八十七話 キラとロイドの結婚式



 

 ルナが立っているのは夜の遊園地。コーヒーカップのまえだ。ルナは、この光景に覚えがある気がした。

 そうだ。ここは、夢の中で初めてエレナ――黒ネコに会った場所だ。

 

 急にリンゴン、リンゴン、と教会の鐘の音がして、ルナはコーヒーカップのほうを見た。そこにはスポットライトを浴びた、今から結婚しますよといった様子の――ゴリラ?

 ルナは目を擦った。

白いタキシードを着たゴリラと、まっしろなウェディングドレスを着た、七色のネコ。ふたりは幸せそうに、指輪交換を――しようとしたところで、ルナは叫んだ。

 

 「キラ!! ロイドと結婚するんじゃないの!? そのゴリラ、どうしたの!?」

 

 ルナの絶叫に、ゴリラもネコも驚いてルナのほうを見た。そのとたん、閃光。ルナが眩しくて目を瞑っている間に、コーヒーカップから二人の姿が消えた。

 

 (――キラ!)

 どうしちゃったのキラ、ロイドはどうしたの? そのゴリラは何者!?

 

 キョロキョロあたりを見回し、キラたちを探したルナは、コーヒーカップの影から、すすり泣きの声を捉えた。そちらの方へ、反射で走った。

コーヒーカップの影で蹲り、泣いていたのはゴリラでもネコでもなく、チワワだった。後姿からして、スーツを着ているように見える。ずいぶん、立派な格好をしたチワワだった。

まさか、ロイドだろうか。結婚直前に、ゴリラにキラを浚われてしまったのだろうか。ルナは慌てた。

これは、なんの夢? キラとロイドの結婚式前に、なんて縁起の悪い――。

 

 ロイド、とルナが近づいて声をかける前に、チワワは怒鳴った。

 「僕のことなんか放っておけ!」

 涙まみれの顔で彼はルナを睨み、再度叫んだ。

 「どうせおまえも金目当てなんだろう! それか、僕に利用価値があるから親切にするだけだ。だれも信じられない、はやくあっちへ行け!」

 

 これは、ロイドじゃない。ルナは直感でそう思った。ロイドじゃない。

 では、このチワワは誰――?

 

 ルナ自身は困っているのだが、まるでルナの身体を借りてだれかが喋っているように、穏やかな声が口から出た。ああ、これはピンクのうさぎだ。ルナは勝手に、彼女が喋るのに任せることにした。

 

 「あら違うわ。私、あなたに伝えたいことがあって」

 「なんなんだ。うさぎのくせに」

 「あなたの弟さんは、あなたを真実、愛しているわ」

 

 それを聞いたチワワは、不思議そうにルナを見上げ、それからまた睨んできた。

 

 「僕は、アイツが嫌いだ」

 「そうね。でも彼は、あなたを愛しているわ。たったひとりの兄弟ですもの」

 「……」

 「あなたのおばあさまも、あなたの弟も、あなたを愛しているわ。あなたのことを、見返りなく愛してくれるのはきっとこのふたりだけよ」

 「……嘘だ」

 チワワは、力なく呟いた。

 「だっておばあちゃんは、アイツの事だけを愛していたもの……」

 ルナは首を振った。

 「あなたのことだって、愛していたわ。でも、あなたには近づけなかっただけ」

 ルナはポケットから五枚つづりのチケット――もう残りは三枚になっていたが――一枚を彼に差し出した。

 「あなたが小さな子犬のように怯えているのと同じように、あなたの弟もまた、怯えているのよ。分かるでしょう? まだ、間に合うわ。あなたから歩み寄れば」

 チワワは差し出されたチケットをちらちらと眺め――そして下からすくい上げるようにルナを見た。そして、恐る恐るといった体でチケットを受け取り、蹲ったままじっとそれを見つめた。

 

 「あなたに、幸せがありますように」

 

 

 

 「……ほげ」

 ルナは、ぼんやりと目を覚ました。

 

 

 

 「だからね! たいへんなの、キラがゴリラに浚われるの!!」

 

 ルナの興奮状態はじゅうぶん周囲に伝わったが、意味は伝わらなかった。唯一、最低限の理解を示してくれたのはクラウドだけである。

 「ようするに――ルナちゃんの夢は、七色のネコ、つまりキラちゃんと、見たことのないゴリラが、結婚式をあげていたというか――指輪交換をしてたって、ことだね」

 いつもべったり引っ付いてくるクラウドがルナで足止めされているために、ミシェルは実に晴れ晴れとした顔でクローゼットを漁り、ドレスに合わせるアクセサリーを選んでいた。このあいだから、白だのピンクだの、色に関して細かいことを言ってくるクラウドは、ミシェルには非常に邪魔だった。

アズラエルはシャワーに逃げ込んでいた。朝っぱらから、ルナの、「キラが浮気する!」という現実味のない話に付き合わされて、懲りたのだ。話は聞くと言った。確かに言った。ルナの悩み事ならいくらでもきくが、今日結婚式を挙げる、ラブラブなはずの友人カップルの修羅場を予言されたほうは、たまったものではない。

 

 「そうなの……ゴリラなの……」

 こんな大変な夢を見たときに限って、いつも謎解きをしてくれるサルディオネは連絡が取れなかった。クラウドしか相談相手はいない。クラウドも分析はしてくれるが、サルディオネほど、夢の中身を正確に推理してくれるわけではない。でもルナは、キラが心配で、黙っていられなかった。

 

 「でもルナちゃん、キラちゃんがゴリラに浚われるっていうのは早合点かも知れないよ?」

 「え?」

 クラウドは蝶ネクタイの金具をパチリととめた。目線は鏡だ。ずれていないかどうか。

 「だって、指輪交換をしていたってことは、キラちゃん――仮に、キラちゃんとしておこうか。キラちゃんが嫌がってなかったってことになる。俺がルナちゃんの話を聞いている限りでは、それはゴリラと七色のネコが両思いの、幸せな結婚式にしか思えない」

 「じゃあ――キラは――ロイドを裏切って、ゴリラと結婚するの?」

 「今のところ、そんな予想すら立ちはしないね」

 クラウドはスーツの襟もとも、ぴしっと整えながら続けた。

 「じゃあ俺からもルナちゃんに質問。俺の知ってる限りじゃ、キラちゃんにはいまでも交流のある元彼はいない。ロイドと並行してつきあっていた男もいない。キラちゃんをロイドから奪おうとするほど、横恋慕していた男ってのも、見当がつかない。悪いけど、キラちゃんの趣味に相手の方がついていけなくて、フラれることが多かったわけだろ? ルナちゃんには、キラちゃんを浚うゴリラが誰か、分かる? ゴリラで連想できそうな人物が、キラちゃんの身近に、いるかな?」

 「……。……いない」

 それはルナも、朝からずっと考えていたことだ。キラの知り合いで、ゴリラに当てはまる人物など、ルナには全く思い当たらない。キラの友達は女性が八割だし、先日マタドール・カフェに来ていた人物も、ゴツさでいったらアズラエルが最上級。アズラエル以上の野性的な男は見当たらなかった。あの場では、クラウドすら体格が良かった方だ。いかにも草食系といった、痩せたひょろ長い男性ばかりいても、ゴリラと表現できるような男性は皆無だった。あそこにいたのはヤギとか小鹿がせいぜいである。

 ゴリラ――ラガーの店長、とか。ルナが小声で呟くと、クラウドは小さく笑った。