「オルティスは、ワニだよ」

 「へっ?」

「オルティスのZOOカードは“シェイカーを振る大ワニ”。彼は違うな」

それに、キラちゃんとの接点はないに等しい、とクラウドは付け加えた。キラはラガーに行ったことはないし、バーベキューパーティーにも来なかったのだから。

「クラウド、いつ店長さんがわにだって知ったの?」

「このあいだ、サルディオネと会ったときにね、――ZOOコンペのとき。俺たちの仲間で、教えてもらえる分は、聞いておいたんだ。のちのち、役に立つかもしれない」

「役に立ったよ! いま!!」

「そうだね」

クラウドは頷いた。

「まあ、ルナちゃんの夢はいつも、分かり易い形で構成されているけど、目に見える形が、未来を表してるんじゃない。夢って言うのは大概、比喩的なものだからね」

「比喩?」

「そう。たとえば母親は自分の母なる部分を示しているとか、父親は自分の父なる部分を表すとか。だから、ルナちゃんの夢がストレートにキラちゃんの裏切りを表すとは考えにくいよ。現実的に考えても、合わない。それに、泣いていたチワワっていうのも気になる。ゴリラとネコとチワワは、一緒くたに考えるべきじゃないかな」

「うん……」

「ロイドは“介護士のチワワ”だけど、ルナちゃんはそのチワワが、ロイドではないと感じたんだろ?」

「うん……直感だけど」

「直感は、けっこう大事だよ。それが一番の正解を示していることが多い。だから、俺の見立てでは、今日のルナちゃんの夢は、キラちゃんやロイドとは、全く関係のない別の人物のことを示唆していると思う」

「――え?」

 

キラには、関係ないの? 

 

「だ、だったら――安心するけれども……」

 「一見、キラちゃんがロイドを裏切って、ゴリラと結婚して、ロイドが涙するって公式に見えるけど、まったくべつのことを教えているのかもしれない。――だけど俺も、サルディオネではないしね。もっとずっと、未来のことなのか――でも、ルナちゃんの夢は、近未来が多いしな――まあ、今日の会場で、ゴリラっぽい男がいないかどうか、気を付けて見ていることにしようよ」

 「う、うん! そうする!」

 ルナはやっと安心したのか、ほっとした顔を見せて、リビングへ駆けて行った。アズラエルはとうに匙を投げてシャワーに逃げ込んだが、とりあえずクラウドは、ルナの心配を取り除くことには成功した。納得さえすれば、ルナだって安心するのだ。

 

 「ほんと、ルナちゃんて」

 クラウドは、ルナの丸い後姿を眺めて、呆れたようにつぶやいた。

 「自分の心配が先だろ――キラちゃんの不確かな浮気のまえにさ」

 だが、忘れている方が、ルナにはいいのだろう。いらぬ緊張を強いるよりは。

 クラウドはそう思って、ハンガーにつるしていた拳銃ホルダーを装着した。

 

 

 

 「で、何人出てるの」

「L25の奴ら十人、レストランの警備員として入って、レストランの周囲に一般人に紛れ込ませて三十人。軍もL20の一個小隊待機させておくとさ。とんでもねえ厳戒態勢だ――裏ではな」

 

 クラウドがアズラエルに尋ねたのは、結婚式場であるマルカのレストランに配置される予定の、警備の人数である。

 だれのための警備かなどは、言うまでもない。メルヴァがルナを狙うとしたなら、マルカか、E353か、アストロス――。ZOOコンペの時から、周知されていることである。

 このことは、ZOOコンペに集った人物――役員ではバグムントとチャン、船客ではグレンとセルゲイのみしか、知らない事実である。ルナの友人の中ではレディ・ミシェルにだけ知らされている。リサとキラは、ルナがL03の革命家に命を狙われているなんていうことは、知らない。ロイドも、その相棒のミシェルもである。だからこの警備も、ルナの担当役員であるカザマが極秘に配置した警備態勢であり、キラとロイドに、知らされてはいない。

 ――ルナにも、だ。

 カザマは、ルナがマルカに降り立つとなったときに反対すると思ったのだが、アズラエルたちの予想に反して、反対はしなかった。

 

 「ルナさんは普通の娘さんです。……本当は、ルナさん本人には、私たちも知らせたくなかったのです。メルヴァのことは」

 カザマは、沈鬱な表情で、アズラエルとクラウドに言った。

 「ルナさんが知らない間にメルヴァが逮捕されて、それで済めばいいと思っていました。でも――運命のいたずらと申してよいものかどうか――ルナさんは、自身から、そういった真実に近づいてしまう」

