ジルベールが仲間とともに踊ったダンスはほんとうに見事で、ルナもそのあいだだけ、ゴリラのことは忘れた。ジルベールが最後の決めポーズをしたときは、おおはしゃぎで拍手をしたくらいだ。レイチェルやシナモン、そしてメアリーたちと会話し、美味しい料理とお酒に舌鼓をうっているうちに、完全にゴリラのことは頭から出て行った。 ピンクに輝く(文字通り輝いていた)カクテル――デレクの、結婚式用のカクテルは甘ったるくて、まさに新婚熱々といった感じのカクテルだった。アズラエルには甘すぎてダメだったようで、ルナはアズラエルの分もそのカクテルを飲んだ。妊娠中のレイチェルのカクテルも、ルナへ差し出された。三杯もカクテルを飲んでしまえば、すっかりいい気分のルナうさぎである。ゴリラが現れたとしても、千鳥足のうさぎが対抗できるわけがなかった。 カクテルを出し終わった後は、デレクも会場に入って、エルウィンと親しげに話している。ルナはレイチェルと話しながら、それを見た。 キラからエルウィンに当てた手紙を読まれる頃には、やっとルナも感動を取り戻していた――感動して、隣のレイチェルと泣くだけ泣いて、アズラエルとエドワードに呆れられた。 ゴリラのことは、すっかり、忘れて。 そして――パーティーも、佳境に入ったころである。 ルナは、キラたちの傍にいた。レイチェルは、そろそろパーティーのおひらきも間近だったので、妊娠中ということもあって、先に帰った。 ルナはミシェルと、キラたち二人とエルウィン、そしてデレク、メアリー夫妻、ジェニファーと同じテーブルで話していた。ジェニファーは、今日は体調がいいのか、にこにこと、終始笑顔で孫たちの結婚式を楽しんでいる。 そのころには、レストランのボーイが酒や料理を運び入れるために、何度も会場を出入りしていたし、招待客もロビーでタバコを吸ったりと、出入りする人間が多かった。だから、その男もまるで普通に、入ってきた。出入りする人間に紛れて。 スーツ姿で、ひとめでそのスーツが高級なものだと分かる。L5系の人間だ。 端のテーブル席で、クラウドとメンズ・ミシェルと会話していたアズラエルは、一瞬、警戒してコンバットナイフに手をやった。クラウドを見ると、彼の右手も銃にかけられている。今日、一度も見たことがない顔だったからだ。案の定、会場に入った途端に警備員が彼のゆくてを遮った。だが彼が、胸元からチケットのような紙を取り出すと、警備員はそれをためつすがめつチェックしたのちに、彼のまえから引いた。 「アズ、あれ」 「ああ。結婚式の招待状持ってるじゃねえか。誰だ、いまごろ」 間もなく、パーティーは終わるだろう。本当に今頃だ。何をしに来た。 「うわ、まさか」 メンズ・ミシェルが、バッと立った。 「ありゃ、いけねえよ。俺、ちょっとロイドのとこ行くわ。ひと悶着起きそうだ」 「知ってんのか、ミシェル」 「ああ」 ミシェルは頷いた。 「ありゃ、ロイドの兄貴だ」 ルナは、彼が三メートル範囲内に来た時点で、ようやく彼の存在に気付いた。そして、ようやくゴリラのことを思いだした。スーツ姿の怪しい男は、まっすぐ、こちらへ向かってくる。 でもルナは、彼の全体像を視界で捉えて、拍子抜けした。 とてもではないが、ゴリラとも、サルとも、言い難かった。男は、ずいぶん小柄だったからだ。そう、ロイドくらい。いや、ロイドより小柄だ。百七十センチもないだろう。痩せていて、どちらかというと目がくりっとした愛らしい顔をしている――恐ろしいほど、表情が抜け落ちていなければ。彼は、愛らしいともいえる顔だちなのに、ひどく冷たい顔をしていた。すべてを、忌み嫌っているような――。 ルナが、その表情に気圧されたのは間違いないが、キラやエルウィンたちの表情も強張った。悪いが、「結婚おめでとう!」という顔はしていない。 (あ) ルナは、チワワを思い出した。そうだ、めのまえの青年は、ゴリラというより、チワワといった方があっていた。しかし、チワワと言っても、ロイドのような人懐こさや愛くるしさはない。はじめて会ったというのに、ルナは、彼に憎まれている気がした。それはルナだけではない。彼に見つめられたものすべてがそう思っただろう。 「リック……?」 誰もが彼を知らない中で、ロイドだけが、彼の名を口にした。 「ど、どうしてここへ?」 ロイドは結婚することを親と兄のリックに知らせたが、彼らからの返事は好きにしろの一言だけ。祝福の言葉もなかった。それでも結婚式の招待状は送った。来てくれるとは、微塵も思っていなかったけれど。 