすい気がするのに、みんな、ルナちゃんには声かける勇気がないって」

 「……」

 「けっこう、遊んでる感じの男の子も多かったんだよ。女の子に声かけるくらいのこと、怯むはずもない男の子も多かった。なのに、ルナちゃんには声を掛けられない。不思議だよね。声くらいかけて見なよ、ルナちゃんは、おとなしそうに見えるけど、気さくな子だよって、俺も励ましてやるんだけど、ダメなんだって。眩しいって、いうんだ」

 「眩しい……?」

 ルナが想像したのは、ハゲの後頭部が光り輝く姿くらいだった。ルナは生憎と髪の毛には恵まれている。

 

 「うん。ルナちゃんは、眩しいんだって。――女神さまみたい、なんだって」

 ルナは口をあんぐりと、開けた。

 「いやあ、とても口から「女神さま」とは出てこないような男の子の口からそれが出てきたモンだから、俺もマスターも大笑いしたけどね、でも俺は、納得したよ」

 「……え?」

 「ルナちゃんはね、俺には、女神さまに見える」

 

 ルナは、口をぽっかりしたまま、次には狼狽した。

「デレク、酔ってるんじゃないよね?」と言えたらどんなにか良かったか。でも今日のルナは、最初から果てしなくぼうっとしていて、冗談として濁せる言葉もなかなか出てこなかった。デレクは、自分が言った気障すぎる言葉に自覚がないのか、優しい目でじっとルナを見つめているものだから、ルナはますますいたたまれなくなった。

 「あの……、ほげっ……いや、あの、ハゲ、」

 いたたまれなさすぎて、口から出てきたのは、意味不明な言語だった。

 ルナの台詞と同時に、やっと気づいたデレクが真っ赤になって、両手を胸の前で振る。

「あ、ああ、ごめん……、口説いてるんじゃなくって、」

「へ? う、うん、」

 「は、はは……。でもこれじゃ、口説いてるみたいだよね……」

 決まり悪げに頭を掻き、「お、俺も、酒持ってくる!」と言って席を立ってくれたので、緊張した空気は一度霧散した。デレクが立ってすぐに、ルナは照れをごまかすために、無意味にバッグを漁り――それに、気づいた。

 

 「――あ」