 カザマは、できるなら、ルナには普通のL77からきた船客として、普通に宇宙船旅行を楽しんでもらいたかったのだと言った。メルヴァのことに囚われずに。

 「……あんな言葉で脅しておいて、いまさら何をと仰るかもしれませんけれども」

 カザマの苦笑を、アズラエルもクラウドも笑うことはできなかった。カザマの気持ちは、痛いほどわかった。

 カザマとて、L77から乗る、普通の少女に過ぎない子が、革命家メルヴァに命を狙われるなど、全く予想できない出来事だったに違いない。それとも、もともと特別派遣役員であるカザマには、危険やVIPとは無縁のL77の少女の担当役員になった時点で、ある程度、予測はできていたのか――あるいは逆説、ルナは宇宙船に乗るまえから、「L03の高等予言師の予言に記された人物」であり、メルヴァに命を狙われることが分かっていたから、その救済のために宇宙船に乗ることになったのか――クラウドには分からない。そこのところは、カザマはクラウドたちにも告げることはなかった。

 

 ルナは、幼いころからL77という平和で穏やかな世界で、平凡に育ってきた普通の子だ。たとえ親が傭兵でも。そういった死だの革命だの、物騒な世界を知らずに育ってきた。

 L03の革命家に命を狙われていると聞いたなら、繊細な子であれば恐怖と不安から、心を病んでしまうかもしれない、そういう、危険もあったのだ。それでもカザマは、その事実をルナの両親にも話してはいない。一度息子を亡くしている彼らに、たったひとりの大切な娘が命の危機に晒されている、などということを告げたら、どれほどの不安に陥れることになるか。

ルナだとて、日常を暮していることで、ふだんは忘れているが、日々、その現実を突きつけられたら平静ではいられないだろう。ルナの笑顔が消えてしまうことは、アズラエルだって本意ではない。ルナに危険が迫ることを自覚したなら、ミシェルだって悲しみ、怯えるだろう。こちらも、クラウドの望むところではなかった。

 だから、なるべくなら、ほんとうにメルヴァの、ルナの命を狙うという行動が目に見えてくるまで、よけいな不安を与えずに暮らさせてやりたいと願うのが、アズラエルやカザマをはじめ、みなの共通した願いだった。

 無論、いちばんいいのは、ルナにしれぬところでメルヴァが逮捕されること。ルナの気づかぬうちに、すべての危険がなくなることだ。

 今回の厳戒態勢も、ルナはもちろん、ミシェルやキラ、リサたちにも知らされず、水面下で実行されているのにはそういう理由がある。

 それに、カザマがルナのために動けるのは、ルナがこの宇宙船にいるたった四年間だけなのだ。カザマが担当役員の権限を持って、ルナのために軍や警備隊を動かせるのも、四年間だけ。その四年を過ぎれば、ルナは宇宙船の乗客ではなくなるから、その先は、カザマにも如何ともしがたい。メルヴァの動向を伺い、危険が迫ればルナに知らせることくらいはできるかもしれないが、今のように身近にいて、守ってやることはできない。もしルナがL77にもどったときに、メルヴァがルナを殺しに現れたら、ひとたまりもない。

 この宇宙船にいる間が勝負なのだ。

アズラエルは、この先もずっとルナを守るつもりでいるが、相手は、いまのところ、あまりにも実体のない敵である。めのまえに敵が現れたならコンバットナイフでも銃でも立ち向かうことができるが、今分かっているのは、「メルヴァがルナの命を狙っている」というその事実だけである。メルヴァの姿も存在も、どこにも見えない。ほんとうに、メルヴァがルナを狙っているのかすら、疑わしくなるような現実味のなさ。

 しかし事実、メルヴァは革命が収束しても、L03には戻らず、何か別の目的のために姿を消し、行動していることは確かなのだ。

 カザマが、なにがなんでも、この四年間の間にメルヴァを捕らえ、ルナを救おうとしている意気込みは、彼らにも分かり過ぎるほど分かった。

 

 「さいわい、メルヴァがこの近辺に現れたという気配はありません。メルヴァとて人の子。警備隊に押さえられれば為すすべはありません。ですから、最悪の事態に備えて万全の警備はしておいて、ルナさんには、結婚式を楽しんでいただきます。マルカの観光もね」

 カザマは、いざとなったらその身を盾に、ルナを守る気でいる。

 メリッサといい、カザマといい、L03の女は肝が据わっていると、アズラエルとクラウドは感嘆のため息を漏らした。