リックはロイドを無視したまま、誰にも握手をもとめず、周囲を睥睨した。 「僕は、リック・T・ルビンスキー。ロイドの兄です」 それを聞いて、キラの顔は顰められた。メアリーたちも、彼を歓迎しているという顔ではなくなった。彼らは、このロイドの兄が、ロイドを無視し、家から追い出したことを知っているからだ。リックの冷ややかな無表情と、人を人とも思わぬような乱暴な所作が、ロイドの話に真実味を持たせた。 「ほんとうはこんなところになど来たくなかった、忌々しい。ロイドは僕の弟じゃないし、できればもう二度と、関わりあいたくなどないのに」 「じゃあなんで来たのよ!」 冷たい態度から出た冷たい――あまりな言葉に、おもわずキラは叫んだが、リックはちらりと周囲を気にしただけで、顔色さえ変えなかった。ジロリとキラを睨み――そして、キラの母親を見た。 「あなたが、弟の結婚相手の母親?」 「そ、そうですけど……」 エルウィンの言葉も、不審げにならざるを得なかった。 リックは、胸元から小切手をだし、ペンで金額をサラサラと書付け、エルウィンに押し付けた。エルウィンはその額を見――息をのんだ。覗き込んだだれもが、その大金に目を丸くした。 ゼロの桁が間違っているのではないかと思ったが、次のリックの台詞は、その金額が間違いではないと証明した。 「一億デルです」 「あの……」 エルウィンの困惑を気にも留めず、リックは自身の用件を告げた。 「すまないが、その女もロイドも、ルビンスキーの姓は名乗らないでほしい」 「え?」 さすがに、エルウィンも動揺して聞き返した。今、彼はキラのことをその女、と言ったか。リックは無表情で続けた。 「ロイドはとっくの昔に勘当してある。だが、腹の立つことにルビンスキーの姓を名乗ったままだ。それはこちらとしても迷惑なのでね。結婚は都合がいい。ロイドにはそちら側の姓を名乗らせてくれ。ただでとは言わない。これは、そのための金だ」 リックは、それだけいうと、用は済んだとでもいうように襟元に手をやり、踵を返した。だれもが呆気にとられて――ルナでさえ、何も言えずに佇んでいたのだが、エルウィンが、声を震わせて怒鳴った。 「何を言うの! 受け取れません、こんなもの! 持って帰って頂戴!」 リックが、恐ろしく不快だという顔で振り返った。 「こんなお金要りません! こんなことされなくてもロイドちゃんはうちの子にするわ。キラにだって、あなたと同じ姓など名乗らせるものですか! さっさとこれを持って帰って頂戴!」 だがリックは、突き返された小切手を一瞥もせず、ふんと鼻を鳴らして帰って行く。エルウィンはあわてて小切手を持ってリックを追いかけようとした――が。 「待って」 ロイドが止めた。「待って。お義母さん。僕が行きますから、」 ロイドは、小切手を持たなかった。早足で歩いていくリックを追いかける。 「ロイドちゃん、お金、」 エルウィンがさらに追いかけようとした瞬間、ジェニファーが、「だめよ! それはキラちゃんの結婚式に使うの!」と叫んだために、皆の気が殺がれてしまった。 「母さん、キラちゃんの結婚式は、もう終わるところよ」 メアリーがなだめたが、ジェニファーはニコニコ顔で言うのみだ。 「だめよ。キラちゃんの結婚式に使うの」 「待って、リック!」 会場を出たところで、やっとロイドはリックを呼び止めた。リックは振り向かない。リックが連れてきただろうSP二人が、リックを守るように立っていて、ロイドはそれ以上近づけなかった。だがリックは、止まった。いつもだったら、無視して行っているかもしれないのに。 「リック、結婚式に来てくれて、あ、ありがとう――来てくれただけで、嬉しいよ」 ロイドは、心からそう言った。なぜ、リックが、――ずっとロイドを、無視し続けてきた兄が、ここに現れたのかは分からない。でも、ルビンスキーの姓を取り上げるだけなら、弁護士でもなんでも通じて、話を済ませるのがロイドの家族のやり方だ。ロイドは、都合がいいと思っても、信じたかった。 リックは、祝福のために来てくれたのだと。 L53からはるばる、このマルカまで――。 「あれは、おまえの正当な取り分だ」 「……え?」 リックは背を向けたままロイドに言った。 「あれはばあさんの遺産だ。俺たちの父親が、ばあさんの資産をずっと押さえていた。俺が正式に親父の跡を継いだから、その金も勝手にできるようになったわけだ。そのうちの一億。おまえが相続できる金額だ」 「お、おばあちゃんが――? なぜ、そんなお金を持って……」 |