(ルナちゃんと、二人でゆっくり話せるなんて)

 デレクは嬉しかった。氷の塊をグラスに入れ、年代物の、とっておきのウィスキーを注ぐ。

 ルナが、好きだ。

 二十も年下で、アズラエルという恋人がいて。付き合って欲しいとかそういう気持ちは一切ないのだけれど――そう、付き合いたいというより、どこか憧れに近い。憧れもあるけれど、ただ純粋に、可愛い女の子だなと思う気持ちもある。さっきの言葉は、デレクの気持ちでもあった。

 ルナと付き合うとか、彼女が自分の恋人になるとか、ルナがアズラエルと付き合う以前から、考えたこともなかったのだが、でも、とても愛おしいと思う。デレクにも説明のつかない、不思議な感情だった。

 (恋のような、そうでもないような)

 この気持ちを口にしたところで、誰にも理解およばぬことであることは確かだ。デレクにだって、明確には分からないのだから。

 でも、いつも誰かと一緒のルナが、ひとりでいることは大変に貴重だ。デレクが、客にてんやわんやしていることもない。その貴重な時間を無駄にしたくなくて、デレクは急いで厨房を出た。

 

 デレクが小走りで戻ってきた刹那、ルナが勢いよく、何かを差し出してきたので、デレクは後ろにつんのめりそうになった。

 「あ、あのね、デレク、これ……!」

 ルナが差し出したのは写真だった。古びて、端が黄色く褪せている。それを見たデレクは、あっという顔をした。

 

 「ルナちゃん――これ――どこで、」

 「あ」

 

ルナは、手渡してから、いいわけを考えていないことに気付いて狼狽えた。写真をデレクに渡せとは言われていなかったが、ルナが持っていても、意味がないし、分からない。ずっと忘れていたそれが、バッグに入ったままだったのだ。反射的にルナは、デレクに渡してしまっていた。

これは、ニックのコンビニでもらって来たものだ。デレクと、知らない女の人とニックが、ニックのコンビニを背景に映っている写真。これは、ルナの夢に天使の姿をしたニックが現れ、コンビニに行ったらもらえと言った写真だ。ルナは言うとおりに、その写真を貰ってきた。でも、その経緯をストレートに告げるには、迷うところだ。不審者扱い間違いなしである。

 

 「ええと――こ、これは……、」

 「……もしかして、ニックのコンビニで見つけた?」

 「あ、う、うん!!」

 デレクが、どうとったのかは分からなかったが、ルナは大きく返事をしていた。デレクは、食い入るように写真を見つめ――それから。

 

 「はは……ははは……」

 小さな笑いから、少しずつ大きくなっていく笑い声。

「ははっ、ははははは!」

肩を揺らし、デレクは笑った。ふいに、こみあげるものを押さえるように口元に手を当て、顔を拭ったりして。ルナがその様子に硬直していると、デレクが急にがばっと顔を上げたので、ルナはびくっとした。

 「やっぱりルナちゃんは、女神さまだね」

 「え?」

 デレクは「ちょっとごめん」と言って立つと、その写真を持って外へ出ていった。ルナは迷ったが、なんとなく、追いかけてもいいような――そうしたほうがいいような気がして、あとを追った。

 

 店を出ると、ひんやりとした空気が、肌を撫でた。寒くはないが、日中より気温は下がっている。気持ち良いくらいだった。デレクは、裏口のところにある、小さな庭にしゃがみ込んでいた。暗闇の中に、ぽっと光が灯る。ライターの火だ。

 

 「デレク……」

 ルナが、遠慮がちに声をかけると、デレクが言った。「ごめんルナちゃん。せっかくもらったけど、――燃やさせてね」

 デレクは、さっきの写真に火をつけていたのだった。古く、乾燥した紙は、みるみる、燃えていく。ルナも傍にしゃがんで、その写真が燃え尽きるのを一緒に見守った。

 

 「一緒に映ってる子はね、」

 デレクが、燃える写真を見つめながら呟いた。

 「俺が、この宇宙船に乗ったときに一緒に乗った子なんだ。婚約者だった」

 「婚約者さん……」

 デレクの告白を、ルナは静かに聞いた。

 「彼女は、十年以上もつきあっていた恋人で、結婚を約束していたけど、俺は自分のわがままで結婚を遅らせて、愛想を尽かされてしまった。彼女は宇宙船を降りて――そのあと、どうしているかは知らない。幸せな結婚をしていればいいと思う。できれば、彼女のことを一番に考え、愛してくれる人と」

 「……」

「俺は、ずいぶん彼女を傷つけた。そのことに気付けたのはよかったけど、そのことに気付くまで――いや、気づいてからも、ずいぶん長い間、足止めを食っていたんだな。彼女のことを、忘れたようでいて、ずっと囚われて、」

 「……」

 「……昨夜、彼女の夢を十年ぶりに見た」

 「十年ぶり?」

 「うん。……そうしたら、ルナちゃんが、この写真を持ってきてくれるなんてね。……びっくりした」

 デレクは、ひどく穏やかな目で火を見つめている。

 「なんだか不思議だ――でももう、前に進めってことなのかな。そう思えてきた。さっき、この写真を見たときにさ、」

 

 写真は綺麗に消し炭になって、鎮火した。デレクの中で、彼女との思い出が、静かに燃え尽きていっている気がルナにはした。しかし、それは悪いことではない。デレクの晴れ晴れとした、穏やかな顔がそれを証明していた。きっと、忘れても、忘れなくても、それが悔やみだけでなく、幸せな思い出になるのなら。

 この写真のデレクと女性は、本当に幸せそうに笑っていた。その幸せな記憶の方が、より強く、残るのなら。

ルナには、デレクの言葉だけでは、深い事情は分からなかったけれども、この女性も傷ついたのなら、デレクも傷ついていたはずだ。ルナはそう思った。忘れていたようでいて、十年も囚われていたのなら。

 繰り返す転生の中で、ルナだけが傷ついていたのではない。同じくらいアズラエルも傷ついていた。それが分かるから。

どうか、いい思い出だけが残りますように。ルナはそう願った。

 

 「……きっとデレクも、傷ついていたんだね」

 

 ぽつりとそう言うと、デレクが鼻を啜る様子があった。ルナは、男の人が泣いているのを見られるのは嫌だろうなと思って、火を見つめたまま、デレクの手をそっと握った。デレクの手は一瞬強張ったが、ルナに握られたままで、そっと指を握り返してきた。

 

 そのままふたりで、しばらく、その場に座って星空を眺めていた。アズラエルがルナを探しに来て、「何してんだふたりで!」と多大な誤解をしてデレクに凄むまで。